タイムスリップ芥川賞を読みました。
文學界の感想記事についてはいったんお休みする運びとなったのですが、それはそれとして「純文学」というジャンル自体には興味と手ごたえを感じておりまして。何か面白そうな芥川賞の本はないかな、と探す、それが目的となっています。さて、ではやるかな。
街の有名な博士がタイムマシンを発明してそれに乗って「〇〇の歴史を見ていこう」する導入!
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月10日
生きていたのか!
昔の学研でありましたよねこういう導入。○○の歴史、的な……。
と、書いてみたものの、コレ系で一番初めに俺が思いつくのはギャグマンガ日和の恐竜博士なのですが。普通「恐竜博士」がタイムマシンを持っていて、そんな博士の家に恐竜が好きな子供がやってきたら、今回の芥川賞博士よろしく快くのっけてあげる……と思うのですが、この博士はすげぇんですよ。まず、すげぇネチネチ言葉責めしてくる。
……ただ、歴史を変えうる発明品にそんな雑に子供を乗せて良い訳がねえだろ、せめて事前にアポをとるなりなんなり、もっと然るべき対応をとれ、と言われてしまうとそれはそうなのだが。それはそうなのだが、それはそれとして、この博士はすげぇうざいです。
興味がある方はぜひ……割とマジで不快に思う人もいるかもしれんウザさですので、そこだけは注意しておく。……こう書くと逆に「身構え過ぎる」人もでるか。言うてギャグマンガの範疇ではある……その範疇の中で、最大限のウザさなりけり。
障子を破るシーンは知っていたけれどもそれ以外もすげぇな……。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月10日
これは「太陽の季節」の紹介文に関するつぶやきですね。
なんだろうな……あんまり政治的な発言はしたくないんですけれども……。
……「太陽の季節」の作者さんといえば、俺が物心ついた時には既に「漫画・アニメ規制おじさん」だったわけですよ。「障子を破るシーン」も、えーと……「『漫画・アニメ規制おじさん』に怒っている(たぶん)おじさん」が、「アイツだって昔は自作でこんなこと書いてるくせによぉ」みたいに教えてくれた(俺個人に教えたつもりは「『漫画・アニメ規制おじさん』に怒っている(たぶん)おじさん」には無いとおもうけれども)やつだし。
で、今回「太陽の季節」であるだとか、本作を書くに至った経緯、本作の評価だとかを改めてみるに……やはり「なぜこうも極端に意見が変わったのか?」は気になるところだな、と思ったのですが……。
まぁ、人には色々あるだろうし。本作を読んでそれが解るとも限らねえし。調べたところで納得ができるとも思わねえし。今更あのおじさんがやろうとしていた事に対して俺が抱いているイメージは覆らねえだろうし。この件については、「不思議だなぁ」で終わろうと思います。
世の中には不思議でないことなどないのだよ。
ガルガンチュアとパンタグリュエル……妙に縁があるな、ここ数日……。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月10日
偉大な作品であるらしいのでえ影響もまた多いという事だろうが。
大江健三郎氏が東大を目指すきっかけになった恩師……それこそがガルガンチュアとパンタグリュエルを全訳した渡辺一夫氏である。彼がガルガンチュアとパンタグリュエルを訳し、また読売文学賞を取るに至った漢詩がいかなものだったか。このブログの前回の記事を読んでいただければわかるだろう……!
……こんな書き方するならもうこの場で書いちゃってもええやろ。
先日脱糞痛感
未払臀部借財
同香而非同香
濛気芬々充满
(キリンが小説を読んだら サバンナからはじまる現代文学60 P72)
うんち!
マルキ・ド・サド、「高校に持っていって読む本」としては相当にハイレベルな部類じゃないか。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月10日
読んだ事はない。
どちらかといえばMだったみたいな話は聞いたことがある。
……この書き方だと、このつぶやきだけを見た場合……。俺がマルキ・ド・サドを高校に持って行って、「ハイレベル!」と自画自賛しているようにも見えるな……。
……違いますからね?そんなことはしていませんからね?やっていたのはアイツです!アイツ……中上健次です!
(博士)中上はこの土地で、母親が話す昔話を聞きながら育った。中上の小説に大きな影響を与えていることは間違いない。
(少年)中上健次はどんな少年だったの?
