節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

「むらさきのスカートの女」に刃牙を見た

年始、畑違いのジャンルに手を伸ばす、と目標を建てた。畑違いの具合からすれば、純文学、というジャンルが一番畑違っている。なにせ何を育てている畑なのかもよく解っていない。そういうジャンルに手を伸ばす。雑な野菜泥棒ですね。やめなさい。犯罪ですよ。

 

良く分からない野菜といえば、ロマネスコという野菜を一度食べてみたい。そういう欲はある。しかし食べ方が解らない。どこに売っているかも、値段の相場も解らない。

 

これはまた別に書くとする。

 

脱線を脱線のままにして走り続ける、というのが旧来のやり方だったが、これから……ずっとかどうかはわからないが少なくともしばらくの間は「脱線したら一旦切り上げて本線に戻し、後日改めて脱線先に行く」という形式を試したい。

 

記事タイトルの話題がいわゆる本線だとしたら、「いつまで脱線してるんだ」という不満を持ち、離れる人もいるだろう。そういう人を少しでも減らせれば、と思う。記事数の水増しも出来るし。

 

そんな畑違いのジャンルである「純文学」の作品として選んだ「むらさきのスカートの女」。「純文学」とは何か良く解っていない人間が読んだなら、一体どうなってしまうのか?ネタバレ注意でやっていきます。純文学そういうのは薄いみたいだけど、気にする人が0ではないだろう。

 

 

 

これ商品リンクは文庫版しか見つからないのですが、読んだのは単行本なので、下の引用部はそれでちょっとズレてるかもです。

 

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導する。『あひる』『星の子』が芥川賞候補となった話題の著者による待望の最新作。

(Google Books あらすじより引用)

 

 

 

妹のわたしに口喧嘩で負けるようなおとなしい姉だったが、食べものに対する執着だけは人一倍強かった。一番好きな食べものはプリンで、容器の底に残ったカラメルをスプーンですくい取り、それを十分でも二十分でも、飽きることなく眺めていた。食べないならちょうだい、とわたしが横からパクッと食べてしまった日には、家中がひっくり返るほどの大喧嘩へと発展したものだ

(P4-5)

 

この文章は主人公……「視点人物」である「黄色いカーディガンの女」が、主人公である「むらさきのスカートの女」と「自分の姉」の共通項が「食事の際最後の一口に時間をかける」事である、と説明している文章だ。

 

ぶっちゃけると、話の流れからすればあんまり重要な文章ではない。程なくして「この様な共通点はあるにはあるけれど、似ているかというとそんなに似ていない」と結論づけられるからだ。ちなみに同種の文章の流れは序盤にて頻出する。天丼ネタである。

 

そんな重要ではない文章ではあるが、読んだ際の俺はそれなりに衝撃を受けた。

 

「……純文学でプリンの取り合いからの喧嘩って、アリなんだ……!」

 

アニメでならよく見る。俺が初めてそれを「あるあるネタ」だと認識したのは恐らくデュラララ!!平和島静雄と彼の弟がコレで喧嘩していた時だろう。……静雄が相手の場合は「家中がひっくり返るほどの大喧嘩」がマジで比喩でもなんでもなくなるので大変な事です。実際冷蔵庫を持ち上げようとして……この際は失敗したのだったか。

 

いつだったか海外の人が「日本のアニメのプリンはいつも持ち主と違う人が食って喧嘩になる……」みたいなツイートをしてバズっていたような気もします。言われてみるとそうだな。大抵勝手に食われるモノだな。

 

そんな「アニメのあるあるネタ」は、純文学の世界でも健在なのか。そうか。それならいける。アニメや漫画を楽しむのと同じノリで、読んでいくことができるだろう。そんなノリで読んでいこう。どれどれ。

 

みんなが失敗しているように、わたしも失敗した。あれは今年の春先だったか、普通に歩いていると見せかけて、数メートルほど手前から突如スピードを上げ、むらさきのスカートの女めがけて突っ込んだのだ。馬鹿なことをしたと今はそう思う。すんでのところで、むらさきのスカートの女はするりんと身をかわし、わたしは勢いあまって肉屋のショーケースに体ごと激突、幸いにも無傷で済んだが、店側から多額の修理代金を請求されるはめになったのだから

(P6-7)

 

お、バキじゃん。

 

やや飛躍してしまった。状況を説明する。

 

まず、ページ数に注目していただきたい。これは6から7ページ目にかけての文章で、俺が「純文学でプリンの取り合いからの喧嘩って、アリなんだ」と衝撃を受けたのが4から5ページ目にかけての文章だ。俺がアニメや漫画を楽しむのと同じ心持ちで、読んでいくことができるだろうと思ってから、ちょうど1ページ分読み進んだ、その時読んでいた文章が、これなのだ。

 

これは「むらさきのスカートの女」が、いかに他の通行人とぶつからないか、を黄色のカーディガンの女が具体例を挙げて説明している文章だ。具体例としてなにをしてんねんお前は。いや、いい。モラルの話は今は置いておこう。注目すべきは何か。その通り。体当たりの威力である。

