節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

ネット音痴はいかにしてブログ開設を思いたったか

就職してからというものなんだか毎日がつまらない。就職以前の生活……いや直前なんかを例に出されても似たようなものだけれど……高校卒業時くらいには(まだ何とか)あった生活の張り合いというものが無い。面白い映画だの小説だのはまあ、あるのだけれど。半日ほどでその興奮も収まってしまう。
 
 
 
なんとかしたいなぁ、どうすりゃいいんだろうか。まあ、明日も仕事だし。平常心保ててた方がいいのかなあ。そんな事を考えていた時、いくつかの条件が重なり、こうして皆様が今御覧になっているブログが出来た。
 
 
 
続くかどうかは解らないし、ごく目の前にある状況だけを語るのであれば、こうしてこの文を打っている時点(1月下旬)ではまだ開設していない。目途も立っていない。
 
 
 
とりあえず、この文が皆さまの目に触れる機会があるとすれば「作ろうかなー」と思っているブログが完成したんだろうな、と思ってアタリを付けただけである。ひょっとすると誰かが下書きの段階で覗き見しているのかもしれぬ。そうならやめてください!プライバシーの侵害ですよ!あとどうやって見たのか、どうすれば見れなくなるのか、教えていただければ幸いです!
 
 
 
さて、やろうかな、と思っている、と表明した際に、心の中から聞こえてくる声は「Do it! Just do it! 」であり、私の中にこんなやる気のあるやついたかなぁと戸惑いを隠せないが、しかしその声に反論するのであれば私マジで機械というかネット解らない。
 
 
 
ブログ、というのはネットでやるものである。紙オンリーでやるのは巻末の久米田さんくらいのものだろう。そして私の中でネット、と言うと、これは以下の物を指す。
 
 
 
①解らない単語があった際、それを知らなきゃならないならまず検索する。解ることもある。ガセもある。
②幾つかのネット小説や漫画、創作物を読む。Twitterなんかでその感想を調べることもある。
③暇ならニコ動だのYoutubeだのに行く事もある。
④まあ、夜とかに。その、まあ、うん。
 
 
 
……以上である。授業ですこーしだけプログラミング習ったことがあるような気もするけれど、忘れた。ぜーんぶ忘れた。何一つ解らん。PCで困ったことがあれば、検索して場当たり的な解決をしている。解決しているのかどうかもわからん。対症療法もいいところだ。
 
 
 
解りやすいところで言うとまさに今困っていることがあって、この文の入力方法がなんかおかしい。こう、「」の中に、こんにちは、と書くでしょう?
 
 
 
「こんにちは
 
 
 
と、こうなる。解るだろうか。」が、こ……つまりは1文字目を打つと同時に消えるのである。やりにくくってしょうがない。」をもう一度打ち直そうとしたら、その次の文字が消えるのである。こうした場合に検索する。
 
 
 
なんと検索したらいいか少し悩み、もう正直に症状を端的に言う事にした。入力が上書きされる、と検索した。治った。キーボードの上にあるINSキーという物を押してしまったのが原因らしい。同様の症状で困っている方は試してみてください。上の小さいボタンです。…なんというか、変換とかすると下に出る奴に出たのでそれなりの人数困っている人はいるのだと思う。この列のボタンもう使わないと思うんだよな……F5は何回か押したことがあるが、それだけである。
 
 
 
このレベルのネット初心者故、「皆ブログっていうのをやっているようだし俺もやってみようか」なんて土佐日記感覚ではなかなか踏み出せぬ。つか参考にしている本に「ソーシャルメディアの拡散力に比べて影響力が低くなり、なかには『ブログは死んだ』という人もいるほどです」とか書かれている。……まあ、そんくらいがちょうど良い気もするので、「じゃあ、やめようか」ともならないけれど。でもどうしようかなと迷っていたらなんか1年程経ってしまったのは迷いすぎだ。いい加減に踏ん切りをつける事にする。
 
 
 
それにあたって、こうしたネット音痴がブログを開設した経験という物を残しておけば、もしかしたら同様の人の助けになるかもしれないし……ほぼ確実に何らかのトラブルは発生するので、仮にそうなった場合の備忘録として役立てるために、記録に残しておくことにする。INSキーもねえ、数年前におんなじ事やらかした気がするんだが、今回またやってしまったので、こうして「こういうことがあったらこうする」という形で残しておけば……3年は大丈夫だろう。恐らく。多分。maybe。
 
 
 
