節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

『舞姫』の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本

題名が目に入るでしょう?笑うじゃないですか。そしていつの間にか買っていたんですよ。怖いですねぇ。面白かったからいいけどさ。
【あらすじ……というか紹介】
 最初は面食らってしまった。心情的には純文学作品を応援したい。しかしどう考えてみても、明治の娯楽物語は面白すぎる。それでいて普通に生活していると、明治娯楽物語など目にすることはほとんどない。批評や評論を見つけることもできない。やはり価値もなく、面白くもない存在なのだろうかと疑問を持ちつつ、読めばやはり面白い。どういう状況なのか理解することができなかった(カバー折り返しより)
 
 
 【感想】
以下偉そうに書いている解説、全部この本の受け売りですね。明治時代は全然知らない。おもしろい時代だったようですね。「北海道の大学でジャガイモを常食しようという動きがあったが3日でやめた」とかね。せめて初めに提案した奴はもう少し頑張れよ。
 
 
 
時は明治。いち早く海外に追いつきまた追い越すべきという気概の元、あらゆる変化が海外の5倍速で進む時代。芸術感として「本物であるべき」という前提の元に体験談が持て囃され、文芸は「関わるのも下等」「体験談と空想談を一緒にするな」といじめられた。
 
 
 
純文学は、仮に空想だとしても苦悩や情感は本物であり、シリアスさや「美」を求め。黒田湖山は「美以外を目的とした詩歌や小説は価値がない」と断じたが、この動きに「そんなのは知らん」と返した者たちがいた。これはそんな面白さ重視の、「明治娯楽物語」を紹介する本だ。
 
 
 
 そんな風に紹介される本の中で、成程これは面白そうだと思ったものをいくつか紹介する。紹介文を読んでさらに紹介するというのもなんだか変な話ではあるけれども。
 
 
 
・講演 玉田玉秀斎「豪傑 荒尾龍之助」
主人公の龍之介が仇討のために日本を漫遊するが、彼本人も3人の武士に仇として付け狙われる。龍之介はお人よしの豪傑で、この3人を飲みに誘うほどだ(当然断られた)。
 
 
 
お人よしの主人公が巻き込まれてしまった悲しき復讐の連鎖……という作品のようにも見えるが、自分と3人との力量差を心配し、「追ってくる間に修行に励め」「俺の泊まる神社には印をつけておくので見失う心配はない」と配慮するくだりはコメディである。今出版されていたら「設定上の強さだけで人間的にはいけすかない主人公」と反感をかうかもしれない。こういうの明治からあったんだなぁ。
 
 
 
・緒方力丸物語
誰が書いたのかは今一つ解らないようだ。少年少女向けに多く出版していた立川文庫の誰かではあるらしいが。江戸時代の娯楽物語「自来也物語」と「自来也豪傑物語」を原作として明治向けにリメイク。
 
 
 
徳川幕府の成立に対し豊臣の残党が切支丹と手を組み天下を狙っていた。その中の有力人物こそ自来也こと緒方力丸である。豊臣切支丹連合も力丸も幕府の前に一旦は敗北するが、力丸は今度は庶民たちを味方につけて戦いを挑む。立ちはだかるのは大塩平八郎……!
 
 
 
この本でも突っ込まれているが、切支丹に与えられる特典が即物的過ぎて面白い。
 
 
 
「切支丹の宗教を信じて下されましたるならば、かならず貴君の御手許へ、数万金の黄金が集まる事眼前、又人の心が自然と判り、其他人の眼を喜悦ばし、且は雨露を降らし。望み事心の儘なり」とのこと。
 
 
 
混浴札束風呂でお馴染みのパワーストーンみたいなキャッチコピーだが、雨乞いの効果とはなかなか珍しい。農業関係の雑誌にアレが載る時なんかには出るのだろうか。
 
 
 
また原作にあった自来也大蛇丸綱手の三竦みを大胆に改変、図らずも大人気少年忍者漫画のネタ元を知ってしまったがそれは置いておいて、力丸(自来也)が愛用する日本刀が「大蛇丸」となっており、これを抜くと綱手の「蛞蝓の術」を使ったように辺りに霧が立ち込めるという三竦みを一人で成し遂げるグチパ剣。ニチアサの初期販促装備感がある。
 
 
 
敵方も徳川幕府が「切支丹の妖術を使っている現場を押さえる」のを狙ってみたり、日本駄右衛門を頭とする盗賊集団、白浪五人男との対立があったりといかにも面白そうに数P紹介されているが、137Pでは「さんざん褒めておいてなんなのだが、残念なことにこの作品は読んでみるとあまり面白くもない」とバッサリ。何故か?総評としてはどうなのか?そこは、この本を実際に読んで欲しい。あるいは原文を。
 
 
 
・桂市兵衛
特定の作品ではなく、多くの作品に登場するキャラクターとして紹介されているのが桂市兵衛である。安土桃山から江戸にかけて実在した(とされる)組み打ちが得意な小太り気味の小男だが、脚色に脚色を重ねた結果、「身長と肩幅が同じ」という恐るべき体型を得るに至った。
 
 
 
この後に「奥行」すらも手に入れた結果、ニックネームは「豆腐市兵衛」となり、「全部門主人公ランキング、概算体積の求めやすさ部門」では今現在に至るまで横に並ぶ者無しで1位の恐るべき存在となる。2位は多分カービィ
 
 
 