 

この体当たりについて留意すべきは2点。

 

1つは本来この体当たりは「途中でむらさきのスカートの女と衝突する」事を想定したものであり……本来ならばさらに「攻撃性」を高めることも出来たであろう事。周囲の人の目もあるし、まさか「通行人とのぶつからなさ」を確かめるためだけに、全力疾走で肘の角度や当たり方などを最適化した「攻撃手段としての体当たり」はしないだろう。しないでほしい。モラルの話はさっき置いといたけれど、それをやったなら流石に拾わなくてはいけなくなる。

 

2つ目に、ショーケースに突っ込んだのはあくまでも「事故」であり、事故であるが故に受け身などは最低限しか取れなかったであろう、という事。ショーケースの詳しい形状は不明だが、基本的にはガラスと金属で構成されたアレだろう。それに事故でぶつかり、しかし「幸いにも無傷で済んだ」のだという。「店側から多額の修理代金を請求されるはめになった」のだから、それなり以上の衝撃が発生したのは間違いない……にもかかわらず、である。

 

この2点から思い浮かべたのは、バキのキャラクターみてぇな体格の「黄色いカーディガンの女」が、一般人からすれば充分に脅威的ながら同種の格闘者(グラップラー)には対応可能という絶妙な勢いの体当たりを「むらさきのスカートの女」に「黄色いカーディガンの女」自身は戯れのつもりで行ったところ、するりんとかわされて肉屋のショーケースに激突。ガラスは粉々、金属による棚板もすっかりひしゃげてしまったそんなショーケースから、「黄色いカーディガンの女」が決まり悪そうに立ち上がる、そんな情景だった。

 

その情景を受けての第一声が「お、バキじゃん。」である。そういう文脈があるのだ。伊達や酔狂で突然バキ認定をかましたわけではないのだ。

 

言いたいことは、解る。

 

恐らく作者、今村夏子さんはそのようなつもりでこの文章を書いたわけではない。今改めて考えるに、黄色いカーディガンの女はそこそこの強さでショーケースにぶつかっただけで、無傷だったのは角とかではなく平たいガラスの面に良い感じにぶつかったからで、ガラスが割れて刺さったりとかそういう事もなかったんだけれども、けれども機械の動作部分、配電関係に良くない感じで衝撃が加わり、例えば冷蔵関係の機能がちょっと調子が悪くなったりで、その弁償の責任が発生した、とこういう具合の光景が真相なのだろう。

 

なんで初読の際はバキのような情景が浮かんでしまったのか。これはどう考えても1ページ前に「アニメや漫画を楽しむのと同じノリで読んでいこう」と考えてしまったからだ。同じノリで読もうとしたら、もう、作画が板垣になってしまった。なってしまったものはしゃあない。初読の感想はやはり何物にも変え難く、初読の感想がコレであるならばこのままいくしかない。

 

このままいくと、続くシーン、むらさきのスカートの女専用ベンチ(と表現されてはいるが、まぁ普通に公共のベンチ)に座ってしまった(そりゃ普通に公共のベンチだから座るわな)サラリーマンに対して、黄色のカーディガンの女が「そこはむらさきのスカートの女専用のベンチなのだ」と事情を説明してどかす下りの味も、本来のものとは変わってくる。

 

そりゃバキに出てくるような体格の奴が圧かけてきたら、逃げるんだよな。

 

黄色いカーディガンの女はステルス性能がやけに高く、ちょっとくらいおかしな行動をとっていてもしばらくの間は周囲の人に放置されているが、それもバキの刃牙(主人公)を彷彿とさせる。アイツも出番がないときはマジで出番がない。影が薄いときはとことん影が薄いのだ。

 

「黄色いカーディガンの女のステルス性能はその様なものではない。周囲の人と関わろうとしないし、また周囲の人も関わりたくないと感じている、現代人の都市における人間関係を戯画化し、表現したものなのだ」という人もいるかもしれないが、うーん、刃牙の影の薄さもそういうものかもしれませんよ?少なくとも、俺は関わりたくねえな。損しかしねえからな。

 

極めつきにはむらさきのスカートの女の肩についていたご飯粒を取ろうとした黄色いカーディガンが、バスの揺れから彼女の鼻をつまんでしまうシーンだ。いかにバスが揺れたとて、むらさきのスカートの女にしてみればいきなり眼前に見知らぬ手がぬっと伸びてきて自分の鼻をつまむという状況。いかにぼーっとしていても、気が付くのではないだろうか。

 

しかしバキの読者ならば、もうお分かりですね?

