節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

妄想と浪漫。そして、怪獣。「シン・ウルトラマン」

ウルトラマンかい。

 

…………ダメだな。「ゆうえんち」のなんちゃって文体(文体模写と言うのはあまりにも烏滸がましい)が抜けていない。ナチュラルにこれで書き出してしまった。焦った。

 

……ま、そのうち抜けるだろ。

 

俺とウルトラマンの縁はまず、平成三部作からだ。

 

当時子供向け番組として放映されていたそれを、子供だから見ていたわけだ。至極単純な論理である。

 

それを、一緒になって父親も見ていた。これもよくある光景であろう。どちらかといえば平和な、心温まる光景と言える。

 

……で、そのタイミングで、なんか父親が昭和のウルトラマンTSUTAYAでレンタルしてきたんですよね、当時だからビデオ……VHSか。

 

……なんでやろなぁ……。

 

当時に父親の年齢……にはまだ遠いけれども、それでも近づいたなりに考えてみると……やはり「見せたくなった」になるのかなぁ、と思う。子供がウルトラマンの新作に興味を示している。俺も見てみる。なるほど。これが楽しめるのであれば昭和もイケるだろ。おら!見ろ!

 

……そんなノリだったんじゃないですかね……。いや、視聴を強制されたことはないけれども。俺も割とノリノリで見ていたし。セブンが好きだったかな。

 

ウルトラマンセブン、と言う度に「『ウルトラセブン』な」と訂正された記憶がある。

 

……やはりどちらかと言うと悪いオタクだったのではー?……まぁ、可愛いモンですがね、その程度。

 

そんなだから平成三部作をメインで見ている割には、妙に昭和のウルトラマンに詳しい園児でしたよ。特に怪獣が色々好みで。うむ。主にやられ役としてな。

 

で、やられ役としての怪獣を色々調べて行ったら、特撮の色々がああなって、で、ある程度以上でこうなったタイミングで、コスモスとかネクサスとかメビウスとかマックスがああなって、諸々ネットで調べて行って…………最終的にはこんな感じだ。子供にサブカル作品を勧める際には後の影響まで注意せんとな。いやまぁ、気持ちは解らんでもないが。

 

そこまでドミノが続いた原因はどう考えてもお前本人の資質、と言われれば、「はい」と答えるしかないね。若干照れながらの「はい」ですわ。間に10年単位のネットサーフィンをさりげなく挟み込むな。その責はどう考えても我にのみ。実際そんなに後悔もないのでまぁ別にどうでもええんですが。

 

オーブ以降のはあんまり見れてなかったり(Zは諸々のタイミングが良く見れたけど)、あと上記の過程で「俺程度で『マニア』を名乗るのはあまりにも烏滸がましい」という意識が芽生えたりしたので、そこまでどハマりしたと豪語することはできませんが。ワタシウルトラマンノ怪獣チョットワカル。

 

そんな自分がシン・ウルトラマンを見てきました。

 

以下、見る前の予想。

 

  1. ハヤタとの出会いは改変され、ウルトラマンの過失が減る&事態をちゃんと説明するようにする
  2. 監督繋がりでジラースとかプリズ魔が出ると見せかけて出ない
  3. 最後に出てくる怪獣はゼットンではない

 

(視聴後追記 3だけ反転しときましょう。……ま、そういう事です)

 

一応それぞれに補足というか、そう考えた理由みたいなモノを。

 

1について。

 

ありゃあどう贔屓目に見ても「交通事故」だもんよ……。

 

ベーターカプセルを渡した後の事後対応もまぁ、なんというか、いかにも怪しげというか……一応よく言われるあの言葉の前に、大意は説明しとるんですが、それでも「お前、これ使ったらどうなんの?」という点に関しての説明はアレですからね。もうちょいどうにかならんか。

 

2について。

 

これに関してはまずジラースとプリズ魔についての説明が必要か。

 

ジラースはアレよ。某超有名怪獣にエリマキを付けて「これはジラースという怪獣で某超有名怪獣とは別物です」と言い張る事に成功した怪獣だよ。ウルトラマンに登場する。戦闘開始直後にエリマキをむしり取られるぞ。

 

某超有名怪獣+エリマキ=ジラース

ならば

ジラース−エリマキ=???

その解は、きっと出してはいけない……。いやまぁ有名な話なので言っちゃいますが、うん、コイツ、ゴジラなんだよ。いやジラースなんですけどね。

 

プリズ魔は「ありとあらゆる物を光子化して吸収する」という性質を持った怪獣で、「帰ってきたウルトラマン」に登場する。

 

かなりの強敵でしてねぇ、「ウルトラマンがわざと光線を浴びて半ば吸収された状態で内部から光線を浴びせ続け、それと同時に人間が体表を極度冷却することで温度差によって割断する」という……ウルトラマンをして「ぎりぎりの賭け」に出ないと勝てないような奴だったんですが、コイツのデザインは後の使徒ラミエルに影響を与えたとされています。

 

3について。

 

……知らなかったのでこんな事を考えていた、という記録なりな。

 

いや、キャッチコピーとかで出そうな気配はあるけれども、裏を書いて、という奴ですね……。もし出るならば原作再現として、恐らくその倒し方はああいう形になるのですが、「ああいう形」が成立するためには2時間の積み重ねではやや弱いのでは、と考えたため、こういう予想となりました。

 

じゃあ最後はどうなるんや、という話になり、地球原産で「シンプルな強さ」のゴモラ辺りも面白そうではあるんですが……ここまで事前情報に「初代ウルトラマン」の情報が出そろっているのは、フリなのではないかと考えてしまいますね……。

 

つまり、こうだ。グリーザ

 

グリーザはねぇ、アイツは、確か監督だかキャラデザの人だか脚本の人だかが「初代ウルトラマンゼットンに対するトラウマ」みたいなものを具現化した存在だったと思うので……たしかどっかの何かのインタビュー的な何かで見たような……。つまり「初代ウルトラマンゼットン役」として登場する文脈は存在する!

 

……まぁああなったんですけどね

 

さて結果はどうなるかな。見てみましょう。上映中の作品なので反転多めだ!しかしそれでもネタバレ注意!

 

【あらすじ】

次々と巨大不明生物【禍威獣(カイジュウ)】があらわれ、その存在が日常となった日本。通常兵器は全く役に立たず、限界を迎える日本政府は、禍威獣対策のスペシャリストを集結し、【禍威獣特設対策室専従班】通称【禍特対(カトクタイ)】を設立。班長・田村君男(西島秀俊)作戦立案担当官・神永新二(斎藤工)非粒子物理学者・滝明久(有岡大貴)汎用生物学者・船縁由美(早見あかり)が選ばれ、任務に当たっていた。禍威獣の危機がせまる中、大気圏外から突如あらわれた銀色の巨人。禍特対には、巨人対策のために分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、神永とバディを組むことに。浅見による報告書に書かれていたのは…【ウルトラマン(仮称)、正体不明】。

(シン・ウルトラマン公式サイト ストーリーから引用)

 

 

 

ああ、楽しかったですね。「ゆうえんち」もそうでしたがね、やはり見た後に、「面白かった」よりも先に、「楽しかった」が出てくるお話は、なんというか、理想的なのですよ。エンタテインメントとして。

 

お話の流れはシンプルです。なんというか、初代ウルトラマンを知っている人間に「出てくる怪獣・宇宙人」を見せれば、「ザラブ……?じゃあウルトラマンが出てくるんだな」であるとか、「メフィラスが出てくるのであれば、女の人巨大化するんじゃないかな」であるとか、そういう「要素」は当てられると思います。しかし、それでも、その要素による「予想」をさらに超えていく!

 

そして!ついに「アイツ」が現われる!なんだお前は!いや……「要素」……は、知っているけれども……!

 

……そんな風に、存分に楽しめる映画でした。【当時】を思い出しながら、怪獣にフォーカスを当てて物語を見ていこう。そうしよう。……実は本作の敵は「怪獣」じゃねんだけど、まぁそこはわかりやすさ優先で。

 

ネロンガ

 

電気を食べて透明になるステルス怪獣。ただし居場所は土煙でバレバレだ。Z個体はサーモグラフィーすらごまかしていたが、今回はそれは無理っぽい?

 

「透明化の意味ないじゃん!」は良かったな。満腹状態だと姿を現す→万全な状態では周囲への威嚇を優先しているのでは、という理由付けも良かった。あくまでもステルス機能は「不調・不利を隠すため」のモノであって、いつでも透明な状態で動いているわけではないんだよ、というのは、まぁそれはその通りだ。昆虫みたいな小さい奴だと常に擬態もありでしょうがねぇ。そもそもがあの図体だからねえ。

 

さてそんなネロンガと人間の戦闘中に、赤い球が飛来したわけだが、おう、まぁ、そりゃあ、その高度からその速度で来れば、おう、そうなるわな。ガイアの土煙がどうとか、そういうレベルの話ではないのである。おそらく真面目に計算した場合は被害がもっとえげつないことになるので、まぁ作劇の「嘘」は含まれているだろうが……いや、十分ですよ。あんなもんで。

 

戦闘自体は割とアッサリ目で終了。まぁ、本来ネロンガはあんなもんですよ。アイツ、ウルトラマンにおいては江戸時代に武士に負けとるからな。……これに関してはおそらくその武士がめちゃくちゃだっただけですが。

 

ガボラ

 

地底を掘り進みウランを食べる。ドリル状の開閉可能な頭部が特徴だ。

 

ネロンガ共々上映前からのソフビ発売組。まぁなんといいますか、正直、両者に対して「……華がねぇなぁ……」と、若干の無礼(ナメ)た態度をとってはいましたが……いやぁ、君、強いねぇ!

 

そうか……脚部、下半身も回転するのか……いや冷静に考えてみれば頭がドリルになったとしても「掘り進んだ土をどう退かすのか」という問題があったな……。……もう一段階冷静になると「……そこが回ったからどうなるんだ?」という部分に思い当ってしまうが、思い当たらんことにするよ。なんというか、「シールドマシンを知った頭のいい小学生が自由帳に書く怪獣(ただし実在のシールドマシンの構造は無視するものとする)」味があった。

 

……もちろん褒めているのですよ?ほかならぬ俺がそういうモノばかり書いてきたからなぁ!俺の言うこれはまちがいなく誉め言葉なのだ。割と最上級の。

 

こちらも戦闘自体は割とアッサリ目。耐久力に若干の難があるのでは、と思わなくもないけれど、まぁあの部位は日ごろ隠してるだけあってかなりの急所だったのだろうよ。あるいは意識を一時的に失っただけで、処理は改めてアッチの方でやってくれたのかもしれない。

 

処理に迷った怪獣をアッチにああするのは、割とシリーズ恒例だったり……本当に厄介な奴はああできないので、酷い意味でバランスが取れている。

 

……あの白大福をあの状態で持ち上げてポイっとした場合、最終的に地球がポイっとされてしまうのだろうか。……「持ち上げた」だけでおそらく相当不味いことになるな。というかアレは持ち上げられるものなのか?……触れはするんだけどねぇ……。

 

ザラブ星人(ウルトラマン

 

上映が始まってから見に行くまでにネタバレを踏んでしまった宇宙人1号。悔しいので同志を増やさんためにも反転しておくが、文面全体で配慮する気はないのでまだ見てないのに感想だけよんでいる奴は帰れ。見ろ。

 

いやまぁ、「どういう奴か」は知っていたので、ネタバレを食らっていなくても登場して名乗ったその瞬間にはもう「こいつが何をするのか」は全部わかったと思いますが。実際大体その通りだ。

 

そのデザインに関してはずいぶんと独創的なアレンジが為されている。二次元的、というか、モロに二次元、というか……倉庫で場所を取らなくていいんじゃないでしょうか。マジで大変そうだからな、スーツの保管事情……。

 

正体を明かし戦闘となればペラペラとした体躯で飛び回るその様は、なんだか光線で吹き飛ばしても爽快感がなさそうで、果たしてどう倒したものかと思っていたけれども……おお、「それ」があったか!ウルトラスラッシュは放映時から存在する別名で、八つ裂き光輪という名称があまりにもアレだから変更されたというのはデマだぞ!

 

いやアレな名称だなぁとは思いますけれども。八つ裂きにしてるの見たことないし。

 

CV.津田健次郎。「人を下に見ているのがあからさまに解る演技だった」というような感想を見たけれども、俺にとって津田健次郎の声は海馬社長の高圧的なやつだったからか、「……そうか?」となるなど。いや、海場社長の演技とは全然違いましたが。声優さんってすごいね。

 

そしてまぁ、「変身」ですが……上手になったねぇ……。これに関しては以前が下手すぎたとも言える。もっとちゃんとチェックしてほしい。なんだお前その表情は。

 

……実際パッと見ではほとんど違いがわからなかったんですが、ちょっと目がツッてたりしました?爪先は見えなかったんだよな……。

 

メフィラス星人

 

上映が始まってから見に行くまでにネタバレを踏んでしまった宇宙人2号。悔しいので同志を増やさんためにも反転しておくが、文面全体で配慮する気はないのでまだ見てないのに感想だけよんでいる奴は帰れ。見ろ。

 

いやぁ……怪演!人間の体なのにどこまでも異質!俳優さんにはあまり詳しくありませんが、いやぁ、俳優ってすごいね。

 

それにしてもずいぶんと計画の頭が良くなった。とても一般人の子供に「地球をあげます、と言え!」と迫っていた奴だとは思えん。……アイツの知能がこの計画に穴がないと判断したのであれば、星間的な常識で考えれば一般人の宣言でも星全体を挙げた宣言と同等に扱われる、ということなのだろうな……。宇宙人とは迂闊に会話も出来んね。「あの程度」だと「脅迫されて無理矢理……」にもならないようだし。酷い話だ。

 

いや「その星の愛星心を確かめるための遊戯に過ぎない」みたいな考え方もまぁわかるっちゃあわかるんですが……遊戯にしては割と早い段階で子供に手ェ出してたぞ……?「あれは我々でいうところのガチャ爆死スクショツイートとか台パンくらいの意味合い」だとしても……それをやるならもう紳士的とか理性的とかは名乗れなくなってしまうと思うんですが……。まぁ、考え方は色々あっていいさね。

 

今回は露骨に偉い人を狙ってくれたのでむしろ助かったといえるかもしれない。地球人にもわかりやすい形で自分たちを認めさせる必要があったので、その必然性もあったわけだが。

 

