節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

ほぼ間違いなくやりすぎな復讐の果てに「ジョン・ウィック」

復讐。様々な作品でその是非が論じられてきたテーマである。個人的な考えとしてはエルメェス兄貴の「自分の人生に決着をつけるためにある!」がまあ、心理としては一番に納得できるところで、ただ「復讐なんてやめろ、するべきではない」と言われて迷うような人はやめといた方がいい、と、思うから、こういう反対の意見に対しても「まあ、そうよねぇ」「法治国家の国民としてはねぇ」くらいに留めておく。そんくらいしか言えないしなぁ。うかつにそそのかせば共謀罪とかいろいろあるしね。
 
 
 
ジョン・ウィック。この作品も、とある男の復讐を描いた物語だ。大切な物を奪われた男が、奪った相手への復讐を誓う。邪魔する者は容赦しない。マフィア一つを敵に回して、身体中に傷を作りながら、男は戦い続ける。そんな事をしても、奪われた物は戻らない?そんな事は承知の上だ。だが男は戦い続ける。奪った者への怒りを、奪われた悲しみを、その相手に直接叩きつける、ただそれだけのために。お前たちは、俺の大切な物を奪ったのだから!
 
 
 
具体的には、愛車と愛犬の命。愛犬、飼ってたのは2日くらいかな。
 
 
 
<あらすじ>

裏社会に語り継がれる一騎当千・伝説の殺し屋ジョン・ウィック。愛を知り、表の世界へと足を洗い平穏な日々を送っていた彼は、ある日、不運にも彼の愛するもの全てをマフィアに奪われてしまう。怒りに震え、心の奥底に封じ込めた”殺し屋の魂”を解き放ち、復讐のために独り立ち上がる。(楽天ブックス商品説明より引用)

 
 
 
<感想>
冒頭ではあんな書き方をしたけれども、この動機は良いと思う。「亡き妻との思い出の愛車」と、「その妻の最後の贈り物」。相当以上に「重い」のは確かなのだから。特に愛犬に関しては殺害である。不可逆の変質だ。それは当然許せないだろう。
 
 
 
一方で、多くの、一般的な復讐モノなら、ここに置くのは「妻」本人だろう。作品によっては「子供」だの「親」だのかもしれないし、場合によっては命を取らずに誘拐したり、あるいはただ「殺す」だけでは無かったりするかもしれないが、ともかく「人命」を置くのではないかと思う。何故か?素人考えではあるが、これはこの後の復讐の過程で、主人公が実に多くの「人命」を消費するからではないか。目には目を、歯には歯を、殺人には殺人を、というのは、時に例え……語弊のある言い方にはなるが、その「質」や「量」で、あるいは単純に道義によって議論が起こるにしても、ひとまずエンタメとしてならば、それなりに多くの人が納得する回答ではないか、と思う。
 
 
 
しかしこの作品においては、妻は既に、冒頭で死んでいる。復讐に至る罪はあくまでも、「強盗」「傷害」「器物損壊」「動物愛護法違反」まあ、そう言ったところか。重い罪である。全て合わせればそれなり以上の実刑は免れないところだが、相手は大物マフィアの息子、法による裁きは期待できない。では俺が裁く、となるのは間違いではないが、敢えて言おう。ジョン・ウィックは明らかにやり過ぎだ。殺人×100である。無論器物損壊だの脅迫だのも入ってくる。ハンムラビ法典には過剰な報復を防止する目的も、あったとか、無かったとか。
 
 
 
が、やり過ぎだろ!という突っ込みはこうした「復讐モノ」において無粋の極み。これが妻だったなら、子供だったなら。人命を奪われたならこっちも殺人×100していいのか?許されるのか?そんなことは当然無い。同じように許されない。法的にはどちらも問題だ。同じように駄目ならば、同じように作品として成立しうる。極論ではあるが。
 
 
 
無論やり過ぎた代償を、あとで払う事にはなるかもしれない(ジョンはなった)が、やっているその真っ最中にそんな事言うのが許されるのは、やられている当事者だけである。自分のやった事を棚上げにしてしまっているので、そんな事言えば酷い目に合うのは明白だが。いやあ、悪い事はしないに限る。どこで何でどんな奴の恨みを買うか解った物ではない。
 
 
 
さて本作の悪役たちは、そんなジョンの動機に関しどのようなリアクションをとったのか?これが以外なほどにしっかりとした対応を取っているように思えた。そもそも「ジョン・ウィック」のネームバリューは相当なものだ。何をやらかしたのか解っていないのはドラ息子くらいの物で、あとの全員は「ジョン・ウィックを怒らせた」「ジョン・ウィックが怒っている」事の意味と重大さをよく理解している。理由聞かずに「うっわぁ……」な顔する。そりゃそんな状態になっちゃったら、もう理由とかあんまり関係無いよね!
 
