黒歴史になりきってしまう前に感想について書いておく。
結論から言うと、ちょっと良かった。いや、変な意味ではなくて。間違っても興奮したとか、そういう下世話な意味の「良かった」ではなくて。
アレで興奮するわけねぇだろ。
ただ、書くにあたって言葉使いに多少気を付ける様にはなっていたな、とは思った。
もちろんネット上に己が書いた文章を公開するにあたり、言葉使いというか、表現に気を遣うのは、ある程度は当たり前のことなのだけれども、そう言った「炎上リスク」や「ネットリテラシー」、最近風に言うのであれば「ポリティカル・コネクトレス」などとはまた別の次元での「気の遣い方」であった。
……「ポリティカル・コネクトレス」をこの並べ方で並列に扱うのはどうなんだろう、とか、そういう感じのが俺の普段の「気の遣い方」で、別にどちらが上だとか下だとか、そういう話ではないですね。
普段の気の使い方が、「第三者から見てどの様に見えるのか」に重きを置いたものだとすれば、ショタ時の気の使い方は「自分自身から見て適切か」に重きを置いたものだった、様な気がする。なにぶん1回しかやっていない(そして当分やる気もない)ので、軽々しくこうだ、と断言することはできない。
こう書くと怪しい自己啓発セミナーの様な表現になってしまうが、「他人の目からどう見えるのかではなく、自分自身がどうありたいかが重要なのだ」……と断言してしまうとショタ時の気の使い方のほうが重要になってしまうので、「他人の目からどう見えるのかも重要だけれど、自分自身がどうありたいかも同じように重要だよね」くらいの曖昧な表現に逃げておく。
曖昧な表現に逃げたは逃げたが、そう思ったのは確かである。
また何か別の機会にやってもいいかもしれないが、それはそれとして、当分やる気はない。
「ショタになった自分」を自分自身カウントしてもいいのか、という問題はあるし。
あと、「ショタになった自分自身」で「自分自身」を省みる姿を「第三者視点で」見られた場合どのように映るのか、という問題もあるし。
……後者については、あまり深く考えないようにしましょう。自分自身に気を遣え。