日本に長く滞在し、その文化にもある程度以上に精通している。口癖もあってか、こいつが「卑怯もラッキョウもあるものか!」と言ったり、異種族の話になるが「お釈迦様でもご存じあるめぇ!」だの「勝負はまだ一回の表だ!」だのと言うのは違和感が無い……いや、それでもまだ違和感がある。語彙のINTに差がありすぎる。お前らは俗な地球に染まりすぎだ。

 

「勝負はまだ一回の表だ!」に関しては、コイツ、悪事が全部バレて後は巨大化して戦闘するだけ、というその段階で言いましたからね。この番組においてその段階は9回の裏だよ。

 

ちなみに戦闘があんな感じで終わったのは、まぁ、原作再現というやつです。いや理由とか細かい部分は違うけど。でもちょっとやった戦闘は今回の映画で一番好きだったかも。攻撃エフェクトがなんというか、「最近のウルトラマン」然としていてよかったです。変身アイテムもそう見えるといえば見えるか。

 

 

 

アイツ

 

……どっちの名前を書くか、迷ったんですよね……直接やらかしたアイツか、最後に戦ったアイツか……でまぁ、こういう書き方に。これに関してはマジでなんのネタバレも踏んでいなかったので、まぁネタバレ配慮のためにもな。文面全体で配慮する気はないのでまだ見てないのに感想だけよんでいる奴は帰れ。見ろ。

 

いやー……何から手をつけたものかね。ええと……「なんでアイツがアイツを連れてくるんだ!」というところからにします?あの……話の都合による改変、かもしれないけれども、そうではない、それでは済まない、という可能性もあって……。

 

……ちゃんとした情報元、ソースに乏しいので、このブログでは「アイツ(連れてきた方)の『シン・ウルトラマン劇中で呼ばれていた名称』で検索してみよう!」……というに留めます。たぶん詳しい人が言及してると思う……「シン・ウルトラマン上映以前」のページすら見つかる可能性はあるだろう。俺も上映以前から知っている程度には、そこそこ有名なネタのはずだ。

 

……とんでもないところからネタを引っ張ってくるな、庵野……。……仮にも公式があのネタを拾うのかよ……。

 

で、まぁ、あれですよね、アイツ(連れてこられた方)ですよね。

 

……まぁ、来るとはねぇ……。

 

アイツだけはもう、元ネタである「ウルトラマンの怪獣」の姿・設定から大幅に姿を変え、引き継いだのは「技だけ」という潔さなのですが、いやぁ……圧倒的!

 

バリアがちゃんと「シャッター」のエフェクトだったのも良かったんですが、1番はまぁ、アレよ。「温度」よ。

 

「あの温度、とんでもねー事にならねー?」というのは当時から「大きなお友達」に言われていただろうし……「実際とんでもねー事になるよ」というのを、俺は上映前から知っていたのだ……空想科学読本で……!

 

実際庵野が「アレ」から着想を得たのかについては、俺はなんとも言えませんが、まぁ劇場で「被害想定」を聞いた段階で思い出したのは、どうしたって「アレ」だったのですわ。……仮にも公式がそのネタを拾うのかよ……。

 

で、「今回のコイツはこういう設定だけど、この強さは確かにこの名前しかないよなぁ」と思っていたら、お前、脚が……!腰も……!……そうなるのか。そうか。好きにしろ。

 

決着が「人間の手」によるものだったのは原作再現といえば原作再現なのですが、原作が「ウルトラマンでも倒せなかった相手に超強力な爆弾を使ったら勝てた」だったのに対し、結局ウルトラマンの力自体は必要だった、とするのは、個人的には良かったのではないかと思う。

 

超強力な爆弾、強すぎねえ?というのは子供の頃、当時から思っていた事ではあるし、ギエロン星獣のアレとかと繋げるとアレだし……「貧者の薔薇」みたいで、「これはこれでアリ」とも思うのですが……「力を合わせれば一旦退ける(倒せるではない)事自体は出来る(ただしその過程でウルトラマンは死ぬかもしれない。その後に地球を守っていくのは誰なのか)」という落とし所は、映画として良い塩梅だったのでは、と思います。

 

……本当に人類単独でアイツをなんとか出来てしまうと、「ヤベェよアイツら……」度が跳ね上がってしまうしな……多分、もっととんでもねぇのがくる。まだまだ色々居るんだぜ。いや、流石に単発火力で「温度」を超えるのは一握りだろうが。いないわけではないです。

 

 

 

総評としては「見たかったモノ」は「見たかった(けれども公式がやるのは無理だろうなと半ば無自覚に諦めていた)モノ」まで含めて見ることが出来たので、もしも点数をつけるなら満点以外にはないかな、と思います。

 

いや、まぁ、予想は盛大に外してしまったけれども……冷静に考えれば俺の予想は全部別の作品を見ればそれで良い物なので……あんな「アイツ」を作品として見せてくれたのであれば、むしろ「外してくれてありがとう」だろうよ。

 

実際、俺は開始数分、画面一面のマーブル模様が「シン・ゴジラ」に変化→「シン・ウルトラマン」に変化→「……Qだこれ……」の段階で、ううむ……90点は超えてたからねぇ。「カイゲル……?初めて聞く名だな……」と思っていたら、あいつ没の名前だったんですね。いや「没にならなかった」名前も知らなかったが。まだまだ修行が足らんわ。

 

だから「ウルトラマンを全然知らん」人が見に行った場合どうなるか、は、俺は解らん。この辺りも「ゆうえんち」と同質の問題であろうな。知らんで見に行った人、どうでしたか?楽しかったなら良いのですが。

 

「知らんで見に行った人」に対しての心配があるとするならば……ところどころで「『ウルトラマン』のカットを再現したかのような演出」が見られるのだけど、それを「再現」と知らずに見た場合、なんというか古くさい、安っぽい感じがしてしまうかもしれないな、とは思う。いや俺も実際「ここは○話のあのシーンの再現!」とか具体的な事は言えませんが。「どこかで見たような気がする演出」はあったよ。イコールで「よくある演出」なのかもしれんが。

 

まぁけど多分大丈夫だろ。「シン・ゴジラ」も「オタク向け過ぎないか……?」と思っていたら大ヒットしたし。実際興行収入とかえらい事になっているらしいし。人類は割とみんなオタクなんだ。

 

「あの世界観でアイツが出てくる話を見たい!」みたいなのも割とあるようで、造像の余地もある、良い映画でしたよ。ジャミラとかウーとかもそりゃあ面白いは面白いでしょうが、でもあの世界の「怪獣」って、つまりアレだしなぁ……人間が、っていうのは、その、ねぇ……。定番宇宙人としてバルタン星人を、というのもわかるんですが、……「母艦」の処理がなぁ……。

 

続編とか全然見たいので、これからも応援していきたいですね。次はセブンか。

 

……有名どころからエレキング、キングジョー……「宇宙人」枠でメトロンとベガッサ……「アイツ」枠でノンマルト……いや、より「アイツ」度を高めてスペル星人だな。うん。……こうしてみるとやはりネロンガガボラというセレクトが絶妙だな……「有名どころ」を出さない?昨今の視聴者は主人公の無能描写に厳しいから、変身アイテムを盗まれる話はやらない方がいいだろうし、そうなるとエレキング回は改変が必要か。

 

……マジで俺の趣味だけで選ぶとアイアンロックスとかになるんですが、まぁ、その、見た目が完全に「戦艦大和」なんだよなぁ……「戦艦大和」……。……恐竜戦車は良いんじゃないか?作りやすそうな造形だし。

 

つまるところ何が言いたいかというと、妄想膨らむ良い映画でした、ということさ。

 

皆様もぜひ!

 

 

 

終わり方がちょっと唐突な感じはするけれども、それはそれで「ああ、本当に死んだんだな」感があって好きなんですよね。精神世界でちょっと話したりもしない、できないというか……そこに米津がさぁ!米津がさぁ!

 

マジでキリがないんでこの辺でやめときましょう。

よそう。これ以上は無意味だ。

「ゆうえんち」で寒村東吉と握手!

遊園地に行ったことがあるかって?

 

あるにはあるけれど……もうずいぶん昔の話だなぁ。子供の頃……つっても中学生にもなったら、もう家族で遊園地にっていう雰囲気じゃなかったからさ。不景気もあったし。いや、そりゃ当時でも友達とか、恋人とかと行く奴はいたよ?いたけど、俺はつまり、そういう事だったんだよね。

 

1人でもまぁ、行けるか行けないか、っていう話をするなら行けるけどさ、楽しいか?っていう話になると、弱いんだよね。それなり以上に入場料とか、交通費とか取られるし、今だと情勢も色々とあるからさ。

 

よしんば楽しくても、それを共有できない、共有が難しいっていうのが難点で。男一人で遊園地に行って「楽しい!」とか言っちゃうと、「強がってる」なんて思われるのはまだいい方で……っていうのは、さすがに被害妄想が過ぎるかな。

 

……そんな事聞いてない?

 

……あ、「ゆうえんち」の話か。

 

行ったことあるわけないだろ。俺に何を聞いてるんだよ。

 

 

刃牙ワールド×獏ワールド!!

 

ゆうえんち、という伝説の場所をめぐり、強き男たちの生き様を描くーー!!誰よりも強くなりたいと願う少年、葛城無門。無門はなぜ“ゆうえんち”を探し出そうとしているのか?そのゆうえんちには一体何があるのか!?

 

格闘漫画の金字塔「刃牙」シリーズの板垣恵介
本格格闘小説の父・夢枕獏
新進気鋭の漫画家・藤田勇利亜
夢のチームが織りなす真格闘伝説!!

 

夢枕獏が描く「刃牙ワールド」に「餓狼伝』や『獅子の門』のキャラクターまで登場する超ド級エンターテイメント開幕‼︎

(1巻 表紙裏より引用)

 

寒村ね、寒村東吉の話か。

 

アイツは元々、刃牙のキャラクターじゃないんだよ。「謝男」っていう、板垣先生が書いた別の漫画のキャラクターだね。準レギュラーっていうか、まぁ、複数回出番があったよ。目立つ顔だから、印象に残っててね。

 

目立つ顔。ううん、なんていうかな。本人も言ってるから言っちゃうけど、まず目が散眼みたいになってて、焦点があってないの。あと歯茎が剥き出しなんだ。上も下もね。歯並びもそれなり以上に悪いから、印象としてはなんというか、お世辞にも格好いいとは言えないというか、「中の下」くらいの評価でお茶を濁してもまだお世辞になっちゃうかなぁというか、まぁ、そういう奴だったんだよ。

 

多感な高校生のソイツはさ、まぁ、そんな状況だったから、どうにかしようと思ったんだけど、どうすればいいのかわからなくて、結果、開運グッズというか、スピリチュアル方面のモノを買い漁っちゃったんだな。

 

ああ、効かなかったよ。

 

少なくとも本人は「効かない」と、そう判断せざるを得なかったようだな。買う前に気がつきゃ良かったんだけど、まぁ「効かない」と気付けただけで大したもんか。気付けない、気付こうとしない大人も多いからなぁ。

 

で、状況がますます悪化したソイツが、土下座を武器に立ち回る教師、拝一穴と出会いどうなるか、というのが「謝男」で寒村がメインを張る回(1巻 2話)のあらすじだね。うん、土下座は武器になるんだよ。板垣先生の編集もそう言っている。

 

ちなみに板垣先生は以前RIN先生と共同で「どげせん」という作品を書いていたんだけれども、「土下座性(土下座や作品に対する考え方)の違い」によって解散し、以降それぞれ別々の作品を書く事になったんだ。「謝男」はその板垣先生サイドの作品(RIN先生は「どげせんR」)。まぁ興味があればいずれか読んでみるといいよ。

 

両先生の「土下座性」について、どこがどう違ってしまったのか、考察してみるのも面白いんじゃないかな。俺はやらない(やろうとしたけど記事になるレベルで纏まらなかった。まだ『別作品を同一のテーマで比較する』には実力が至らないと実感した……実際には「土下座性」というよりは「仕事感」の問題が強いみたいだし)けれども。

 

……作品のノリとしては「謝男」の方が好きではあるんだが、単話として1番好きなのは「どげせん」の「大木に土下座する」話なんだよなぁ……いやあの話はあの話で板垣成分がかなり濃い部類だろうが。そもそもその言葉の出典が。あの言葉自体は謝男にも出てたかな。あと最終話は「どげせん」のスケール感が好きです。やはりどうせ土下座をテーマにするのであればあのくらいはでっち上げてもらわなくては。

 

閑話休題

 

そんな「別の漫画の印象に残る脇役」が、寒村東吉が、バキの外伝に出てきたんだよ。しかもだ、ただのファンサービスってわけじゃなくて、ちゃんと「寒村東吉でなければ駄目な役回り」として登場してくれたんだ。

 

マスター国松の門下だったんだよ、寒村東吉。

 

あの学校の校長、国松拳っていうんで、まぁ、マスター国松のお兄ちゃんだったみたいでね、その縁でマスター国松の道場、いや彼にしてみりゃかなり健全な部類(少なくとも暗殺技術は教えない)の道場だとは思うけど、そこに入って、フロントチョークを習得し、その技術で拝先生をオトしたんだなぁ。

 

……あ、言っちゃった。まぁいいや。拝先生は色々あって寒村にフロントチョークでオトされるんだよ。いやまぁ、その前に色々やりとりがあって、そのやりとりが本題だからさ、読むがいいさ。

 

そう言われてみりゃ確かに国松校長先生、顔の雰囲気とかは似てるように見えてくるから不思議だよねぇ。案外、裏設定として板垣先生の脳内には前々からあったのかもね。

 

それに拝先生の土下座を無理矢理にでも止めるっていうのは、これはすごい事なんだよね。あの人が「土下座をする」と決めたなら、なかなか土下座されずにはいられないんだよ。めちゃくちゃ強い口調で止めた人とかも居るんだけど、それでも下げる頭自体は止められなかったからねぇ。

 

そういう奴の土下座を止めた技が、マスター国松の直伝だとしたら、これは確かに納得できるんだよ。不意をつく、というか、呼吸の間を縫う、というか、そういう技術の話になってくるのかもしれないな。

 

で、そんな寒村が登場して何を話すのか、というと、これは「あるキャラ」の目撃証言なんだ。ううん、バキの読者なら知っている奴だとは思うけど、一応隠しとくよ。まぁアレだよ、マスター国松が話題に出たじゃん。その流れ。うん、アイツ。本編の方ね。