 

人間にはそうした瞬間があるのです。そう、0.5秒の無意識……!……さすがにこじつけが過ぎるか。あとアレどうも板垣先生の解釈間違えてるっぽいし。「行動の前に0.5秒の無意識が生じている」というよりは、「ある行動を意識する0.5秒前にはもうその行動が発生している」の方が適切ではないかとかかんとか。実際にあの本を読んだわけじゃないので何とも言えんけど。

 

……脱線が本線になる前に、そろそろ感想のまとめに入る。史上最強の親子喧嘩における「0.5秒の前兆の読みあいをしようぜ!」→「いややっぱやめるわ……」の流れが好きだとか、そういう話は脱線が過ぎる。別に書くかと言われれば微妙。気が向いたら。

 

「黄色いカーディガンの女」は視点人物でありながら、自身についての情報をほとんど読者に明かさない。コレについてはさほど違和感は覚えなかった。いわゆる無個性なキャラが自分についての情報を言わず、個性的な別キャラの話ばかりをするのは珍しい事でもないだろう。

 

キョン君を見なさい。彼は本名(名字も名前も)すら我々に明かさないんですよ。あ、途中で解るけど、黄色いカーディガンの女は権藤さんです。まぁここまで来ちゃったので黄色いカーディガンの女で通すけど。

 

そもそも「AさんがBさんの事をどの様に語るのか」は、もちろんBさんの情報でもあるが、それ以上にAさん自身の情報としても見ることができる。その情報が「的確にBさんを表したモノ」かどうかは正直なところ怪しいが、「少なくともAさんはBさんの事をそういう風に思っている」可能性は高いだろう(もちろんコレでさえ確実ではない。本心を話していない可能性は常に考慮するべきだ)。

 

そういう意味では黄色いカーディガンの女により繰り広げられることごとく的外れな「むらさきのスカートの女」への論評は、黄色いカーディガンの女の長い長い自己紹介として見ることも可能だろう。

 

的外れ。そう、的外れだった。

 

紹介されるエピソードはどれも実際にあった事だろうし、黄色いカーディガンの女の「むらさきのスカートの女」に関する知識は相当なモノだ。多分、訴えられたら負ける。すご腕のストーカーではあるのだ。あるのだが、そのエピソードや知識から黄色いカーディガンの女が推測した「むらさきのスカートの女」の人間性は、ことごとく「的外れ」だった。

 

『あの、むらさきのスカートの女が、男を連れて、帰ってきた!』

 わたしが想像するに、おそらく最初に気がつくのは一人の通行人だと思うのだ。彼は大わらわで近くの店に駆け込み、店の主人に鼻息荒く報告するだろう。店の主人は隣の店の主人に伝え、隣の店の主人はそのまた隣の主人に伝える。お客さんは買い物そっちのけで店の外に飛び出していき、ただの通行人は向こうからやって来る二人の為に素早く道を空ける。商店街はバージンロードさながらだ。誰かが堪え切れずに『おめでとう!』と叫ぶ。それまで看板の陰に隠れていた子供たちがピョンピョン飛び出てきて、ピューピューと指笛を吹きならす。『これ持って行きな!』魚屋は尾頭付きの鯛を、花屋はバラの花束を、魚屋は一升瓶をそれぞれむらさきのスカートの女の胸に押し付ける。いつのまにスタンバイしていたのか、テレビカメラが二人の顔をアップで捉え、インタビュアーが『今のお気持ちを!』とマイクを向ける。

(P107-108)

 

特に後半は若干冷静さを失っているようで、「そうはならんやろ」という推測、予測が目立つようになっていた。「むらさきのスカートの女」自身の変化の前では、黄色いカーディガンの女の積み上げてきた情報はもはや古いモノになってしまった事をしめすものだろうか。

 

このレベルになるとさすがに『そうはならんやろ』待ちという気もするんですが……でもこれに続く文章、なかなか怖いんですよね。彼女が本当に望んでいるモノが、だんだんにじんできたようで。書かないけど。自分で読め。

 

しかし、それを黄色いカーディガンの女の未熟さと笑う事は出来まい。知識量にこそ差はあるが、恐らくは自分も他人に対して似たような的外れな人間の推測をしている事はあるだろうし、恐らくは皆、程度の差こそあれどしているだろう。していない、という人は自覚してください。

 

「俺は知識量にも差は無いぞ!」

君は自首してください。

 

「的外れな推測をしてしまった」という点だけで考えるならば、黄色いカーディガンの女はなんら異常ではなく。

 

……黄色いカーディガンの女を「バキだ!」と騒ぐ自分も、まぁ、そんなに異常ではないです、よね?

 

少なくとも黄色いカーディガンの女より悪質ではないはずだぞ。アイツ他にも色々やらかしてるから……。いや後半この物語はみんなやらかすんですけど。

 

事件は色々あるんですが、一番読んでいて「うわー……」となったのは、新人さんに先輩が「これくらいはみんなやってるから……」と「許されるラインの不真面目」を教えて……いたのだけれど、その新人さんが嫌われると「は?駄目に決まってるのだが?」を先輩全員でする下りでしたね。この辺りの生々しさ加減は、バキでは味わえませんので。

 

やはり、バキではないのだなぁ。的外れ!