(博士)高校時代から本を手当たり次第に読むようになり、マルキ・ド・サドやセリーヌ、ジャン・ジュネ。高校へ通学するときは鞄のなかにサドを一冊入れていたそうじゃ。
(タイムスリップ芥川賞「文学ってなんのため?」と思う人のための文学入門 P128⦅原書では「博士」「少年」はそれぞれイラストによる⦆)
勘弁してくださいよ、俺がそんな事するわけないじゃないですか……。
(……ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」……持っていったうえで結局読破には至らなかったな……)
第4章まで。一区切り。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月10日
村上龍と村上春樹……。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月10日
中学の頃「あの二人は親子なんだ」と父親に嘘を吐かれしばらく信じていた記憶があるような。
嘘つきには「意味のある嘘しかつかない奴」と「意味のない嘘もつきまくる奴」の二種類があるとはビスケの言ですが、父親が「意味のない嘘もつきまくる奴」なの、軽く絶望であるな。
……いやでも俺も割とそっちか。血筋ということで。
ネット老人会が語る「ゴミ拾いオフ会」も前衛芸術の文脈で語る事もできるだろうか。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月11日
無理やろな。
紙幣(実物だけでなく印刷されたものを含む)、コンビニのコピー機とかでコピーしようとするとなんか警報がなるんだったか。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月11日
試す気もないが。
トマソン、貴方が考えた言葉だったのか。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月11日
この辺りは「赤瀬川原平」についての記述を読みながらですね。
「前衛芸術としてのごみ拾い」、「千円札裁判」、「超芸術トマソン」についての文章など、どれも楽しく読むことができた。作品自体も面白そうだ。
うすうす勘付いてはいたが、やはりあまり堅苦しく「文学!」という人ではなく、むしろそういう堅苦しさから少し距離を置いた人が好みなのだな、とは思う。距離を置くのもなかなか一苦労なのですよ?一苦労で済むかよ。しらんけど。
最近は受賞作なし、聞きませんね……。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月11日
……この中から受賞作が出る、という確信を持って候補作の仕入れをやってたりするから、余程のことがない限り「受賞作」を出さないと本屋との仲が悪くなる……。
……という仮説は商業主義に染まりすぎだろうか。
80年代「受賞作なし」が続いたことに関して、そういえば最近は芥川賞で受賞作なし、聞かないなーって。調べたところ最後は2010年だそうで……もう10年以上「受賞作なし」は出ていないことになる。
まー……候補作というだけでも書店に平積みされるようになった現状では、割となくはない裏事情ではないかとは思うが。
今後も「受賞作なし」は減っていくのだろうか。あくまで個人の考えではあるが、まぁ減ってはいくだろうけれども、十数年に一度レベルではたまに現れるのではないかと思う。ただそれはなんというか、その年の候補作のレベルが低すぎた、みたいな理由で行われるのではなくて……絶対講評とかでは認めないだろうけれども……敢えて悪い表現をするのであれば、「真面目に選んでますよアピール」のためではないか、と、全然門外漢の自分は無責任に思うのでした。
少なくとも初期はそういう基準だった、と。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月11日
芥川の遺風をどことなくほのめかすような、少なくとも純芸術風な作品に与えられるのが当然である。
(昭和10年2月)
(タイムスリップ芥川賞「文学ってなんのため?」と思う人のための文学入門 P272)
……なんか今この基準で応募はじめたら悪いインターネットのみなさんがパロディや文体模写をこぞって応募しそうだなぁ、とは思った。でも芥川でそんなパロれそうな作品あったっけ、と考えると……羅生門?クソデカ羅生門は名作ですねぇ。
ここで落とされた太宰くんがたしかヒス起こすんじゃなかったかな。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月11日
おう。やはりそうだったか。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月11日
本書ではしっかり川端康成とのレスバも解説されているぞ!川端康成が太宰の死後に「女生徒」で若干デレるところまで解説されているぞ!
読了。まとめる。
— 雑踏虫 (@zatto_mushi) 2023年1月11日
読み終わりました。「芥川賞を取った作品」についての本、というよりは、「芥川賞」についての本でしたね。その時代に応じて「芥川賞」……ひいては文学がどのように影響され、また影響を与えていったのかについて、ある程度わかりやすくまとめられていました。
……正直期待していたのは「芥川賞を取った作品」についての解説だったので、そこはちょっと外してしまいましたが、まぁ、これはこれで。一応作品の簡単なあらすじ紹介などもないわけではない。
面白そうだったのは紹介順で行くと……。
だろうか。……しかし1900年代の作品だから、正直読み味は今の文章とかなり違っているだろうな……。文學界すら一苦労の現状ではやや厳しいかもしれない。純文学については今後も気楽にやっていこうと思うので、気楽の延長線上でいずれ出会うことがあるかもしれない。ないかもしれない。わかんない。
そういえば新しい受賞作も発表されましたね。文學界候補作の「グレイスレス」も、そう遠くないうちに。
純文学にはまだまだ、俺が面白がる余地はあると思っているのだ。……まぁ俺が勝手に面白がるだけなので、あちらにはむしろ迷惑だという可能性すらあるが。怒られない程度にな。