 

ここで「アイツが出るような場所になぜ寒村が居たのか」というところに、また「解釈」が光ってくるんだな。あの後寒村がどういう道を辿ったのか、それをある程度読者に委ねた上で、最終的にはこうなりました、という着地点として、俺は実にすんなりと「寒村の現在」を受け入れることができた。まぁ、人による部分は大きいと思うけどさ。

 

要するに、だよ。寒村東吉の登場って言うのは、単なる「分かる人には分かるファンサービス」じゃ、ないんだよな。

 

そのキャラクターが原作で何を為したのか。それを、その行動を「事実」としてまずとらえるだろ。次に、どうしてそういう行動をしたのか、その行動の後に何が起こったのか、これを「解釈」するだろう。そうしたら、その「解釈」を、物語の本筋に、無理が出ない程度に丁寧にからめていく。

 

俺は別に小説とか書いたことは、そんなにないけどさ、いや、出来ないよ。並みの難易度じゃないだろ、これ。そのくらいはわかるよ。素人だけどさ。

 

そんな「分かる人には分かるファンサービス(Lv100)」だらけだからさ、とにかくバキの読者なら、読んでほしいんだよね。いや、「分からない人」にも楽しめると思う。俺は獏先生の出典の方のネタは、漫画版餓狼伝くらいしか拾えなかったけれども、それでも全然楽しめたからさ。ただ、「バキ」は読んでないと、話の流れがわかりにくいかもしれない。わかんない。読んでない読者のことを、あんまり正確に考えられないんだよね。俺は読んじゃってるからさ。

 

でも、それはそれで貴重な体験になるかもしれないからさ、挑戦してみてもいいんじゃないかな。

 

あともう言っちゃうけれども。あんまり行儀の良い作品の勧め方じゃないんだけどさ。成田良悟先生の二次創作……BLEACHのノベライズとか、Fate/strange fakeとか、あの感じが好きな人も、バキ解るなら、解らなくとも、読んでみればいいと思うよ。まぁ、この人たちはひょっとしたら、寒村の下り読んだ時点でもう買いに動いてるかもしれないけどね。

 

ああ、本筋の話だろう。わかってるわかってる。

 

もちろん、面白いよ。決まってるじゃないの。

 

これで「寒村が出てくるのは良かったけど本筋はそんなに……」とか言い出したら、俺ひどい奴じゃないの。

 

謎の美青年、葛城無門。その師の名は松本太山。だがその師弟関係は、ある時突然終わりを告げる。師匠を「壊した」その技は。その使い手とは。すべての謎は「ゆうえんち」に。

 

……というのを軸にして、「葛城無門とは何者なのか」とか、「『ゆうえんち』に集う変態強者たち」とかを絡めていく。となれば文句なしに面白い。戦闘描写に関しては、今更俺がどうこういう方が野暮ってモノだろう。

 

序盤で気に入ったポイントとすれば、マスター国松の「強さ」の描かれ方かな。マスター国松が「強い」っていうのは、まぁ、分かっていたことではあるじゃない。ただ、あの人が直接戦うところっていうのは、本編では結局ないんだよね。

 

で、今回戦うわけだけど、ううむ、マスター国松という「個性」……「隻腕」という「個性」だよね。無くした左腕から繰り出されるは袖による完全な鞭打。もちろんそんな一発ネタじゃ終わらないよ。空足、そして。……ただの「強い」じゃない、「『妖怪じみて』強い」という、その言葉の意味を感じさせてくれたよ。

 

個人的に気に入ったポイントはさ、「相手が怖がれば怖がるほど妖怪は嬉しい」という文章がそのままマスター国松の「本質」だとすればさ、それはそのまま「疵面」のマスター国松だとしても「読める」ところかな。

 

疵面のマスター国松は、そりゃあそんなに飛び抜けて「強い」とは描かれていなかったというか、露悪的な言い方をすりゃあ、ちょっとした中間管理職の苦労人だったけれどもさ、あの時マスター国松が戦っていたのって、主に花山だろ、レックスだろ、戦っていたというかは微妙だけど、上司としてG.Mだろう?

 

怖がらねえもんアイツら。そりゃあ妖怪は本領を発揮できないよ。なんだったら、むしろ本人が怖がってたからね。そりゃあダメダメですよ。

 

「殺す技を受けると怖がらずに嬉しくなる」……そんな変態、種族名「強いんだ星人」全般と相性が悪いんだろうね、マスター国松さん。本編での活動も、その辺りで難しいのかもしれない。主要登場人物がほぼ全員強いんだ星人だからね、本編。

 

とにかく、読んでいて面白いにとどまらず、ただひたすらに読んでいて楽しい、良い小説でした。

 

実はまだ全部読んだわけじゃないんだけどね。3巻までしか読んでないけどね。

 

我慢できずに書いちゃった。ま、後悔はしないだろう。

 

渋川の爺ちゃんがインタビュー中にちょくちょく「お?やんのか?」してきて怖かったとさ。あの爺さん、マジで堅気に手を出した実績があるから。

デイビッド・ライスが3人……来るぞ遊馬!「アナキズム・ナウ」

今号の特集、アナキズム・ナウはアナキズム(無政府主義)に関する特集ですが、主義主張としての「アナキズム」について語るには(いや俺がいつもやっている事は『やいのやいの野次を飛ばす』レベルだけどしかしそれにしたって)俺の不勉強が過ぎ、そして何よりこのブログでは「政治的な話題はやらねえ!」と決めているので、この記事ではアナキズム・ナウに含まれるインタビューやエッセイ等については触れず、ジャンル「創作」のものだけを、ただ「創作」として読んでいきます。

 

だから「アナキズムは良いぞ!」な人や「アナキズムは悪いぞ!」な人は、ここにあなたの求めるものは多分ありませんのでご容赦を。お帰りはあちらです。

 

さてアナキズムの話は終わり(マジで終わりです。創作は創作としてただ読むので「この作品におけるアナキズムの在り方とは〜」みたいな事は、しないよ!)だ!

 

デイビッド・ライスの話をしようぜ!

 

いや下の文を全部書いた後でこの前書きを書いとるんですが、結局下の文のどこにもデイビッド・ライスの詳しい紹介を書けなかったので、ここに書いておこうと思って。ちょっと魔人探偵脳噛ネウロネタバレ入りますよ。

 

1エピソードで終わる事件の、そこにしか出てこない奴だから、物語的には全然軽いネタバレですが。トリックとかは言わんし。説明しにくいのよこの事件のトリック、心理誘導系だから……。

 

デイビッド・ライスは魔人探偵脳噛ネウロというミステリに見せかけた痛快娯楽漫画(1巻カバー裏にて作者が公認しているジャンル)に登場する、まぁ、ただの容疑者Aにそんなに書くこともないんで紙幅を費やす時点で察する人もいるだろうから言ってしまいますが、犯人です。

 

ネウロの犯人は「犯人」だと確定するとみんながみんな、個性豊かな恐ろしい姿に変身し、「俺はこんな動機で犯行をしたんだ!」と演説をしてくる(主人公のネウロは動機にはそんなに興味ないので( ´_ゝ`)フーンって感じで聞いてる。演説の内容によっては拷問のネタにする事もある)のですが、デイビッド・ライスの演説は特に酷い。

 

「ボクの国ではみんな…」「ハンバーガーとバーベキューしか食べませーん…」

 

「ボクの国では夜寝る時は…」「裸にGパンって決まってマース…」

 

「ボクの国ではホームランが打ちたかったら薬物とコルクバット使いマース」

 

(魔人探偵脳噛ネウロ 4巻34話【外】)

 

徹底して「ボクの国」の美徳を誇示し続けるデイビッド・ライス……そんな彼はそもそもなぜ愛する「ボクの国」を離れ、日本にまでやってきたのか?彼が凶行に及んだ理由とは?

……是非とも読んでみてください。いやマジで面白いので脳噛ネウロ。マジで酷いのでデイビッド・ライス。偉そうに演説してるけど、お前結局のところ直接の理由はフラれた腹いせじゃねえか!

 

……マジで酷いけど、居るには居るんだよな……流石に国を実際越えるほどのやる気があるやつはなかなか見……ネットだとそこそこ見るな。本当に越えてんのかな。越えてるのも居るには居るんやろな。

 

……はい、ネウロを語り出すと電人HALとかXiとかiとか6とか葛西のおじさんにまで話が及びますのでね、この辺りにしておきましょう!ちなみに俺が好きな単発怪人犯人は噛み切り美容師です。また今度書く。

 

デイビッド・ライスについては、とりあえず上の「ボクの国では〜」発言をなんとなく覚えておけば下の文で言いたいことは伝わるんじゃねえかな。君は果たして気づけるだろうか。そういう意味でもマジで酷いんだよな……。

 

愛の楽園

 

国から逃げ出した「柔らかいアナキスト」のコミュニティ運営の話。

 

市が立つ日にはコミュニティーの人々だけでなく、国から、役所が発行した鑑札を持った商売人がやって来る。 YENも使われているが、物々交換の方が盛んだ。 商売人だけでなく、国から警察や役人がやって来ることもある。彼らはコミュニティーの存在を認めず、戸籍への再登録や税金の支払いといった「国民としての義務」の履行を、法律を楯に律儀に求めてくる。その姿は恰も国にいた頃のNHKの集金人のようで、我々は一種の憐れみと軽蔑を以って彼らを退したり無視したりしている。

(文學界 二〇二二年四月号 P37)

 

「国」が「どこの何という国なのか」は一応明言されてはいない。通貨はYENであり、「NHKの集金人」も存在するが、どこの国かは明言されていない。

 

……コレはアレですね、デイビッド・ライスの出身国が「どこなのか」を明言しないメソッドだ。

 

気がついたかい?アイツ、自分の国のことは色々と言っていたけれど、「具体的に何という国なのか」、国名は最後まで出してないのですよ……。アニメ版では「ボクの国」が「ボク」に改変されたけどな……。あと豹変具合もちょっと変わって、なんというか漫画的というか、いやネウロは最初から漫画なんだけど、えーと、カートゥーン的というか……コレ国名出さずにやるのやっぱり無理だって。

 

「コミュニティーには自由と平等と安全はあるが、どうにも退屈で面白くも何ともない。こんなことなら、 国と戦っていた時の方がずっと刺激的だった」と彼は言った。
「考え直せ。俺達はサダオが好きなんだ」
「サダオがいるからまとまってやってこられたのではないか」
「お前はコミュニティーにとって扇の要なんだぞ」
ここが詰まらないから出て行くというサダオに対して、コミュニティーになくてはならない存在だから慰留するというのは悪しきコミュニティー至上主義であり、サダオを鎖に繋ぐに等しい暴挙ではないかと思われた。

(文學界 二〇二二年四月号 P39)

 

平和ないわゆるスローライフも、合わない人は全然いるらしいですからね。特に一般に想像される「田舎の人間関係」よりもさらに濃密なアレだろうから、嫌になるのも無理はないが。

 

それはそれとして現場の前線で活躍した人を安易に管理職にするのをやめろと何度言えば……。本人が望んでいるならまだしも……。乗り気じゃない管理職に指示出されるのもこちらはアレなんですよ?

 

ここに来た瞬間から、私はこのコミュニティーを支配している「文脈」のようなものに馴染めなかった。その性善説。とことん話し合えば必ず最善の結論に達し、誰一人置いてきぼりにされることはないという出所不明の過剰な自信。「愛」至上主義。誰の顔を見ても投げ返される 「あなたのことは全て分かっていますよ」 「心配しないで」 「ようこそ我がコミュニティーへ」という眼差しと、気味の悪い薄笑み。 二十四時間三百六十五日、互いの気持ちや真意を慮り続けなければならず、メンバーの誰もが「地上の楽園・我がコミュニティ―」という三文芝居の役を嬉々として演じている。

(文學界 二〇二二年四月号 P40-41)

 

まぁいかにも先鋭化しそうな思想だものよ、という話になってくるのですわ。疑問に思ってしまえば、その時点でもはやその集団からははみ出し者よ。たまに100%素で馴染める人がいて、まぁ、すげぇなぁ、とは思う。

 

 

……あらららら。まぁ、予想はしていたが。予想よりもだいぶアグレッシブ。

 

読み終わりました。最終的にどうなるか、は予想できていたけれども、俺はてっきり女の子も同じ末路を辿るかと……。いやどうなんだろう、あの後……あの子一人なら大丈夫かな。大丈夫ではないだろうが……命は助かる……しかしこのコミュニティ、恐らく寿命はそう長くないというか……。

 

コミュニティの規模自体からして、理念から想像されるほどの多様性を認める余地がないんよな……。遅かれ早かれ、という話になってしまうか。

 

人間、敵がいなくなると作り出す生き物だからね。しょうがないね。人類は愚か。

 

血を流す

 

「血を流す」事に関心がある子供の話。

 

もちろん血は流れないほうがよい。血を流すほどの怪我をするというのはただただ不運のあらわれであって、そこには本来なんの喜びもない。しかし、その怪我が後遺症をもたらさない程度のものである限りにおいて、私たちはそこに美や名誉や誇りを見出すことがある。それはとくに子ども時代に顕著である。自分が傍観者でしかなかった際にはなおさらそうだ。 アニメの主人公が度重なる戦いによって額から、 唇の端から流す血に、私たちはどれだけ憧れただろう。

(文學界 二〇二二年四月号 P44)

 

まぁ、解らんでもない。「その後の生活」に影響が出ない程度であれば、子供のうちには憧れることもあるだろう。アニメを例に出されるとなかなか否定がしづらい……。厨二の頃の記憶が蘇る……。具体的なエピソードは言いませんけど……。

 

私が外出血もしないつまらない捻挫や擦り傷程度のシケた怪我ではなく、ちゃんと血を流す怪我をしたのは9歳のときで、受傷箇所は偶然にも1歳のときと同じく左手の人差し指の腹だった。

(文學界 二〇二二年四月号 P46)

 

怪我に「シケた」っていう奴初めて見たな。

 

この辺りの怪我の表現、生々しいというか、実に痛々しいんですよね……。だからこそ生々しい、こんなモノ(今となっては『こんなモノ』でしかないのよなぁ、嫌だよ、流血……)に憧れていた

 

……この年頃の子供の「特別な出血」となると、なるほど、それが来るか。……それにしても無茶をするなぁ。それなり以上に精神的にも不快だと伝え聞くが。

 