ギャグ要員としての登場が多く、「四角だから市兵衛だ、と腕試しに斬り掛られる」「変装しスパイとして潜り込むが即バレする」「忍術で大風を起こしサイコロのように転がっていく」などなど。作品によって善悪も曖昧で、中にはトラブルを起こした相手を殺し、水死に見せかけ笑いながら殺した相手の弁当を食うなんて作品まである。極悪人である。
 
 
 
一般的な豪傑の主人公は身長が2mを超すところ、市兵衛は150cmくらいなので侮られたところを大立ち回り、という場面もあるようだが、しかし、見るからに異様な体型なので相手方はもう少し気をつけて欲しい。主人公の強さや設定をアピールするために考え無しの行動をする無能な登場人物になってしまっているのではないか。今だとそういう指摘をされかねない。こういうの明治からあったんだなぁ。
 
 
 
・星塔小史 「蛮カラ奇旅行」
この本の題名にある「舞姫の主人公をボコボコにする」作品である。何故舞姫の主人公をボコボコにする必要があるのか。舞姫といえば森鴎外の名作では無いか。自分は読んだ事は無いが、調べてみると「外国で恋人孕ませたのを放置して内緒で日本に帰ろうとしたら、どっかから話を漏れ聞いた恋人がなんか病んだ感じになったけれど、主人公はそれを踏まえてなお、やっぱり帰る話」らしい。成程。
 
 
 
殴れ殴れ。
 
 
 
さて蛮カラとは何か。「坊ちゃん」で何度かみた単語のような気がするが詳しい意味は知らぬ。この本ではこのように解説されている。「身なりや言動が粗野なことである」、「鉄拳制裁の名のもとに、すぐ人を殴るという性質もある」。関わりたくない。そんな蛮カラの中でもひときわ凶暴で力も強い、島村隼人が主人公だ。とても関わりたくない。
 
 
 
ストーリーとしては単純で、50万くらいの金(現在換算)を持つ強い奴が、旅行しながら人を殴るというものだ。蛮カラが出て殴る!主人公が貧乏だったり、新しい文明を見たりする旅行モノが流行り、それがネタ切れ寸前の時に書かれた物らしく、やはりジャンルが成熟してくると、設定の一部を逆張りした、しかしそれ以外の部分はテンプレという物が出始めてきて、こういうの明治からあったんだなぁ。しかし世界旅行の予算としては50万は少ないような気もするが、どうなんでしょうね。
 
 
 
さて展開としては西洋かぶれのハイカラではなく、大元の西洋をダイレクトに殴った方が手っ取り早いという雑草狩りみたいな発想で島村隼人は海外を目指すわけだが、行きの船で御婦人に襲われる。話を聞いてみると日本人の男に騙されて酷い目にあい、以来日本人を見るとナイフで刺そうとするのだという。言うまでももなく、舞姫の恋人をモチーフとしたキャラだ。なお、「狂夫人物語ー憎むべき日本紳士」と言うのが事情を聴くパートの章題である。突っ込まれているが改めて配慮もヘッタクレもねえな。
 
 
 
この御婦人とは「帰国したらその日本人を叩きのめす」と約束して別れ、その後はインドで強盗団を叩きのめしたり海賊と殺し合いをしたり無人島で500万(現在の貨幣価値で100〜500億。案の定50万では足らなかったか)を見つけ、400万使って(5分の4だから大体80~400億?せめて旅行に使えよ)パリの伯爵夫人を惨殺したり、イギリス人の老人と協力して、子供達に武士道と騎士道を叩き込んだりしながら、最終的にはアフリカ人のアルゴを連れて帰国する。
 
 
 
アルゴは麦を使って米やパンを超える主食を発明し、武士道と騎士道を同時に身に付けているだけでなく、弓術と捕縛術の達人で、脱出不可能とされたことをにある牢獄から抜け出しては海賊組織と無政府主義者の組織をぶっつぶし、大きなトラブルの6割は彼が解決していると言う。牢獄から抜け出す下りには巌窟王の要素が含まれているのでは、と邪推する。
 
 
 
さて帰国した島村隼人は、電車の中で例の舞姫野郎を見つける。ボコボコに殴りながらその所行を大声で暴きたて、身体も精神も再起不能にすると舞姫野郎は蒼い顔をしてドッカリ尻餅を搗き、無言で項垂れたまま、再び言葉を出さなくなる。御婦人の病気も舞姫野郎を殴ったら良くなったそうで、読者含めてみんなで万歳して終わる。いいんだけどさぁ。御婦人の精神病、本体死亡解除のバステだったの?
 
 
 
他にもイケメンだがそれを補って余りあるクズで、作中にただの一度も善行の記述が無いという「閻魔の彦」や、鹿島神刀流真の八方遠当の妙術なる必殺技を用いる覆面ヒーローその名もズバリ「悪人退治之助」など、ふつうに生きていれば出会えなかっただろう物語が色々載っていて面白かった。
 
 
 
「遠当は講談豪傑なら誰でも使えるような技だが悪人退治之助の遠当は威力絶大である」なんて下りは、「『ガンドは魔術師なら誰でも使えるような魔術だが遠坂凛のガンドは威力絶大である』じゃん!」となった。上の感想でも度々「明治からこういうのあったんだなぁ」と言っとりますが、本当今の色々と重なる部分もあって。面白かった。
 
 
 
 紹介されている本の多くはネットで読むことも出来るので、気になった方はそちらもどうぞ。ちょっと字形とか画質とかで慣れが必要かとは思いますが。では最後に、皆様で万歳でもしましょうか。
 
 
「我が読者諸君の万歳を三呼する!」
 
 
 
良いですね。以後締めに困れば使うかもしれない。ちなみに私はちゃんと3回腕あげましたから。今、夜中だから声は出さないけれど。