諸事情があって久しぶりにでんぢゃらすじーさんを読んだ。
読んでいるとなんだか妙な感覚があった。「俺はこれを前に読んだな」という感覚で、そして、実際当時読んでいたのだ。既視感でも何でもない。既視。
「このネタはクラスでウケていたな」というのも、確かに記憶としてあった。多分銀魂とかを読んでも、同じような感覚を味わえるだろう。アレは後半シリアスなバトルものになっちゃいますが、序盤の方でなら。
今読んで面白いかというと、面白いは面白いんだが、やはり当時とは面白がり方が変わってしまう。「当時はこれを面白いと思っていた」という、フィルターが一枚挟まってしまい、これはどうにもならん。
当時と同じノリでウンコネタで笑いたいか、と言われれば、そんなことはないし。何歳ぐらいで「フィルター」が作用するようになるのか、研究してみるのもよいかもしれぬ。
今日、8/8は「猫の日」だそうだ。でんぢゃらすじーさんには猫に似た怪生物の「ゲベ」が登場するのだが、彼は断じて猫ではない。じゃあなんなのか、と聞かれると困るが。
ゲベのリアル顔、これは当時と同じノリで笑えたかもしれない。
フィルターが働く、働かないの基準はどこにあるのか。真面目に考えると、おそらく大学くらいの領分になっていくだろう。たいていの物事はまじめに考えるとそうなるという説もある。