読み終わりました。エッセイかと思ったが、ジャンルは創作でした。私小説とエッセイの差とは何か。まだまだ俺には難しい問題だ。

 

そんなに変な子ではない……いやこの子の理屈はまだまだ共感できる方ですよ?マジでよくわからない自分だけの理屈をこねくり回してセルフで死にに行く子供、山ほど居るので。死人は語れないのでどうしても生存バイアスがかかるのだなぁ。

 

…………身内のエピソード晒そうかと思ったけど、やめておこう。特定されたら殺されかねん。死にかけたエピソードを晒して殺されるの、シンプルに悪い冗談であるな。

 

ヌートリア過ぎて

 

ひさしぶりに友達と会って話す話。

 

どの顔もマスクに覆われ目元には生気だか精気だか覇気だかがない。それは長引くいつ終わるともわからない感染症のせいのような、いやいつだって前だってこんなものだったような気もする。そういう国、そういう地方都市、そういう駅のそういう通り、いっとき私の職場もリモートワークを導入した。 いい面と悪い面があり、いい面を享受した人と悪い面を享受した人の層が必ずしも重ならず、そして上に立つ人ほどその悪い面を重視する傾向にあったためにいまは原則全員リアル出勤ということになっている。

(文學界 二〇二二年四月号 P49)

 

お、「現代」だ。コレもハッキリとした病名はない……デイビッド・ライス・メソッドか?「現代」は時系列が限定され過ぎてしまうから、というのもあるかな。

 

現在進行形で猛威をふるいまくっているから、あんまり不用意に明言した上で「この病気は〜が特徴で〜」とか、「〜が有効とされていて〜」とか、言えないのかもしれない。発表後に変わりかねん。変異とか急にやるから。

 

「手洗いうがいが有効」「とりあえずマスクはしておけ」くらいは、まぁ、今後も恐らくずっと変わらないのかな……?あんまり書くと薬機法的な何かに触れるかもしれないし……コレも隠す必然性はあるか。

 

川、泳ぐ、動物、日本と検索すると一番上にヌートリアと出てきた。これじゃない?わーこれだ。えー特定外来生物だって。 しっぽ長いね、それはわかんなかったな。顔だけだったり全身だったり水中だったり陸地にいたり大きさも解像度も遠近もまちまちの画像は、かわいらしくも獰猛そうにも愚かにも聡明にも見えた。 泳ぎうまいんだ。でっかいネズミだね。ネズミかあ。

(文學界 二〇二二年四月号 P50-51)

 

ヌートリアは見たことが無いんですよね……いないならいないのが一番良いんでしょうが。

 

特定外来生物(ただし見た目は良い)の駆除は、地元住民が嫌がる場合もあり、なかなか難しいと聞いております。こんなところにもルッキズム。ゲジは益虫だが不快害虫だ。

 

しかしヌートリアはどうでしょうね。そこそこデカい濡れ鼠だからな。怖がる人もいるだろう。カピバラ、近くで見た事あります?俺はあるし、憮然とした表情がどちらかといえば好きなんですけど、アイツが「可愛い系」で売り出されている現状には、違和感があります。

 

巨大ネズミはイグアナとかの枠だろ……。いやイグアナはイグアナで全然可愛いけど、ストレートな可愛さではないというか……。

 

例えばデフォルメされたカピバラのぬいぐるみみたいなもの(そんなキャラ昔居ましたね)を好いている子供が居たとして、その子が良かれと思ったご両親に実在カピバラを見せられてギャン泣きした場合、それを俺がみた際のリアクションは「……あぁ……」ですね。やはりそうなるか、くらいのリアクションになる。

 

ストレートに喜んでいる子を見た場合のリアクションも「……あぁ……」ですが。子供はイグアナとか案外好きだからね。御両親が気持ち悪がるから空気を読んで同調する場合もあるが。それを見た際のリアクションも「……あぁ……」。基本的にリアクションがカオナシのそれ

 

学校の変な事件、聞いてるだけなら面白いんですけど、当事者はまぁ笑えないよね。

 

昔「お前たちは目に余る!具体的に何があったかは言わないが当事者は解っているはずだ!」で学年全員が集められた事がありましたが、アレはな、当事者だけを呼べ、と、強めに思った。ひたすら「何に怒っているのか」をボカされたまま怒られるのは、ある種貴重な体験ではあった。

 

読み終わりました。「」無しの会話を句読点区切りで延々繋げるのって純文学でアリなんだ。流石にもうそんなに驚きませんが。大概なんでも「ナシではない」んだろうな。アリアリナシよ。

 

多少の読みにくさ(話題の区切りがわかりにくい)はあったけれども、面白かったです。話題が飛び飛びであるとか、そういうのも含めて、「久しぶりにあった友達との会話」然としていたように思う。

 

「」無しで会話と情景描写というか、諸々をつなげていくもんだからよぉ、友達と別れて、一人で帰る場面になった事に、所見ではなかなか気づけなかったのぜ。この辺りは単純に俺の読解力の問題になっていくような気もするが。

 

AはAのA

 

出会い系か何かで出会った女性と「新しい経験」を積んだ男の話。

 

「無の表情をした色気のない格好の女」で「二人称が『きみ』」……。

 

……癖……ッ!

 

A子のゴム手をしていないほうの手が地味なパンツを放り投げ、リュックサックを掴み、その中身をベッドの上にぶちまけた。それはいわゆる、大人のオモチャ類だった。 細いのから太いのまで、禍々しい色と形のディルドが十本近くある。

文學界 二〇二二年四月号 P59)

 

……審議……ッ!

 

……20分くらい目を瞑って考えましたが、「not  for me」ではあるだろう、との結論に至りました。しかしコレは否定ではない。俺じゃない誰かの癖には刺さるだろう。こういう作品があるのは良い事だ。

 

誰ですか?挿さるとか言ったのは。

 

「道は全て独りで歩いていくものなんだ。きみがあの先の景色を見たいのなら、自分で進んで行くしかない。私は最初のドアを開けただけだ。きみは受け入れることができた。だからもう自分の力で先に行ける」

(文學界 二〇二二年四月号 P62)

 

最初のドアっていうか、性癖の扉……。

 

いや、まぁ、君がいいならそれでいいんだけれども……。……彼女はそんな直接的な意味での「孤独の癒し方」を勧めていたわけではない、と思うんだけど……いや、まぁ、君がいいならそれでいいんだが……。

 

この辺りは単純に俺の読解力の問題になっていくような気もするし。彼女は「それ」を確かに勧めていたのだ、お前の読解力では難しかったかもしれないが、と言われれば、俺は何も言えないよ。

 

読み終わりました。なんか、アレですね……レベルを急に上げ過ぎていないだろうか。ラストのアレ、かなり大きそうというか……コレはだから、アレよ。会うまでの間に、着実にレベルを上げているかどうか。そこを読者の想像に委ねているのよ。

 

真面目な話をするとプレイの後の「優しさ」であるとか「孤独」についての考え方、文章は非常に面白かったですよ。分かりやすさと面白さが両立されていた。

 

それはそれとして誰かの性癖には刺さるだろう。

 

あと断っておくが、上に「真面目な話をすると」とは書いたけれども、俺は常に真面目な話をしている。上の「真面目な話をすると」は、正確に言えば「(世間一般の感覚として)真面目(であると受け取られるよう)な話をすると」である。癖の話も真面目にやっている。わかったか。

 

 

じゃじゃ馬ロマンサー

 

自作小説の出版を持ちかけられた美人モデルの話

 

この気候を知らない日本人などは、私がおしゃれのために痩せ我慢しているのだと思うかもしれないけれど、本当に過ごし良いのだ。 空気の温度だけではなく、その硬さも違う気がする。軽くて吸いやすいし。 夏が待ち遠しくて私は、半年後に何を着ようか、肌をどれくらい露出させようか今から考えている。

(文學界 二〇二二年四月号 P63)

 

日本の気候の嫌な部分は、大体「湿気」らしいですからねぇ。多分この体感温度の差も、そこに由来するのでは。知らんけど。

 

「もうやめて。恥ずかしいよ」
「僕はそのうち、妻が小説家として大成するんじゃないかと踏んでいるんですよ。あと小説だけじゃなくて、映画の脚本とかもやったらいいのにって思いますよ」
旦那は笑う。
私は私の作品を私の作品として世に出すつもりはこれまでもこれからも一切無く、しばしば「読ませてもらえないか」と、本心か社交辞令かお願いされるのだけれど、やんわりと、しかし頑なに断り続けている。

(文學界 二〇二二年四月号 P65-66)

 

……あ、マジで嫌だったんですね……すみません、そういうテイで、夫婦コンビでアピールしているのかと思いました……。


ちなみに「なぜ嫌なのか」はこの後の文章ですぐわかります。単に見られて恥ずかしい、とか、そういうわけではないのだ……。……そりゃ嫌だろうよ!

 

でも真面目に創作のモチベーションが「それ」だ、という人が割といる、という話は聞きますね。言うか言わないかはまぁ当人の自由よ。あとは出版社さんの意向よ。ビジネスの観点からそういったモチベーションを「でっちあげる」事すらも、それ自体を否定されるべきではないだろう。

 

仮に旦那が悪い人だったとする。 そんな人と結婚するからには、色々な、大きな反対を押し切らなくてはいけなくなるのは当然だとして、じゃあそのめちゃくちゃ困難な周囲の抵抗を押し切れる私という女は、間違いなく美しいということになる。なぜなら女としての美しさは、本気で好きな人を自分で選べる能力の有無に左右されているから。

(文學界 二〇二二年四月号 P71)

 

この自らの「美」に対するスタンスはどこかで見たことがあるんですが、どこだったっけな……。

 

……Fate(FGO)のメイヴに近いか?彼女は「彼氏が悪だと仮定すれば、その困難を乗り越え恋を成就させた私は美しい」ではなくて、「私は確かに悪であるが、その程度の困難は容易く乗り越え恋を成就さえてみせる」的な感じになるだろうから、より気合が入っているというかなんというか……。

 

……まぁメイヴちゃん持ってねえから、キャラ把握的にはいまいちなのですが!

 

ジャンル
異世界/恋愛

 

〈R15〉15歳未満の方は移動してください。
この作品には[残酷描写が含まれています。

 

タイトル
賎民に転生した皇女が持ち前の高飛車ぶりを発揮したら、易姓革命を起こせた

 

作者: オジサニータ

(文學界 二〇二二年四月号 P72)

 

…………『あのサイト』だ……!ジャンルのルールが整備された後の……『あのサイト』だ……!

 

そしてまた立ちはだかるのか……デイビッド・ライス・メソッド……!

 

いやマジで「『あのサイト』系」とされる作品と実際の「あのサイト」の流行というかトレンドにはかなりの乖離があると聞くからな。

 

要素が乖離しているだけならまぁまだ捉え方の問題で収まらなくもないんだけど、事実として「『あのサイト』出身ではない作品」まで「『あのサイト』系」とされていたりして、もう訳がわかりませんが、ともかく一部の読書好きには「あのサイト」の名前を出しただけでだいぶ先入観が湧いてしまうようなので、ここを隠すのは納得できる。

 

……斉藤さん、ここまでされてイケるのはそこそこすげえと思うよ。そこまで強気というか、経験豊富だったりとかにも見えないのに、この自信はどこから来るんだ。

 

死んだ!まぁコレは多分、本当にただの不幸な事故。消されたとかではないんだろうな、と謎の確信がある。

読み終わりました。

 

面白かったです。現状一番好きかな。斎藤さんとの行為中にも描写としてメインで描かれるのは旦那さんなんだけれども、これはNTRなのか、NTRだとすれば、Rの読み方は果たしてどちらなのか?奥深いですね。NTL表記、存在は知っているけど定着はしねえな。いや、俺は全然詳しくないんですけどね。

 

もう一つの世界は可能だ

 

昔のアナキストの友人について男が語る話

 

読書会には、アナキストが一人来ていた。名前は仮にトライアンとしておこう。彼は筋金入りだった。風呂に入らなかったんだ。
風呂に? わたしは聞き返した。
入浴みたいなプチブル的で小市民的な行為に、我慢がならなかったんだ。風呂に入ることで、自分がブルジョワの手先みたいになるのが嫌だったんだと思う。

(文學界 二〇二二年四月号 P78)

 

今回の企画で「アイツはアナキストだ」と第三者に認定されるような人物が出てくるのは初めてかな。それがコイツで良いのか。良いんじゃない?

 

アナキスト基準だと、「風呂に入る」でもプチブル・小市民になってしまうのか?

 

……まぁ確かに庶民が気軽に毎日入れる様になったのはここ100年くらいの事かもしれんが……もう少し前からか?風呂好き民族だからなぁ。

 

ブレックファーストクラブにはトロツキストのジョージも参加していた。

(文學界 二〇二二年四月号 P79)

 

また変なのが出てきた。トロツキスト

 

……共産主義者社会主義者の一派ではあるらしい、のだが……彼らの中でもかなり賛否が分かれるというか、なんというか……あんまり不用意に触れたくねえなぁ。特にこのご時世においては……。

 

スローガンは、そりゃ、今となっては、ちょっと綺麗事に聞こえるかもしれない。うん。でもスローガンは立派だったけど、当時だって、それを担っていた一人一人は別に立派だったわけじゃないよ。だから、別にいいんじゃないの?

(文學界 二〇二二年四月号 P81)

 

今回の企画の総括、コレで良いんじゃないかという気もするな。別に立派じゃない人たちが、それでも綺麗事のスローガンの元に集い、なんか、ワイワイやるのである。別にいいんじゃない?