 
 
マフィアのボスの対応も、概ね正解に近い物だったと感じる。そもそも論で言えば「息子の躾、しよう?」「少なくとも地元に住んでる組織の功労者くらいは教えとこうぜ」という部分はあるにはある、が、もう、やっちまった物は仕方ない。事後対応だけを見る。状況を把握して一番にした行動は息子との会話。少しの暴力を交えつつ(あんなのはね、少しですよ)、息子にジョン・ウィックの脅威を叩き込む。「ブギーマン(怪物)を殺すために呼ばれるような男」、「3人を1本の鉛筆で殺した」、そんな男を敵に回したのだと。
 
 
 
そんな状況を認識させた上で「大人しくしていろ」と厳命し、聞きゃしないよなと護衛を増員。ジョンに刺客を差し向けしつつも、その前に「紳士的に解決は出来ない?」と電話確認を忘れない。ガチャ切りされたけれど。結果論で言えばこのタイミングでまず謝罪し……息子の命をあきらめる事が出来れば、まだあそこまでの惨事にはならなかっただろうけれど、しかしマフィアのボスも人の親。そんなあっさりと諦められるわけもなく、また、妻と愛犬亡くしたばかりの人に「息子は見捨てるから俺の命だけは!」なんて言えば、やたらと踏みにくい位置にある地雷を踏む可能性はあって、そこに地雷が埋まっているとすれば、ブルーピーコックレベルの物なので、この対応……刺客の派遣は、悪手ではあるが仕方ない。何故なら、ジョン・ウィックはもう、間違いなく、息子を殺しに来るのだから。
 
 
 
自分はもう、この物語、中盤は完全にマフィアのボス、ウィゴさんの視点で見ていた。この辺り、やはり事の発端で「人命」を奪わなかったのが効いていると思うんだが、例えば息子やその仲間たちがはしゃいでいるクラブでの大立ち回りや、ウィゴさんが隠し資産を保管している教会に出向いて、資金資産に脅迫のタネを全部燃やす下りなんかは、心の奥底で「おう……」となってしまう。「もう許してやれよ」「そこまでやるかよ」。他の復讐モノでは気にならないこの感覚が、不思議に湧いてきた。が、これが「許されない罪」であることは、ジョンの視点で繰り返し語られる。「……まあ、そこまでするか……いや、だが、ちょっと、その……慈悲、手心……」するとどうなるか。迷ってきた、ちょうどいいタイミングで、ジョンがウィゴに捕まるのである。そして縛られたジョンに、自暴自棄になったウィゴが言うのである。
 
 
 
「たかが車だろ!たかが犬じゃないか!」
 
 
 
この時縛られたジョンの左側にいる護衛に注目してほしい。めっちゃ味わい深い顔をしているから。
 
 
 
(うぉー……言いやがった……えー……どうなる?……うん、まあ、そうね、そうなるよね……えー……いや、大丈夫だとは思うけれど……逃げられたら俺、死ぬじゃん……)
 
 
 
見事にこんな感じの表情である。ちなみにこの後この護衛は、九死に一生を得たジョンと、そこそこ善戦する。この状況での最大限の善戦。そこがまた、良い。ジョンの事情も怒りも悲しみも、ある程度は解るけれど。おとなしく殺されるわけにはいかないんだ。
 
 
 
そして後半。ジョンがウィゴの息子を殺し、ウィゴもジョンの手助けをした友人を殺してからは、もう、お互いに後には引けない復讐の泥仕合である。いやウィゴは逃げようとしているので、後には引けないというのもまた少し違うか?いやあ、しかし、ジョンが来た時のウィゴは楽しそうだった。「来ると思った」からの「なかなかやる」からの、ロシア語天丼を挟んでの、部下に向けて「幸運を祈る」ですよ。立場上逃げなきゃいけない男が、どうしてもやりたかった試合を組ませてもらった。そんな形容の似合うテンションの上がり具合じゃないか。そして、二人きりの、雨の中の殴り合い。スクライドかよ、となりますね。この辺りはもう、ただ、見守るだけだ。
 
 
 
他にも裏社会の組織「コンチネンタル」の設定や、手に汗握るアクション。「ジョン・ウィック」を知る者の、対応から見えるその脅威の描かれ方など、語るべき部分は多々あるが、長くなってしまったのでこの辺りで一度切る。
 
 
 
「復讐鬼に『復讐なんてやめろ、もう戻って来ないんだぞ』なんて言ったら状況が悪化するのは目に見えているけれど、それでも復讐鬼に散々被害受けた人はそりゃあ文句の一つも言いたくなるよなぁ」と考えた事がある人には、ぜひ見てほしい。言いたくなる状況をこれでもかと我慢して、それでも抑えられなくなってしまったボスの、部下の表情が、味わい深い。
 
 
 
最後。傷だらけになりながらも、新たな「希望」を手に夜の街へ、思い出の我が家に帰っていくジョンに、せめてもの幸福があらん事を祈るばかりである。
 
 
 
 
 
 
ちなみに自分は「2」から入ったから、どうなっちゃうのか知っているんだけれども。