節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

お前はなんでいきなり「文學界」を読み出したんやという話

そういえば書いていなかったな、と思い当たり。

芥川賞のアレでいい機会なのでまとめておこう。

 

畑違いのジャンルに手を伸ばす

 

年始にそういう目標を立てた。当時の自分にとって最も畑違いのジャンルが純文学だった。なので純文学に手を伸ばした。こちらの記事にも少し関連するか。

 

 

zattomushi.hatenablog.com

 

 

まぁなにせ畑違いのジャンルですからね、何を選んだらいいのかもよくわからんわけで、もっと言うと何が純文学というジャンルに該当するのかもよくわからんわけです。好みで適当に選んだら「お前のそれは純文学ではない」と言われる可能性もゼロではないわけだ。そんな事を言われたら悲しい。

 

そんな中で色々と調べた結果、「文芸誌に掲載されている作品は純文学とされる確率が他の作品と比べて高い」と判断し、一番手近な本屋さんで入荷していた文芸誌である「文學界」に目をつけた訳だ。

 

……改めて書いてみるとこの文章は「文芸誌を読み始めた理由」で、「文學界を読み始めた理由」ではないが、まぁこのまま行きます。

 

つまり理由の1つ目としては、「『純文学』に該当する作品を読む確率を上げるため」ですね。文芸誌に載っていればそれだけで純文学と言えるのか。それはねぇ、まだ俺にはよくわかんないです。内容もおそらく関係はあるだろうよ。芸術としてのなんか、うん、そういうアレ。真面目な話この辺りはプロの評論家さんの間でも意見が分かれているようだし。俺が決めることではな。

 

ただまぁ「難しいから考えなくてええやん!」と難しさを理由に逃げてしまうとなぁ……純文学の内容だのテーマだのも大概難しいからなぁ……それらからも逃げてしまうような気がしてなぁ……。純文学を読んで「難しいことを考えない」のは、純文学を読んで他ジャンル、漫画やアニメの話ばっかりする事に似るだろう。せっかくの読み味だ。適度に難しいことを考えよう。

 

……つまり他ジャンル、漫画やアニメの話ばっかりしている俺は任意のタイミングで逃げる事が許されるという訳だがな。逃げ道は常に確保させていただく。四枝の浅瀬(アトゴウラ)など敷くものかよ。

 

真面目な話、漫画やアニメでも全然難しい話は出来ますしね。やろうと思えば。

 

個人の好みに頼らない作品選びを

 

いくら「純文学」が得体の知れないジャンルとはいえ、まぁ「間違いなく純文学とされている作品」はいくつかある。

 

例えば芥川賞なんかは、賞の定義からして「純文学作品に贈られる賞」であるから、芥川賞受賞作を読めば「純文学」を読んだ事にはなるだろう。

 

……ちょくちょく「これは純文学とは言えない!」とか「エンタメ色が強すぎる!」とか言っている人も、調べている際に見ましたけど、まぁそれは今回は置いておこう。

 

実際こちらの方が俺にとって面白い作品である確率……俗にいう「打率」は高くなると思います。芥川賞受賞作、というのは既に150冊以上あるわけで、候補も含めりゃその数倍に膨れ上がり、好みの作品を探すのも、あらすじ等を見れば簡単だろう。正直上の「むらさきのスカートの女」は、まさにそういう風に探したやつだし。

 

けどせっかくよくわからんジャンルを読んでいるんだから好みのばっかり選んでもしゃあないだろう。

 

じゃあつってあらすじ等を見て「好みじゃない奴」を探すのも、逆張りっぽくなったり、過度に口が悪くなったりして良くないだろう。

 

三者が選んでくれりゃあそれで良い。出来れば短いやつが良い。「世間での評価」があまり定まっていない新作なら最高だ。

 

そりゃあ文芸誌に行き着くのは自明の理ですわね。一言で言えば「ランダム性」が欲しかった。こう書くとこのレコメンド社会に対するささやかな反抗だな。勿論そんな大層なことを考えていたわけではない。

 

現状後悔はしていない。あまりにも好みから外れている作品は、現状選ばれていない。まぁ、そこまで激しく嫌いなジャンルや要素というのもすぐには思い当たらないし。シンプルに出来があまりにも、という事ならアレだが、そういうのは弾かれるだろうし。

 

定期的な新作の補充

 

月1で1から2つの短編が「読むべきもの」として補充され続ける、というこの状況には、やり始めてから分かったメリットがあった。

 

わざわざ選ばんでええから楽なんですわ。

 

スランプ気味というか、疲れた時に本屋に行くと「何を見ても今ひとつ面白そうに思えない」そういう状況になってしまう事がままあって……いや「なんでも面白そうに見える!」は一周回って何かしらがハイになっている時なので、これはこれで不味いのだが……こういう状況で「読まずに放置」していると、長引くんですねぇ、経験上。

 

「何を見ても今ひとつ面白そうに思えない」の解決には、恐らく栄養とって寝てしばらく過ごすしかない(それでも治らなきゃ病院行く)のだが、ここでこの間何も読まず、ブログの記事も書かないとなると、「物語を読む感覚」「ブログを書く感覚」も薄れていき、「何を見ても今ひとつ面白そうに思えない」が解決してからこれらを取り戻す、そういう段取りが生まれてしまい、結果、長引く……のだろうと自己分析しております。

 

なんでまぁ、とりあえず「感覚の維持」だけでもしておくことで、復帰をスムーズにできるんじゃねえかなぁと、そういうことですね。一言で言えば「スランプの予防」だ。読むべきものが一定の間隔で流れてくるこの感覚は非常に心身に良い。

 

 

 

とりあえず言えるところではこんなところかな。

 

他にも理由があると言えばあるんですが今ひとつ言語化できていなかったり、あとはなんと言うか、「純文学と言うジャンル(またはそれを好んで読む読者)に触れていなかった頃に感じていた先入観」みたいなものが絡んできて、これを言うなら「ある程度触れた」現状どうなんだみたいな話もするべきだろうし、それを書くにはまだ触れて日が浅過ぎるよねという事で、まぁ1年くらい読んだ後で気が向いたらそういう話をしようかな、と思います。

 

……いやまぁ、純文学と言うジャンルの歴史を考えれば1年でもまだ全然浅いですけどね。「月に短編を1、2個」のペースだと、30年くらい経っても恐らく……。……まぁ個人のキリの良さ優先で。

 

実の所そんなに深淵に興味もないし。浅瀬ぱちゃぱちゃで充分楽しめる人間だ。タイドプール最高。たまに変なのが居る。ヤバいのも居る。ヒョウモンダコとかカツオノエボシとかの毒系が特にヤバい。皆様も充分お気をつけください。

 

 

 

文學界」の話をしていたのに「ヒョウモンダコには気をつけよう」で終わるこの脱線っぷりは、まぁ初見の人にも俺がどういうノリで作品を読んでいるのか分かりやすくて良いんじゃないですかねと、他人事の様に思った。

 

 

お前の書く文章の脈絡が無さすぎるからやぞ。