 

「別にいい」って言う、この言葉のチョイスも意味深ではあるが。

 

読み終わりました。物語としては登場人物の昔話というか、1エピソードを聞くだけ、みたいな感じだったのですが、先の総括というか、これを締めに置いた意味、みたいなものをちょっと考えてしまうな。

 

 

 

読み終わりました。どれも面白かったです。「じゃじゃ馬ロマンサー」「血を流す」「ヌートリア過ぎて」が3強かな。俺の好みでしかないけれども。

 

それにしても不思議なモノで、デイビッド・ライス・メソッドが使われていると、そのデイビッド・ライス・メソッドを使って隠されている文言を暴くのが、なんとなく無粋に感じてしまう。

 

というかネタにしてしまったけれども、多分俺もこのブログで何回か使っておるからな、デイビッド・ライス・メソッド。

 

デイビッド・ライスを覗くとき、デイビッド・ライスもまたお前を覗いているのだ。納豆を食いながら。

 

……まだ食ってんのか、アイツ……。食わないと呼吸がなぁ……。刑務所の中でも特例で食ってるくらいだからなぁ……。ありゃあネウロが帰ったらさすがに解除されるんでしょうか。……されない気がするなぁ……もう完全に寄生されきってるから……半ば受肉した状態というかなんというか……そう考えるとトップクラスに悲惨な犯人なのでは、デイビッド・ライス……。

 

……でも同情する気にはそんなになれないなぁ。ド外道なのは確かだし……。

ヤバい奴はどこにでも居るし、エクスデスも居る「田舎のサイケ野郎」

【あらすじ】田舎で一人暮らしをしている主人公。サイケ野郎に喧嘩を売られたり、住職さんと話したり、綱渡りの少女に綱渡りを見せてもらったりする。

 

 

一年前は、腐った大木が斜面から落ちてきて、隣の家は半壊してしまった。当時、そこに住んでいたミヨタさんは、「寝てたら、爆撃されたような大きな音がして、目を開けると外だった」と話していた。

文學界 二〇二二年三月 P146)

 

木、瞬間的に生えてきたのか……?竹とかなら一晩で家に大ダメージを与えることもあり得るだろうか。でも細いからな。半壊までいくか?

 

ところで忍者が竹を飛び越してジャンプ力を鍛えていたっていうのは、あれはどうも嘘っぽいです。まぁ……どう考えても調節とか不便だしな……。実際には穴を掘って、そこからジャンプで出る訓練をしていたのではないかとかなんとか何かで読みました。まぁ竹を飛び越える訓練は、どう考えても無理がある……けれども、フィクション的には何というか、画になるので、今後も忍者は竹を飛び超えるモノ、というミームは生き続けるでしょう。

 

本当にその修行を真に受けてしまったアメリカ人忍者、シャドーファルコン=サンの話は、また今度にしましょう。ブラクラの小説版(1巻)に出てくる忍者です。怒るからピザ好きなカメの話はするなよ。ちょっとネタバレだけど実は2巻にもでるよ

 

「どうしましたか?」
「象が」
「象?」
「バンダラさんのカレーのニオイを嗅いだら、象が川で水浴びをはじめたんです」
「そうすか」
「その姿を見てたら涙が出てきました」
川を見ると象はいなくなっていたが、バンダラさんは、ゆっくり目を細めて微笑んだ。
スリランカには、たくさん象がいますからね、わたしの使っているスパイスも象が町まで運んだものかもしれません。だから、わたしのカレーのニオイを嗅げば象が出てくることだってあります」

文學界 二〇二二年三月 P146-147)

 

バンダラさんの対応、大人ですね。街中にあるインド料理屋さんは実際はほとんどスリランカの方の人だとかなんとか。「そうすか」っていうのは、フランクにしゃべっているだけか、脱字か、判断に困るところだな。まぁ、フランクだろう。

 

99のブループリントの内戦パートとかもそうだったけれども、登場人物が突然幻覚を見て、その幻覚がストーリー上においては特に意味をなさず(読み解いていけば何かしらのメタファーだったりはするかもしれないけれども)敢えて言えば一発ネタみたいな感覚の「ただの幻覚」で終わるの、アリなんですね。そうなんだ。そうですか。

 

この後も花を食ってたらおじいさんに怒られたり、パンを口の中で暴れさせたりします。めちゃくちゃな野郎だぜ。

 

向こうからサイケ野郎が歩いてくるのが見えた。緑色のジャージズボンに雪駄を履き、ヨレヨレの黄色い長袖Tシャツに、ワッペンがいろいろ貼りついている茶色いドテラを羽織っている。年齢は五十歳くらいで、丸い形の黒いサングラスをかけていて、茶色い山高帽子をかぶっている。

文學界 二〇二二年三月 P150)

 

そしてサイケ野郎の登場だ。タイトルにもなっている、重要人物だ。タイトルが重要な要素だとは限りませんけれども。99のブループリントも、ブループリントは1枚も出てこなかった。ブループリントって何か知らんけど。

 

サイケ野郎は突然ギターを振りあげ、佐々木さんに襲いかかった。だが佐々木さんは、パンを焼くため、毎日、薪を切ったり運んだりしているので、丸太のような腕をしている。その腕でサイケ野郎がふりかざしたギターを受けとめると、強烈なパンチを繰り出し、顔面にヒットさせた。吹っ飛んだサイケ野郎は地面に倒れ、伸びてしまった。トレードマークの丸いサングラスは外れ、あらわになった目はとても小さく、罠にかかった小動物のようだった。

文學界 二〇二二年三月 P151)

 

その流れで負ける奴があるか。

 

「どうしようもねえよな、おめえもサイケを気取りたいところかもしれねえけど、お前は、まったくサイケじゃねえからな」
「サイケ気取ってないです」
「いや違うね。気取ろうとしてんね。でも、お前は、どうにもこうにもサイケにおよばねえから、そこんとこ肝に銘じとけ、なぜなら、お前には思想がないからだ。あえていうなら、お前は芋だ。芋を食って屁をこいて寝てるだけだ」

文學界 二〇二二年三月 P152)

 

主人公はサイコ気取ってはいないだろう。100%天然モノだからな。

 

サイケとは何か。サイケデリックが由来。意識の拡張が主目的。……変なモノを見るには見るけれども、それを無理に理解したり、解釈したりしない主人公は、たしかにサイケ野郎からみれば半端モノなのだろうよ。

 

主人公の回想。思ったよりも変なモノを見ているな。詳細は省くが、最終的には全裸で木登りをする。で、そんな感じで色々あって、色々も色々ヤバいんだけど、田舎で暮らすようになるわけです。とりあえずはうまく回っているようですよ。現状。

 

……ハーブか何かやっておられる?と言いたくなるような幻覚の描写だ。やっておられないから問題なのだなぁ。

 

もう我慢できなくなってきた。唇の間を行き来させていたすあまをつまんで取り出し、住職がいないのをいいことに、畳の上にすあまを置き、横になって頭を乗せてみた。
わたしの頭はすあまに乗っている。柔らかいすあまで覆われ、沈み込んでいく。艶めかしいすあまは、少しひんやりしている。意識はすでに意味を無くしていた。

文學界 二〇二二年三月 P159)

 

すあまを枕にするな。

 

「申し訳ないです。すあまは睡眠作用でもあるのでしょうかね」
「どうなんでしょう。しかし本堂で寝るのは気持ち良いですから、わたしも、たまに、お経を唱えながら、居眠りをしてしまうことがあります」
「そうなんですか」

文學界 二〇二二年三月 P160)

 

受け入れるな。

 

山門を抜け、参道の階段を降りていると、後頭部のあたりがなんだか重たかった。手を伸ばすと、すあまが髪の毛にヘばりついていた。
すあまは潰れていた。固くもなっていて、唇に挟んでも先ほどの艶めかしさを味わうことは、もうできなかった。仕方がないので口の中に入れ、ゆっくりと時間をかけて噛んだ。素っ気ない甘さに気持ちが落ち着いてくる。

文學界 二〇二二年三月 P160)

 

喰うな。

 

この辺りは実に綺麗な三段落ちで、なんというかテンポが良い。コントというか、真顔ボケとして非常に良く出来ている。

 

受け入れてた住職さんも髪にくっついてることを教えてくれりゃいいのにね。髪にくっついていることまで含めて受け入れていたのか。全て世は無常なり。髪はいずれ抜け、すあまもいずれは土に帰る。ならば髪にすあまがくっついているとしてそれが何になるだろうか。どうせすべては無に帰るのだ。ラスボスにいそうな思想ですね。仏教、そんなエクスデスみたいな思想だったっけ。

 

単に畳がべっちゃべちゃになってたのでちょっとイラついてたのかもしれない。片付けは誰がやったんだろうか。

 

すあま、昔食いましたね。「味がねえ」と思ったのは覚えている。だから自分では買わない。思い返してみればほのかな甘さがなかなか素朴で良い感じだったかもしれない。自分では買わない。あんころ餅とか買う。和菓子は好き。素朴さが欲しい時は豆かんとか買う。すあまは買わない。

 

「なに言ってんだよ、透明の方が、常に見られているわけだから、気持ちがシャキッとして、美味いうどんになってやろう、コシを効かせてやろうってなるだろ」
「ちょっと待って、いまコシっていったね」
「ああ」
「うどんのコシってものにも、ぼくは疑問をもっているんだ。そもそも、うどんにコシって必要?」
「あたりまえだろ、ポキポキしてるくらいのがいい」
「でも、それってうどんなの?」
「は?」
「うどんは、柔らかいからうどんなんだ。クタクタの方がいいんだ。子供や歯の無い老人も安心して食べられるからうどんなんだ」

文學界 二〇二二年三月 P162)

 

もはやうどんが話し出すくらいではどうにも思わん。存分に話せ。

 

そういえばこのあいだ、伊勢うどんというのを初めて食べたんですね。コシが無くてふわふわというか、モチモチというか、知らずに食べたら「茹ですぎじゃね?」みたいなリアクションになる、という前評判を聞いていて、どんなもんかな、と割と楽しみにしていたんですが。

 

……普通にコシがあった……。いや。もちろん丸亀とかと比べたら柔らかめではあったけれども……。

 

これに関して俺は3つの仮説を立てていて、①逆ローカル化、②注文ミス、③コシという概念の認識ミス、この3本になります。コレに関してはまた今度書く。

 

趣味嗜好は十人十色である。だが、わたしに老女を抱くような趣味はない。そもそもエロチックな気持ちとはいったいなんなのだろう。わたしは童貞である。

文學界 二〇二二年三月 P165)

 

……あんた男だったのか。……なんで女だと思ってたんだ俺。まぁ男でも女でもあんまりそこはもはやそんなに関係ないかな、という気もしますね。しいて言えばアレか。サイケ野郎と対比させ過ぎてしまっていたのか。性別も含めて何もかも逆、そう言うふうに考えてしまっていた。

 

まぁ冷静に考えれば、女性だったら全裸で木登りの下りが画的にマズくなるからな。男なら良いのか。誰もそんな事言っちゃあいない。

 

縁側に座った彼女は、まったく化粧はしていないが、黒目がちの大きな目をしていた。色白で鼻はスジの通った良い形をしていて、短い黒髪だった。可愛い顔をしていたが、大きな目は、どこかどんよりしていて、すれっからしが災いし、アイドルグループを辞めさせられたような雰囲気がある。

文學界 二〇二二年三月 P166)

 

ここまでは「男でも女でもそんなことは大した問題ではない」という感じだったのですが、しかし彼が男だとわかってから見ると、綱渡りの少女の登場シーンなんかはまさにラノベ的な意味でのヒロイン登場!という趣がある。

 

趣があるが、しかしラノベのヒロインが登場したところで、この主人公に全くラノベ主人公感がないので、ヒロインだけ出てきて宙ぶらりん、となってしまった感もある。これでは綱渡りではなく空中ブランコ。この例えは蛇足。

 

…‥一見すればかわいらしいけれど、よくよく見ると目がどこかどんよりしている少女、か……。……癖(ヘキ)っ……!脳内イメージは忍野扇(物語シリーズ)。綱渡りできそうかできなさそうかで言えばだいぶできそう。そもそも生き方というか、在り方がだいぶ綱渡り気味だったような気もするし。

 

「妙なモノを見る」、「妙な行動を取る」と、特徴だけを見ればラノベ主人公感にはむしろあふれていてもよさそうなのに、俺の個人の感覚としては全くそれを捉えることができない。なぜか。この辺りは考察してみると面白いかもしれない。年齢。それはたぶん『答え』だな。

 

……いや、感じていた「ラノベ主人公感」が年齢が明かされた途端に霧散した……という感じでは無いから、違うのか?

 

「とにかく意識の拡大拡張ですよ。他人のことを気にしている暇があったら、個々のイメージを広げようぜ。おれには、いまこの焚き火の炎の向こうに不動明王が見えています。その不動明王が言ってます。ラブアンドピースは死にました。これからは、ファイヤーアンドサイケデリシャスアンド寿司なんです。そんでもって、寿司は寿司でも鉄火巻きがベストなんですって、なぜならマグロの赤身が渦を巻いて、そこから空に向かって光が放たれ、エクスタシーを感じちゃった空から雨が降り、虹がかかって、わたしたちは、その虹の上から小便をするんですよ」

文學界 二〇二二年三月 P168-169)

 

サイケ野郎の長台詞。もうちょっと続くんじゃ。ご高説を賜っているところ申し訳ないが、やはりサイケ野郎にはどこか「作り物」感を感じてしまう。なぜだろうか。

 

……目的意識か?

 

サイケ野郎も主人公も、「妙なモノを見る」、「妙な行動を取る」と、出力されるモノは同じなのだけれども、サイケ野郎の場合はそこに「己の意識を拡張する」という目的がある。敢えてわかりやすさを優先した言い方をするのであれば、「『変なことがしたい』と思っている人が変な事をしている」わけで、つまりやりたい事をやっているわけだ。目的の内容こそ少し妙だが、理解はできる。論理がある。

 

主人公は違う。「普通に生活しているとなんか変な事が起きる」わけで、ここに論理の繋がりはない。なので主人公の方が俺には「変な奴」に見えるのだろうか。こう書くと一方的に「変」の被害者になっているわけで、「変な奴」と断ずるのもどうにも気がひけるが、まぁ、イメージの問題。変なことは悪ではない。古きことは恥ではない。銃神兵ディオライオス。

 

「普通に生活しているとなんか変な事が起きる」という文章、ここだけに着目すればやはり主人公にはラノベ主人公感が多少はあっても良さそうだ。しかし、実際には感じない。何故か、その答えが今少し思い当たった。

 

先程はサイケ野郎との対比のためにああ書いたけれども、恐らく言うほど「普通」に固執もしていないのだ。「妙なモノを見る」、「妙な行動を取る」、その際の反応は実に自然で、「俺はこんなのとは無関係に普通に生きたいのだ」という感じがしない。ただ受け入れている。妙なモノを見たり、妙な行動を取ったりするからなんだというのか。どうせすべては無に帰るのだ。つまりは、ラノベ主人公ではなく、エクスデスですね。

 

まあその辺受け入れているタイプのラノベ主人公もいるだろうから、結局俺が今までどんなラノベを読んできたかというところにかかってくるのでしょうが。

 

その日は、男の画家が、ピンク・フロイドの原子心母というアルバムを紹介していた。

文學界 二〇二二年三月 P172)

 

原子心母!知っているぞ。吉良吉廣のスタンド、アトム・ハート・ファーザーの元ネタだ。吉廣は父親なので、「原子心母」の「母」が「父」になっているのだな。こういう改変が入るのは、ジョジョではなかなか珍しい。

 

大抵の「変な名前」はそのまま通すからな……。なぁ、ドゥードゥードゥー・デ・ダーダーダー。なぁっつっても、アイツは別に返事とか出来ませんけど。昆虫だし。あのラスボスが同属の昆虫に対してはやたらフランクというか、親しげにしてるの、ぞこそこ好き。オブラディ・オブラダ!