とりあえずこの記事においては上記「いくつかの条件」の内の1つが、「読んだ自己啓発(?)の本にことごとくブログをやれと書いてあった」である事を表明し、それらの本の紹介をして終わる。(?)としてあるのは、この言葉の定義がよくわからないからである。こう、「君はこれからどう生きるか」「こういう生き方があるんだが、どうか?」と言ってくるアレだと思っている。今後本を紹介するにあたってこういう事を書くのはどうかと思うが、ハマりすぎると多分あんまり良くない。…上のこれ穏当な書き方で、「お前はこう生きろ!これ以外の生き方は無い!これ以外の奴はこれから、死ぬ!」くらいのヤツたまにあるから……紹介するのはそういうやつではない、と思う。
 
 
 
知的生活の設計
著者…堀正岳 出版…KADOKAWA
 
 
 
 
タイトルだけで「けっ」となりそうな人がいそう(自分はなった)だが、この本の言う知的生活というのは、漫画を読むアニメを見る、ネットを見るなど割と幅が広い言葉になっているので、タイトルで「けっ」となった人でも、最初の数ページを読めば、「まあ、許したるか……」となるのではないだろうか(自分はなった)。要するに、今の世の中で生活している人はほとんど全員が「知的生活」の芽をもっていて、どうせ芽があるならこうすると伸ばせていけるのでは、という本。
 
 
 
上で「『ブログは死んだ』なんて言う人もいるよ」と書いてあった本というのはこれで、当項の趣旨としては、拡散力という意味では各種SNSには勝てないけれども、発信ツールとしては未だ有効である。日々の発信を気軽に見返せるストックの場としてはいまだに最上級であり長く続けていくのであればこれ以上の選択肢は無い。また、特定のアプリに依存せずこの先新しい技術が生まれたとしてもそれをどんどん取り込んでいくことができると言う拡張性も魅力である。……と、書いてあった。
 
 
 
この後ブログを始めるならこういうことを心がけると良いと言う案内もあった。紹介はしない。今後続けていくのであればこれは内緒にしておいた方が良いからである。気になる人はぜひご購入ください。同著者「ライフハック大全」も面白かったです。
 
 
 
学びを結果に変える  アウトプット大全
著  樺沢紫苑  出版  サンクチュアリブックス
 
 
 
この本は読書や映画鑑賞といった情報のインプットよりもそれをどう外に出すのか、アウトプットするかの方がむしろ重要だと言う主張の本である。このタイトルでそうでなければ問題だが。
 
 
 
この本によればブログはアウトプットの練習方法の1つとして最適で、フェイスブックの5倍以上シェアされやすいという実験結果が出ていたり、アクセス解析でどういう「ウケ方」をしているのかが容易に解るのが魅力だそうだ。
 
 
 
ただ、設定されているハードルが高く、独自ドメイン(?)を取得して毎日更新を3年続けないと意味が無いとか。コレは、このレベルではやらないと思う。ドメイン?ザイバツグランドマスター?レベルなので。慣れたら考え直すかもしれないけれど。
 
 
 

 

大人のための読書の全技術
著 斎藤孝 出版 
 

 

「読む力」と「地頭力」がいっきに身に付く東大読書
著 西岡壱誠 出版 東洋経済新報社
 
 
 
「全技術」は該当章の趣旨としてはアウトプット大全に似ていたが、より「読書のアウトプット」に絞った内容。ハードルも比較的低いため、より深い読書がしたい、なんか感想とか書きたい、と思っている方はこちらがいいかもしれない。
 
 
 
ただブログ、という点に関してはほんの少しの登場。ただ活かすための方法の1つ、アウトプットの手段の1つとして登場。これは仕方ない。ブログの本ではないから。それは求める店が違う。スーパーでやたらこだわったハーブ探すようなもので、見つかれば嬉しく、無いのがまあ普通。
 
 
 
「東大読書」はブログ開設の話は無かった。アウトプット方法の章はあったのだけれど、本1つの中、あとはせいぜいノートくらいで完結していた。コンパクトにまとまっている。ネットでの公開など特に考えていないならこちらでもいいと思う。
 
 
 
読むべき本を探すための手段の1つに、自分が「この人は信用できる」と思った人のブログなどを探すという手段がある、という一文があり、これはどちらかと言えばブログを「読む」側の心理である。振り返れば自分もそういう事はよくやっていた。それを自分が「勧める側」になるのも面白いかもしれない。そう思ったのは事実である。故にここで紹介した。
 
 
 
とりあえずはこんな所か。他にもあった気がするが見当たらぬ。この紹介順なんだと思います?これはねえ、「部屋で見つけた順」。我が部屋は基本的に魔窟である。魔窟に座して読書する。何やら強キャラ臭がしなくもない。ようこそ我が屋敷へ。ここまで来た褒美に死を与え……ちょ、物踏まんといて。それはそこでいいの。あ、ごめん。その布は下着。いやん、もう。