荒木先生だから許される事を許すべきか(3-3)
結論としてはまぁ「(書くものが面白いと思える内は)許すしかない」になると思うんですけれども。
前回(3-2)ジョジョリオンについて「『結局アレはなんだったんだよ』というのが多すぎる」と書いた。これはまぁ、基本的に作品の評としては欠点であろう。あくまでも基本的に、だが。
ザッと思いつくだけでも
- 記憶の男
- 屋敷各所にある「本屋のマーク」
- 宝石の赤子
などが、まぁ終わった後もよくわからん。
「宝石の赤子」はまぁ個人的には何もなくて良いと思いますが。「この宝石……あの……エイジャ……」とは思いますが、まぁコレは放置しても良い。「世界にはそういう謎もありますね」で良い。この辺りのラインはまた今度考えよう。
で、そういう「欠点」を抱えた上で、それを「マジ」で不満に思っている奴っていうのは……居ない、とは言わないけれど、「作者が荒木先生でない場合」と比べたら、実数が明らかに減るんだよな。
なぜなら荒木先生のファンというのは、良くも悪くも 「『結局アレはなんだったんだよ』というのが多すぎる」事に慣れている。まぁジョジョリオンは、それを差し引いた上で「ちょっと多いぞ」と言いたくなる部分があったわけだが。
だから例えばこの世にジョジョリオンが無くって、その上で荒木先生以外……例えば新人作家さんが書いた、ジョジョリオンによく似た作品があった場合、その評価は「欠点」による減点を大きく喰らい、ジョジョリオンによく似ているにも関わらず、ジョジョリオンよりも評価を落とすだろう。場合によっては打ち切りすらもあり得る。
これを「まぁ荒木先生だから」で免責しても良いのか、という疑問について、考えてみよう。
結論としてはまぁ「(書くものが面白いと思える内は)許すしかない」になると思うんですけれども。
そういう事に、なりました。
ジョジョランズ面白いです。
現状はハウラー社長が好きです。
メリル・メイはスタンド使いで無い方が好みですがどうなるだろうね。
2025/02/12 06:24