 

生前は写真に潜り込めるだけの能力だった、とかなんとか。アランズ・サイケデリック・ブレックファーストも、面白そうな曲ですね。それにしても洋楽の名前をカタカナで書くと、ううむ、スタンドですわね。

 

サイケやろーっ!何があったかは読んでください。

 

で、色々あって、主人公は修行に行く、と。……成長譚ではあるのだろうな。

 

読み終わりました。俺は俺にとっての面白さしか重視しないぞ、というのを明言したうえで、今回の文學界3月号の中で一番好きでしたね。

 

今までメインで読んできたエンタメ系の作品には、色々な「ヤバい奴」が登場したが、今回純文学作品の「ヤバい奴」を数人摂取して、前々から思っていたほど彼らの「ヤバさ」に違いがなかった事は単純に驚いた。どちらも強烈な個性を有している。キャラとしては好きだけど、絶対近くに居てほしく無い。遠目に見ていたい。

 

今回の彼らは持っていなかったが、この調子だと「異能持ち」のキャラクターや、あるいはもっと露骨に作品ジャンル自体が「能力バトル」の純文学作品もありそうな気がしてきて、なんというか期待が持てる。

 

ヤバい奴らのヤバさで読者を楽しませよう、とするのがエンタメ系の「ヤバい奴を出す理由」であるならば、純文学はどのようになるのか。「ヤバい奴らの目を通して世界を見てみよう」だろうか。……割と私エンタメ系もそのノリで読んでるからなぁ。やはり違いはよく解らない。そこに差を見出す事は今後読んでいけば出来るだろうか。

 

その辺はよくわかりませんが、単純にキャラがどれも個性的で面白かった。サイケ野郎を終始作り物だとは言っていたけれども、いや、気合いは伝わってきたよ。その調子で作り続ければ、いずれは本物に限りなく近い感じになれただろう。貝木理論によれば偽物の方が本物だ。まぁ、ああなってしまったんですが。残念。悪い奴じゃなかったとは思う。

 

あ。迷惑な奴ではあった。キャラとしては好きだけど、絶対近くに居てほしく無い。遠目に見ていたい。

 

15000アクセス記念にたまには多少偉そうな事でも書くか

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この度、15000アクセスを突破しました!

 

10000アクセス突破が2021/8/8だったらしいので、大体8ヶ月ちょっとで5000アクセスって感じですかね。今後なんかやる時の参考にしておこう。

 

さて、何度か書いてきましたが俺はそもそもこのブログのアクセス数として、「年に1000人くらい」というのを想定していたわけです。それが今や15000アクセス。コレはもはや15年ブログを地道に継続してきたと言っても過言

 

15年というと大変な事です。オギャアと産まれた子がもう思春期だ。そんな中コツコツとブログを継続してきたとすれば、コレもまた大変な事です。書籍化とかしていないならともすれば「だからなんだ」と思われるかもしれないが、イヤイヤ、このご時世に1つの事を継続するということの素朴な難しさは、素朴であるが故にごく一部にしか伝わらない。

 

まぁ俺は2年ちょっとですけどね。15年は過言

 

ともかく初めの想定とは随分ブログの様子が変わってしまった自分が、ブログを始める前の自分にアドバイスするとすればそれは何か。まぁ分かりやすくいえば現状の運営方針だ。

 

今回はそういう趣向の記事でございます。これからブログ始めたいなという人はまぁ参考にしてみても良いんじゃないかなと思うけどダメでも俺はなんも責任取らんので自己責任でどうぞ。

 

あくまでも当時の俺に言っておきたい事なので他の人ならまた話も変わってくるだろうしな。

 

毎日更新は続かない

 

いきなり厳しい事を言うが俺には無理だ。というか、俺以外にも普通は無理だ。

 

俺の後にブログを始めた人たちが、「毎日更新します!」と言って、実際数週間それなりの文量の記事をあげ続け、多少焦るその気持ちは理解できるが、しかし彼らのうちで半年以上それが続いた者はほんの一握りに過ぎない。

 

不思議なもので、「段々と文量が減っていき、更新の間隔も1日2日と空いていき、しまいには1月、2月……」とグラデーションで更新が減っていくパターンよりも、いきなりパタッと更新が止まるパターンの方が多い。何かあったんだろうか。このご時世だとマジで心配ですね。

 

ただTwitterとかを見ると割と元気にしている人もいるので、まぁ多くの場合は何事もなく、本当にブログだけパタっとやめてしまったのでしょう。

 

どうも大々的に「毎日更新します!」と言って、実際しばらくはそれが続いていた、それなのに書き溜めが切れたか、あるいはただ事故としての更新忘れか、そういう事情により穴が空くと、周囲の目もあってか戻ってくるのになかなかハードルが高くなってしまう、そういう事情があるのでは、と思う。全然気にしないで良いと思うんですけどね。その時になってみないと解らないからね。

 

なので毎日更新をするにしても、それを書面としてブログに書いたりはせず、いつでも逃げられるような体制を整えたその上で、適当な区切りをつけて「○ヶ月毎日更新達成しました!」というような具体的な実績になってからそれを公表する、という形にした方が良いのではないかなぁ、と思う。

 

それでも「毎日更新します!」と明記して応援されながら続けるのをやりたいなら最初から期間を区切るとか?イケそうなら延長してみれば良いし。

 

 

zattomushi.hatenablog.com

 

zattomushi.hatenablog.com

 

 

ただ俺もやった事あるけど、1ヶ月くらいの毎日更新では別に週一更新の際とアクセス数そんなに変わらなかったので、まぁ3ヶ月くらい続けられるかどうかで判断すると良いんじゃないですかね。知らんけど。

 

書き溜めについて

 

基本的にはあればあるだけ良い。しかし流行に乗った記事は、放出のタイミングに注意が必要なのでそれは留意すべし。まぁ20〜30個くらい「いつでも単発で出せる」書き溜めが溜まっていれば、週一で放出して半年間は間を保たせる事ができるので、コレくらいが理想なのかな、という気がする。

 

ただしコレは案外難しい。やってみればわかるが「いつでも単発で出せる」というのは案外ハードルが高いものだ。なんで実現性を考えると15〜20個くらいがええかなぁという気もしますね。

 

ここで注意しておきたいのが書き溜め同士の「関連性」をどうするか、という問題である。要するに似たような内容の記事をまとめて書き溜めておく事により、いずれかの記事がバズったタイミングで同種の記事をあげ、さらなる燃料とする、そういう技があると俺は考え、実際それなりには効果もあると思うのですが、しかしブログ全体の内容が偏るし、瞬間的にバズっても「その人がやっているブログの次の更新」とかまで追う人は案外少ないし、それに事前に予想するのはまぁ難しいので、痛し痒しだなと思います。マジで予想は出来ねえからな。

 

ただ、「シリーズ系の連載」はあっても良いかな、と思ってもいるので、まぁこの辺はある程度溜まってきたらな。

 

再読記事のハードルは別に低くない

 

読書ブログ(のようなモノ)をやるにあたって、1番の「想定違い」がコレである。「まぁ読み返し記事ならパーっと書けるやろ」と思ってしまっていた。「最悪読まんでも『こういうところが良かった』くらいは思い出しながら書けるやろ」と思ってしまっていた。

 

実際のところ、少なくとも俺にとってはとんでもない勘違いで、「既に読んだ本を読み直さず、『どんな本だったか』、『どんなふうに思ったか』思い出して記事を書く」という行為は、めちゃくちゃハードルが高かった。出来なくはないんだけれども、引用とかするなら文面は出来る限り正確にしたいし、そこだけ読むなら一度全部通しで読んどいた方が良いし、そして一度全部通しで読み直すにしても感想の大部分は「おう、こうだったな」になってしまうので、結果「記事を書く」最良のタイミングは、何事も読み終えて「良い本だった!」という初期衝動がある内、という事になってしまうのだなぁ。

 

あと本の作者さんとかにしても早いうちに話題にしてもらったほうが嬉しいでしょうしね……この辺りはあんまり早いとネタバレとかの方面で塩梅が難しくなってくるので、痛し痒しだが。

 

「マイナーな作品の布教」について

 

始める前に「どうせ書くならマイナーな作品を布教するような記事にしよう」と思っていた時期がある。結論から言うと、かなり早い段階でやめたのですが。現状ある「感想記事」は、どれもマイナーだから書いたわけではございませんよ。

 

……はい、コレがやめた理由の一つ目ですね。作品の記事を挙げると、実はそこそこ関係者の方に「好き!」やRTをしていただけるのですが(実際のところブログの本文を読んでやっているのかはかなり怪しいと思っている……しかし何例かは「中身を踏まえた感想」をいただけたこともあるのでまぁそういう事もあるんですねぇ)、そういう場合に、「マイナーだから選んだよ!」が一番初めに来たら、気まずいじゃん。

 

「マイナー作品の布教」それ自体を否定する気は全くないというか、場合によってはそういう布教によって俺が作品を知る場合も全然あるのでどんどんやれば良いと思うけれど、しかし「まず布教ありき」が先に来ると、少なくとも俺がやる分には俺に不都合なことが多くなると判断し、この路線は放棄した。

 

どんな不都合を想定したかというと、まぁ色々あるんですが、最終的には「布教してやってる(た)のに!」みたいなノリになってしまうと怖いな、というところに落ち着くのです。取り上げた作品がメジャーと呼べるレベルに達する、そういうことは、まぁ長くやっていれば普通にあるだろうけれども、しかしそこに至るまでの要因の99%以上は作者さんや編集さんたちの努力によるもので、俺が取り上げたとかそういうのは誤差というか、場合によってはマイナスも全然あるだろうに、それを無視して「布教してやってる(た)のに!」になると、マジで恥である。生き恥。侍の姿か?これが……。

 

何が恥って、そのレベルになると恥ずかしくなくなるだろうな、という点です。生首で喜んでしまう。あの2つの話が同じ週に収録されたの、本当にちょっとした奇跡である。好きなんですよね、黒死牟。あっちは……あっちは、まぁ、うん……。言われるほど悪くは……まぁ、うん……。

 

ただ先述の通り「布教自体を否定する気は全くない」ので、まぁアレです。普通に「コレが面白かった!」という記事を書いた結果として布教出来てしまった、みたいなノリでやって行きたいと思う。

 

あと既に売れているメジャーな作品も全然取り上げる。大体、俺の目についた時点でマイナー作品じゃないんだよな。本屋の目立つところに置いてあったんだから。

 

政治の話はやめておこう

 

やめておこう!

 

……で終わると「そりゃそうだろ」で終わってしまうので、ここでちょっと踏み込んだ話をしましょうか。

 

まずはこちらの記事をご覧ください。

 

 

zattomushi.hatenablog.com

 

 

ご覧いただけただろうか。

 

この記事は「政治的」では無い……………………ですよね?いや、だって……具体的な事は何も言ってないから……。「なんか嫌な予感がするなぁ!」つってるだけだから……。

 

まぁ、そんな塩梅の記事なんですが。

 

……まぁ、しっかり伝わって、見つかったようです。これもまた誰に何が伝わって、見つかったのか、は言えないけれど。言わないんじゃなくて言えない……♤

 

なんで……この「政治的では……………………無い…………」塩梅を超えて「政治的」な記事は、今後も書かないと思います。アレでも見つかるときは見つかるんだから、もうちょっと用心しとこう。

 

いやまぁ、正直な話、「伝わる」という点については若干の感動を覚えたような気もするが、ここで感動を少なからずしてしまった事で、「やはり危ない」と改めて判断するに至った。その路線はナー……十二分に勉強と準備を重ねた上だとしてもナー……。

 

 

 

……こんなところか。

 

さて、皆様のおかげで15000アクセスを迎えることができました。本当にありがとうございます。

 

今後は「エンタメ作品のノリで純文学を読む」感じの企画に可能性を感じているので、とりあえずそれをやりつつ、まぁ基本はいつも通り雑多に更新していきたいと思います。

 

それでは今後もよろしくお願いします!

最もガムテに辛辣な「黄色いか黄色くないか」は理解る

【あらすじ】劇場で芸人さんの手伝い、裏方スタッフをしている秋村さんが職場で色々するお話。一人暮らしを始めたり、芸人さん同士が揉めたり、お父さんが大変なことになったりする。

 

 リビングにある引き出しを片っ端から開けても、一向に布ガムテープは見当たらなかった。
 なんでよ。なんで布ガムテープはないのに大きい絆創膏はあるのよ。
 使い勝手の悪そうな銀行ロゴの爪切りも。いやいや、なんでよ。不味そうなのど飴も。いやいやいや、なんでなんですかって。おかしいでしょって。
 呑気に荷造りをしていた土曜18時5分の私は、突然ダムが決壊したように実家批判が止まらなくなった。

(文學界 二〇二二年三月 P94)

 

布ガムテが見つからないでめちゃくちゃキレてる主人公の秋村さん、面白い。キレてる時こういうテンションになる人はいる。連想で次々に不満が浮かんでくるんですよね。

 

こういう人の中にも「とりあえず起点となった部分を解決しようとする人」と「次から次へと手広く解決しようとする人」がいて、別にどちらがいても良いんですけど、個人的には後者の人が苦手。「起点を優先する」だけで「それ以外をどうでも良いと思っているのか!」とか言われるとツラいのです。手広くやる内に怒りの総量自体も乗算されていく傾向が強いし。記録しといて落ち着いたらやろ。

 

落ち着いたら「……まぁ、このくらいは別にどうでもええか……」で流すのが前者の欠点かもしれませんが。後者はそれをみてますますキレるし。無限ループ!

 

私が買ってきたガムテープを見て、竹井さんが「この世に紙ガムテープを欲してる人間は一人もいないから」と言ったことは、たぶんこの先も一生忘れないと思う。

文學界 二〇二二年三月 P104)

 

この話は恐らく文学史上最も辛辣に「紙ガムテ」を表現した小説です。この話よりも辛辣にガムテを評した作品があったらコメント欄で教えてほしい。「文学史って長いなぁ」と言いますから。

 

さてガムテと言えば割れた子供たち(グラス・チルドレン)のリーダー、殺しの王子様ガムテである。

 

彼のガムテは布だったか紙だったか、作中で恐らく明示されてはいない。彼の「割れた心を繋ぎ止める」という結束の意思表示としては布ガムテの方が適しているような気もするが、そもそもの起源は母親からの虐待であり、秋村家(あと俺の実家も確かそうだったか)のように日常で普段使いするのは紙ガムテだ、という事から考えれば、少なくとも初期は紙ガムテであった可能性は高い。

 

彼の紙ガムテが布ガムテに切り替わるタイミング、というものがあるとすれば、それは恐らく自らの中に「『割れた子供たち』は自分がまとめるのだ」という自覚が生まれたその瞬間だろう。基本的に真面目な奴なのだ。真面目に凶悪犯罪をするから手に負えないのですが。

 

……相変わらず純文学の感想を読みにきた人に配慮しない感想であるなぁ。というかコレは感想か。感じて想った事ではあるので感想だ。そうですか。

 

強いて繋げれば、あそこまで辛辣に表現される紙ガムテにも、後半一応の美徳というか、メリット的なモノが見つかるのですが、その際のリアクションは、極道の連中に美徳をみた時のそれに非常に近かったよ。

 

夢澤の兄貴は未成年には殺しをさせない聖人(極道比)だし。殺島は5万人の悪童を救世した「(暴走族)神」であるし。ガムテは至極真面目な(暗殺者集団の)まとめ役ではあるが。

 

「だからといってね」

(文學界 二〇二二年三月 p123)

 

そんなこんなで何が言いたいかといえば、ガムテとの「決着」、良かったですよ、という話。恐らくそこまでは収録された最新9巻の発売は、13日!連載再開ももうすぐだ!

 

 母親は眉を寄せてしばらくこちらを見てから、「芸人と仕事してると、そうやってみんな感じ悪くなっていくの?」と私の返事を待たずに、コンロのつまみをひねった。
「それで社会に出た気にならないで」
 うるさいな、と言いかけた時、玄関のドアが開く音と父親の静かな「ただいま」という声が聞こえた。母親は少しだけ顔を向けて、抑揚のない声で「おかえりなさい」と言った。

文學界 二〇二二年三月 P100)

 

家族に「社会に出ろ」と言われるのは「99枚のブループリント」と同じか……こういうのは敢えて被らせるのか、それとも偶然か。文芸誌初読の自分には見分けがつきませんのよね。まぁ偶然か。家族とは「仲が良い」か「揉めてる」しかありませんで、50%の要素なら25%で被る。被る確率だけなら50%か?まぁ良いや細かい計算は。

 

個人的には「働いて金銭を得ている」のであれば文句を付けられる筋合はないと思いますが。雇用形態としては無職のアンドウさんに多少愚痴りたくなる、そこまでは解るが、秋村さんはまぁ普通に働いているからな……。

 

家庭にはいわゆる「世間」が「親の世間」しか無いから、そこから外れて何かしようとすると、実際には「世間外れ」とはいかないレベルでも「世間外れ」として扱われ、しかも家庭内の「子供」という弱い立場でそれをされるとまぁ逆らうのは無理だよな、という……。いや実際に行動が「世間外れ」の場合も、あるにはあるが……。

 

…………やめよっかこの話。

 

 竹井さんは手のかかる我が子の話をするように、目を細めて言った。
「私が代わりに竹井さんに聞いてくれると思ってるんでしょうか」
「返事しないでみようか」

(文學界 二〇二二年三月 P108)

 

ああ、こういう人はいるわね……。……俺も割とよくやってしまうので、あまり悪くは言えないのよな……。まぁその……実際口にせず頼んでいない場合には、やらなくとも俺は何も思わないので……忙しいなら放置で大丈夫です……やってくれる人はいつもありがとうございます……。直接言えよ、という話なのだがな。これも結局。

 

 二人の横を通ってふたたび楽屋に入り、ケータリングが揃っているか確認するふりをしながら、今きたばかりの芸人が「どうしたんすか?」と、一部始終を見ていた芸人に尋ねているのに聞き耳を立てた。
「高山が昨日のラジオで、売れもせずに劇場にしがみついているダサい先輩って、明らかに時雨さんってわかる話をしたんだよ」

文學界 二〇二二年三月 P109)

 

「ていうか、ただのボケじゃないですか」
 高山がヘラヘラしながらそう言うと、武藤は「それはちがうだろ」と声を荒げた。
「何ムキになってんの、って言いたいのかもしれねえけど。そっちはガチでこういう芸人はダメだって語っちゃってるくせに、こっちが本心でそれは違うんじゃねえの、って言ったら、いやボケだっていうのはさすがにセコいだろ」
「あれのどこがガチなんですか。ラジオ聞いてないでしょ、聞いてないのに言わないでくださいよ。笑いにしてるじゃないですか」
「表で言ってる時点で隠せてねえだろ、冷めてるぶんなよ、気色わりいな」

文學界 二〇二二年三月 P110)

 

コレもこういう誤魔化し方をする人は居ますわね……。ネットでもたまに見るか。コレはやってない。やらないようにしている。はず。

 

こういう場合は、複数の候補が取れる言い方をして、Aには「Bの事だ」、Bには「Aの事だ」、と答えてお茶を濁し……え、AとBが話している?なんなら同時に聴きに来た?……対ありでーす……。……まぁまず「やらない」のが一番スね。でも「ボケだ」と誤魔化すのは度を越してダサいのでやらんですよ。それをやるなら普通に怒られます。まぁ真面目に言ったわけではない旨を初めに示した上で相手がキレてきたらそれは何か言いたくなるかもしれないが……コメディアンという立場さえ示しておけば何を言っても「真面目ではない」扱いをされるのかといえばそれはそれで違って…………。

 

(……書き溜めを熟成させていたら思いの外タイムリーな話題になってしまってどうしよっかなコレ、という表情)

 

…………やめよっかこの話。一朝一夕に答えが出せる問題じゃないですよ。アレとコレではまたレベルが違うから対処も違うけどな。

 

私も常日頃、「王道じゃなければなんでもシュールで片付けるのってどうなんだ」と思ってはいるが、代わりになる言葉は「不思議」しか持っていないので、声を大にして否定することはできない。

文學界 二〇二二年三月 P112)

 

解る。

 

……なんだろう、純文学に俺は文学性や芸術性ではなく……「あるあるネタ」を求めているのか……?

 

「『文学性』とか『芸術性』とか単語としては知っとるけど意味は解らんのでそもそも求めようが無いのよ」

 

……それはそう……。

 

最近ではケモ夫人にこのような感想を抱いています。ケモ夫人ではメイズナースさんが好きです。能力バトルについて語りたいですね。本人は能力バトル漫画の駆け引きがめちゃくちゃ好きなのに、駆け引きもクソもねぇ即死系強能力に目覚めてしまった悲しきモンスターよ……。

 

「勝ち負けです。人って、やっばりいろんなものに勝ってる姿を見てファンになるんです。そしてファンになったら、やっぱり勝ち続けてほしいんです。ウケ続けてほしいんです。全然結果がでなくても、漫才を見れたらそれでいいって思ってくれてるなんてのは幻想で、その芸人が売れたいって思っている限り、売れなかったら同じようにファンも傷つくんです。だから今日は、時雨さんが数少ないファンの気持ちを考えるなら、しっかりと漫才をしないとダメだったんだと思います。出ないと本当にファンはいなくなります」

文學界 二〇二二年三月 P117-118)

 

……コレも解るな……。

 

やはり競争においては「推し」には勝って欲しいのですよね……いや短期的には「この勝負で勝つのは解釈違い」的な場合もあるにはあるが、しかしそれも長期的な視点で見れば「勝って」いるわけで、まぁなんでしょう、推しが幸せならそれでいい、の延長線上に確かにある考え方だとは思います。故にそこまで強く否定はできまい。

 

まぁ本人がなんらかの事情で勝ちたくないのであれば、それはそれで尊重されるべきだとも思いますけれども。その場合のケースもこのセリフは「売れたいと思っている限り~」でカバーしていて、なんというか、丁寧。

 

「これはハマりそうって思うもの」
「見つけるってほどでもないよ。いろいろ物色してたらなんかビビッてくるんだよね。今これを見なきゃ! って思っちゃう。他と比べてそれだけ違う色にみえる」
「へえ、色が見えるんだ。……じゃあそれは、なに色ですか?」
「なに色って言わ……黄色くないことだけはわかるね」
「黙ってろよ」
「今度の木曜にまた黄色いか黄色くないか話そうね」
「話すかよ」
 言い終わって、奈美は私の顔を見て笑った。
 これは当時クロスがやっていたネタのセリフだ。「黄色いか黄色くないかに重きを置く男」というコントで、他のネタに比べてそんなにウケていなかったが、私たちはなぜか猛烈にハマってよく教室でマネをしていた。

文學界 二〇二二年三月 P 126)

 

黄色いか黄色くないかのタイトル回収。

 

……なぜこの文章を題名に……?

 

……いや、理解る。この話の軸が「『これはハマりそうって思うモノ』をどの様に見つけるか」だとするならば、その判別方法としてコレを題名にするのは理にかなっている。

 

にも関わらず一瞬戸惑ってしまったのは、「この話の軸が【『これはハマりそうって思うモノ』をどの様に見つけるか】かどうか判断しかねる」ためか。勝手な思い込みだが、純文学のテーマについて論じ始めたらいよいよ「ホンモノ」という感じがする。それは俺にはまだ早い。自戒しておこう。正直、「ホンモノ」、なりたいか?という気もするしな。

 

あと単純に「黄色いか黄色くないかに重きを置く男」って何だよ、という戸惑いもあったかもしれませんが、まぁ漫才とかコントとかのネタを本筋だけ抜き出すとわけわからんですからね。コーンフレークかコーンフレークじゃないかに重きを置く男とか、わけわからんですからね。

 

お父さん何やっとんの。これはなんだ、大オチというか、「ほぉ」ってなったから、隠しとこ。

 

「家族と揉める」はブループリントと同じでも、お父さんのキャラや言い争いの勝敗は逆か……そもそもあんまり言い争ってはいないし。

 

読み終わりました。理解る……共感度合いは99枚のブループリントよりも高かったか……作品の出来と「共感度合い」に直接の関連性は低く、そして俺の独断と偏見に溢れた意見である、というのは示した上で、個人的にはこちらの方が好みだったか。

 

やはり「芸人にとっての劇場」という舞台の特殊性ですよね……「売れない芸人が留まる」だけの場所では決してない、のだけれど、しかしそういう「視点」があるという事自体は否定出来ないし、作中では当事者たちでさえもそう思っている部分はあって……そういう特殊な舞台で発生する物語、として、単純に面白かったです。

 

……偉そうな事言っとりますが、劇場行った事無いのよね……最寄りでも県を跨ぐか……?このご時世だと一番影響を受ける業界かもしれないですよね……レジャー施設は全般そうだけど、その中でも特に……頑張ってください、応援しかできませんが……。

 

と、ここまで書いたところでこの小説を書いたのがマジの芸人さんだということを知る。おお……各人にモデルとかいるのだろうか。又吉さんとかもそうですが、芸人もある種「言葉で思いを伝える」職業なわけで、文学適性もある程度あるとか、そういう……まぁ、俺は文学もお笑いも、まだまだ何も理解らんのですが。理解るのは上にあるような、あるあるネタぐらいですよ。

「99のブループリント」のネットスラングだらけな読書メモ

【あらすじ】

FIRE(経済的独立・早期退職)を果たした安藤修。彼はどのように15㎏の金(2億円)を保有するに至ったのか。

 

私と他者とを区別する記号は「アンドウ」であるわけだが、それを主語に置いたからと言って、ゆめゆめ三人称などと思ってはいけない。

(文學界 二〇二二年三月号 P10)

 

名前を「アンドウ」にして文章を綴ることに決めた冒頭。一人称が「名前の女」と「俺様の男」って、根っこは同じらしいですよ。ツェーリドニヒ王子が言ってた。「名前の男」ってどうなんでしょう、「俺様の女」と同じ?

 

……一人称が俺様の女、良いな。すぐには実例が思い浮かばないけれど……。

 

……カイニス(FGO)?

 

いや、でもまて……カイニスは男なのだ……。だがしかし、女でもあるのだ……。微妙なところだな。まぁ男でいいだろ。ホワイトデー礼装にもそうある。カイニスは単純に「俺」だったような気もするが。

 

奮い立たせるや否や、自分の存在が、総体がこのたった十五キロの反応性の低い固体金属に帰せられてしまうのか、と虚しくもなった。得も言われぬ全能感と虚無感とが一つの身体に同居していた。

(文學界 二〇二二年三月号 P11)

 

15㎏の金について、出来るだけ「金だ!黄金だ!Goldだ!Foo!」みたいなテンションじゃなくて、なんというかフラットに表現しているんですが、それにしても金を「反応性の低い固体金属」とするのはフラットなのか、なんなのか。別方向にテンションが高くなっていないだろうか。

 

花火を「こんなものは単なる炎色反応にすぎない」とか言いそう。

 

視界に入る数字をひたすら素因数分解しそう。

 

ドヤ顔で「DHMOを規制すべき理由」を述べて、知らん人が乗っかったらドヤ顔度を8倍にして種明かししそう。

 

脳内の理系像が貧困すぎる。

 

せやな、と応じるアンドウのそれは別に関西出身だからではなく、単なるネットスラングだ。

(文學界 二〇二二年三月号 P15)

 

せやな、純文学で使っていいのか……まぁ、良いか。ネットスラングとしての発祥は、強いて言えばJの方になるんですかね?

 

俺が言われた時に生じるイメージとしては「なんでもいう事を聞いてくれる茜ちゃん」なんですが、これは「発祥」ではないよな……ある程度流行した上で、それを加速させた要因の一つ、くらいだろうか。

 

いずれにせよ父親のように所帯を持ち、ローンを組み、定年まで勤めあげて再任用として年金受給まで働き、その後は何の気兼ねもなく長年公務に就いていたことを武器に友達やかつての人間関係を駆使して地方政治に首を突っ込んで気持ちよくなるということは、それこそ夢物語だった。

(文學界 二〇二二年三月号 P19)

 

わかる(ネットスラング)。

 

ネットスラングは判定を厳しくすると日常の語彙まで侵食していくので程々にするが良いよ。知らんけど(もはや言うまでもなく)。

 

まぁいわゆる「親世代」においてもこんな将来をおくれるのはほんの一握り、という事は解ってはいるのだが、もはや将来の目標として「こんな将来」は成立しないよね、くらいは思ってもいいだろ。

 

実のところあんまり羨ましい訳でもないというか、たとえば実際に地方政治に首を突っ込みたいか、とか言われたら、「いや別に……」となるし。多分気苦労が増えるだけというか……こういう意見の表明ですら「酸っぱい葡萄」的に捉える人はいるのよね。どうにもならんな。

 

 FIREに家族は不要だ、ということは古典だけでなく市場も証明してくれる。
 商品は、全て取引の対象であり、取引の対象であるものは全て代替可能である。故に商品は代替可能である。真の対偶もまた真であるから、代替不可能なものは商品でなく、また前段の対偶をとってみると、取引不能なものは、全て商品ではない、ということになる。

(文學界 二〇二二年三月号 P23)

 

というわけで家族や両親に対してもドライな考え方のアンドウさんですが、しかしそれは家族や両親に対しても「交換不可能な価値」を認めているからだ、というのがいわゆる「守銭奴キャラ」のイメージから外れていて面白い。

 

……いや待てよ?外れているか?

 

このイメージこそネットスラングならぬネットミームじゃないだろうか。俺が「守銭奴」で思いつくキャラ、貝木泥舟とギルド・テゾーロだけど、アイツらその辺りはちゃんと解ってるし……。

 

テゾーロ、その辺りは解った上で「解っていない金持ちロール」がやめられなくなってしまった感が……というのは贔屓目が過ぎるか。好きなんですよテゾーロ。グラン・テゾーロ内においては魚人差別が許されていないんですよ?

 

堂々と「愛も縁も買えるぜ!」と公言していた守銭奴キャラ、具体的に誰かいたっけな……。

 

……マック・ラ・クラノスケ?

 

「過去を支配するものは未来を支配する」と「一九八四年』の中で語ったオーウェルの認識は全く正しい。未来に基点を置いた関係性の認識は、まさに十五キロ、を得るために必要な行動の一つだ。神も市場も、それぞれが為すことを前もって人々の前に、時にその方法は十分でないこともあるかもしれないが、基本的には開示している。過去が持つ未来性だ。未来はいつだって有用性を必要として、現在を服従させる。

(文學界 二〇二二年三月号 P29)

 

金融パート、何を言っているのか解らなくなってきたな。貝木やテゾーロが出てきた(出てこない)辺りはまだ何を言っているのかはなんとなく解ったんですけど。

 

これは俺に金融関係の下地がないからか、それとも文学方面の下地がないからか?……多分文学方面の下地……俗に言えば読解力がないからだな。金融関係の用語がバーっと並んでいる……そういう事ではないので。

 

……経験を積めば解読できるようになるだろうか?

 

……バーナード嬢曰く、の神林しおりさんが、「SFの設定解説パートは作者も良くわかっていない場合があるのではないか」という説を披露する場面があるのですが、あの感覚はSFだけではなく全てのジャンルにおいて常に脳の片隅に置いておきたい。

 

まぁ、この感覚はこの感覚で行き過ぎるとつまらないし「脚本の人そこまで考えてないと思うよ(原作での用法)」になってしまうとマジで恥ずかしいので、何事も程々に、ですね。今回は多分作者さん、解ってやっているし。

 

ただ俺は意味がありそうで無意味な文章でもこれだけ雰囲気があれば好きになってしまうのだけど。無駄に洗練された無駄のない無駄な動き、という文字列はどこで見たのだっけ。ニコ動のタグか?あれも好き。

 

空飛ぶ機械という革新技術ができたとき、人々はまず人々の頭上に毒ガスと爆弾を降らすことを行い、処理能力の上がったチップが出来上がったとき、人々はインターネットでその能力をいかんな
く発揮し、高速で罵り合った。「進歩」と「野蛮」の類似性を提示したのはベンヤミンだったか、あるいはアドルノだったか、あれ? 王様のブランチだったっけ?

(文學界 二〇二二年三月号 P30)

 

ここで王様のブランチを持ってくるセンスとかも、好きなんですよ。ただ実際に王様のブランチが「答え」だと、これは一気にダサくなるので注意が必要だ。何をワイドショーで見た知識をベンヤミンとかアドルノで誤魔化そうとしているんだ、となってしまう。苦し紛れに最後に自白したみたいになってしまう。その自白でさえ誤魔化し気味、みたいになってしまう。

 

結局教養の話になってくるのか。「説得力のある引用」を出来るだけさりげなく織り込むと格好良い、みたいな……。

 

そういえば王様のブランチもバーナード嬢曰く、に出てきましたね。「王様のブランチで紹介された本とガチの書評家が紹介した本を一緒に読むと簡単に『選り好みしない感』を出せる」みたいな文脈で……。

 

……ロクな使われ方してねえな王様のブランチ。……大衆番組としてはむしろ理想的な扱いなのか?

 

母親は事の軽重を区別することが、多分できない。彼女にとって、身の回りで起こることも遠くの世界で起きることも全て同じ地平にあった。OPECの協調減産もドレッシングの賞味期限が切れていることも。この調子だと、仮に明日千代田区辺りが核兵器で焼野原になっても、その話題と排水溝のぬめりとかが同じ組上に載せられる気がする。全てが並列で、全てが同じ重要性を持っていた。父親はもう麻痺をしているのだろう、あちこちに飛び回る話題すべてに短く、しっかり自分の応答をしてやっていた。気温の話題には「じゃあ薄いの一枚用意しておくか」とか、ガソリンの話題には「駅のセルフのところは安いぞ」、といったように。

(文學界 二〇二二年三月号 P37)

 

両親の会話に対する辛辣な評価よ。まぁ、そういう風に思う事自体は、なくもないが。よくもまぁアレだけ飛び飛びの話題に…… 。

 

「身に付くカネってなんだよ。アホみてえに長時間拘束されて使う時間もないカネのことかよ」
 父親は、拳を作ってテーブルを叩いたが、音は思ったよりも起きなかった。食器類のいくつかがほんの少しだけ宙に上がって落ち、金属音が響いた。
「お前はまだ子供だ。株だかなんだか知らないが、自分のできることで世の中に少しは貢献してから物を言え。お前は少しでも社会のインフラを整備したか? 制度を維持しようとしたか? してないだろ、え?お前がやってるのはな、タダ乗りなんだよ。泥棒と一緒なんだ」

文學界 二〇二二年三月号 P39)

 

この辺りはいわゆる「親世代」との対立デスネー……いわゆる「稼ぎ方」に対する……俺もチラッとブログやっている事を言ったら、「アフィリエイトか!アフィリエイトなのか!」と言われました。やってねえよ。

 

……アレ、興味があったのかな?

 

まぁ自分でやれ。DIY

 

個人的にはお父さん側の話も解るというか、むしろ俺は考え方としてはこちら側なので、この辺のアンドウさんにはあんまり乗れませんでした。

 

持たざる者が目指すFIREにおいて、「ワンチャン」とか「一山」という語感には、侮蔑が含まれている。少なくともアンドウたち二人にとっては、共通の認識だった。綿密な計算と堅実な生活とによってのみFIREは導出される。散財と賭けは、その対極だ。

文學界 二〇二二年三月号 P48)

 

俺もFIREに関してはなんか胡散臭い情報教材系のアレがアレするお題目程度にしか思っていなかった(実際、一般的にはそちらの方が主流になってあってしまったみたいな文もある)のですが、なんというかこれを読むと、いわゆる客を引き寄せるための華々しさとは程遠いというか……。少なくとも美女両腕抱き札束風呂のアレでは全然ねえな。ギャンブルに勝った感は皆無である。

 

そりゃギャンブルに勝ったわけじゃねえからな。投資をギャンブルと考えている時点で、多分色々とダメ。

 

 この女は狂ってた。

(文學界 二〇二二年三月号 P64)

 

アンドウ彼女、こ、こいつ「無敵」か……ッ!

 

多分色々あったんだろうな、描写されていないところで……。ひたすらタイミングを伺っていたか……最大の被害が出せるタイミングを……。

 

ただこのシンプルな「〜は狂っていた」という構造の文を見るとですね、俺の脳にはヤクザ天狗が出てきてしまうので、困る。ヤクザ天狗がこの部屋に乱入してきて、どうすれば良いか困っている。ニンジャがいないからな。俺も困る。……帰ってもらうしかないか。この人のドネート高いんだよな……でも払わないといつまでも脳内に居座り続けるからな……。

 

……払ったけどまだ居るな……どうしような……。……無視しよ。

 

さっきからいわゆる「純文学の感想を読みにきたお客さん」への配慮が0なんですが、大丈夫でしょうか。

 

まぁこういうのに汚染されきった人の純文学感想というのも珍しいだろうから、これはこれで需要があるだろう。

 

……畜生!淫獄団地をこの合間のタイミングで読んだらアンドウさんがアンドウ(被虐魔)に汚染されてしまった!

 

アンドウ(被虐魔)、調理開始時のエプロン姿は普通に可愛いんですけどね……テンションが上がってくるとああなってしまうのだ……世は無常なのだ……。

 

あと「煮えた油」はマジでヤバいからやめな。ガチで攻城戦とかで石垣登る兵士に使う奴だから。SMプレイとかそういうレベルではないから。そういうレベルではないものでそういうプレイをするから被虐魔なのだ、と言われれば黙るしかないが。

 

……この汚染は大丈夫な汚染ですかね?大丈夫な汚染なんてねぇよ。とりあえず今回の淫獄は久しぶりに推しのカンザキさんが出てきて嬉しかったです。予想されてはいたが、彼女もまた人妻だったのだ……。でもなんか普通に平和な家庭っぽいな。ベネ。

 

淫獄団地、人前では読みにくいけど真面目に面白いんですよ。カンザキとハイバラの殺伐具合がな……。

 

まぁアンドウ(さん/被虐魔)に関しては名前だけだし、俺に生じたこの汚染は一晩寝れば大丈夫な奴です。アンドウさんにM設定が生えるとかしたら不可逆の変質を果たしてしまうが、そうはならんやろ。名前がなぁ、同じだけなら良くある名前で通せたんだが、表記まで被るとなぁ……。

 

……いや漢字ならそれはそれで巨乳大好きとか全然普通な弟とかと被るか。被虐魔よりはマシだけど……。

 

この彼女のアレがオチかと思ったら、まだまだ続きます。あの後も表面上は友達付き合いができるあたり、大人ではある。それが良いか悪いかは知らん。

 

主催者は神山という男で、主戦場はSNSだった。いわゆるインフルエンサーと呼ばれる部類にカテゴライズして構わないような、典型的な成り上がり個人投資家だった。ジーンズにVネックの真っ白なTシャツ、ジャケットといういで立ちで、バチバチにキメたオールバック。

(文學界 二〇二二年三月号 P71)

 

「よくあるFIRE」の伝道師!インフルエンサー、神山さんだーッ!

 

あー、解像度が高い。FIREっつったらこうだよな。

 

ちなみにこういうセミナーには行った事ないです。なんか、丸め込まれそうな気がするので。眉に唾をつけるに躊躇はないが、まずは狐狸にそもそも出会わない努力をするべきだ。狸は、なんか、割と近所で目撃情報があるんですよね……アライグマかもしれんけど。

 

「記事についたコメント数」から経済を測ろうとするコメさん、イジられ倒される。……まぁ、イジリは明らかにやり過ぎなのですが、それはまぁ、無理だろ。

 

うわ変な位置に参考文献がある。なんだこの演出。……ああ、「億り人」パートはブログというか、「アンドウが書いた文章」というテイなので、その参考文献を作中に示す場合にはこういうことになるのか。なるほど。

 

読み終わりました。うーむ……なるほど。

 

とりあえず読み終えて一番初めに思ったのは、「俺に株(投資)は向かんな」ということでした。読み始めたころに「ちょっとヤバいな」だったあれやこれやの情勢が今なんか凄い事になっていますが、そんな情勢の変化を自分は必要以上に調べまくる傾向があって、ここに実際もしも「自分の金」なんてものがその情報によって増えたり減ったりするかもしれないという要素が増えるとまぁマジで大変なことになってしまうわけです。

 

調べるだけで(当事者の皆様とは比べるのも烏滸がましいというのは承知の上で)精神的に疲弊するような情報を、より積極的に手に入れる努力をしたうえで、そのうえで、「適切な行動」を取らないと、なんと資産に影響が出るのですねぇ……いやぁ……向かんな。

 

後は金持ちというか、守銭奴というか……どちらもあんまり適切な表現ではないけれど、「まずはお金が欲しい。それで何をするか、とかではなくて、とりあえずお金が欲しい」みたいな性質を持つ人物が、ローテンションで色々やる……という文章は、これは初めてよんだかもしれない。大抵金持ちのテンションは高いので。落ち着いているのは貴重。

 

お父さんとの口喧嘩は流石にちょっとヒートアップしていたが、それにしても直接手を挙げたりはしなかったわけで。……そういえばこのアンドウさんと対立するお父さんがいわゆる「議員とコネを繋いで地元で好き放題……」系の、いわゆる「古い金持ち」のやっている感じのことをやっている(そして彼に言わせればそれは『好き放題』ではなく、そんな言い分もまぁ一理はある)事を考えれば、なかなか……いわゆる「金持ちキャラの世代論」として見ることもできるだろうか。

 

初の文芸誌読書という事で、「100理解できたのか」と聞かれるとだいぶ怪しい……「億り人」パートはほぼほぼ理解できず、また「A・W・ジョーンズと一緒に内戦に巻き込まれる」パートは「……何が起きた?」と何回か数P前から読み直しついに何が起きたのかは解らなかった。

 

……夢オチ、ということでよろしいでしょうか?

 

そんな風にだいぶ翻弄されてしまいましたが、そんな風に翻弄されることも含めて面白かったです。慣れてきた頃に読み返せば、なんか変わるかもしれんので、まぁ、楽しみにしておきましょう。

 

ああ、それにしても金が欲しい。FIREするかは知らんけど、とりあえず金が欲しい。