節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

「熱帯」はいつまで楽しく読めるのだ

たぶん杞憂なのだけれど、佐藤哲也「熱帯」を楽しく読むなら今のうちだ、と思う。

 

熱帯は面白い小説なんですよ。

 

内閣府の極秘プロジェクトと、ホメロスと、プログラマーの悲哀と、環境テロリストと水棲人が複雑に絡み合う話なんですが、それをエンタメとして楽しめなくなる期日、と言うのが迫っている様な気がするのです。

 

まぁ、多分杞憂なので、そこまで気にする必要もないでしょうが。

 

 

以下ネタバレ注意!

 

【あらすじ】

 空調が停まるほどの熱気と湿気に襲われた日本。エアコンを爆破するテロリスト、CIA工作員らが狙う国家機密「事象の地平」とは(Amazon商品紹介ページより引用)

 

 

杞憂の根拠(妙な日本語だ)は、例えばこんなところにある。

 

作中の環境テロリストは、「日本の伝統」を金科玉条としているんですね。彼らは日本の伝統『だけ』で、打ち水だとか風鈴だとかで、ここ最近の熱暑に対抗しようとしているわけです。それを強制さえしなければ「まぁ、無理せずに頑張ってね」で終わるんですが、テロリストなのでバリバリに強制する。エアコン使ってる所片っ端から爆弾仕掛けようとする。

 

『エアコンをとめて頭を冷やそう』

 皆さんはもしかしたら夏を暑いと感じているのではありませんか?

 暑いという感覚を信じて、冷房を使っているのではありませんか?

 冷房がなければ、夏は越せないと考えているのではありませんか?

その考えは間違っています。あなたの行動は間違っています。冷房が生み出す不健全な風はわたしたち日本人の健康を損なうだけです。自然をただ征服すればよいと考える悪しき欧米文化に毒されているのです。欧米文化が生み出した恐るべき産業文明の犠牲となり、冷房を買わなければ夏を過ごせないと思い込まされているだけなのです。

 (P97)

 

例えばコレは、同じ様に「伝統」で熱暑に対抗しようとした結果、何かしらの大きな被害を出してしまった……という様な状況下では、「フィクション」としての楽しみ方にわずかながらに影響が出てきてしまうだろう。

 

そういう日が、なんだか近づいている様な気がする。

 

 

 

杞憂の根拠(妙な日本語だ)は、例えばこんなところにもある。

 

作中の政府パートにおいて、重要な役割を為すのは「不明省」だ。何をやっている省庁なのかというと、コレは不明である。何をやっているのか不明な省庁なのだから、一度「それは不明省の仕事である」とされると、もうその件については何が何だか誰もわからなくなってしまう。不明なのだから仕方ない。

 

 不明省は行政の失敗を飲み込む。計画を飲み込み、通達を飲み込み、報告を飲み込む。いかなる手段によってか特定の状況をそのまま飲み込んでしまうのは得意中の得意だし、おそらくは同じ要領でいくつかの公共事業を飲み込んだことがある。株価指数公定歩合、時には為替相場を飲むこともあるし、外交交渉を飲み込んだこともあるという。開発に失敗した戦闘機も飲み込んでしまうし、周辺諸国との緊張関係も喉の奥になし込む。そしてどうやら人間すらも飲み込んでしまう。

 これは人間の人間による人間の行為の限界のために設けられた突破口にほかならない。いかなるものも不明省の管理下に置かれたその瞬間、それは失敗でも過失でも不手際でも不祥事でもなくなり、同じ灰色を帯びた不明の出来事となるのである。まさに不明省の存在によって、我が国は諸外国に対して誇示できる交渉の材料を獲得し、また国内にあっては未だに満たされることを知らない国民を相手にいつでも何かしらの約束ができるということになる。

 (P21-22)

 

例えばコレは、いわゆる権力者がよく解らない理屈を並び立てるその場面の、当事者となってしまった人にとっては、「フィクション」としての楽しみ方にわずかながらに影響が出てきてしまうだろう。

 

そういう人が、なんだか多くなっている様な気がする。

 

 

 

杞憂の根拠(妙な日本語だ)は、例えばこんなところにもある。

 

プログラマーさん達の集まる開発会議で、遅れているプロジェクトをなんとかするために、今まで使った事もないソフト(で良いのだろうか?私はパソコンは毎日の様に使うけれど、技術的な部分については何もわからない)を使おうか、どうしようか、みたいな話になるんですよ。

 

で、使おうか、どうしようか、みたいな会議ではあるんですが、実際のところは『使う』一択なんですよ。神によってデバフをかけられ、正常な判断ができなくなった上役が、その状態で「使うぜ」つってるので、部下は従わざるを得ないんですね。

 

……ああ、神は神だよ。

 

神々の父なる神の真意は不明省プロジェクトに混乱をもたらすことにあったのだが、黒小路乱造はその企みにまんまと捕われ、また神々の父なる神が貴重な経験則に闇を振りかけておいたので、疑う心を持つ機会を失った。

(P37)

 

神はいます。……複数人。

 

ところが「正常な判断ができなくなった」上役が「使うぜ」と言っているので、みんな、なんとなくだけれども嫌な予感はするんですね。勇気を出して……ノリからするに単純に出世欲が無いというか、そういう方向の意識が低いだけかもしれないが……「やめといた方が良くね?」みたいな事をいう人もいるんです。

 

それに対する返答が、こうだ。

 

「いいかげんにしろ。それでも君は技術者なのか。様々な問題を抱えた今のこの状況を、一致団結して突破していこうという考えはないのか。この状況を打破するために、黒小路部長はオネイロスを導入すると言っているのだ。導入すると決まった以上、それが仕えるか使えないかなどと余計なことに気をまわしてもらう必要はない。見たこともないソフトが使えるかどうかを、自分で動かして確かめてみればいい。現物が来たら使ってみればいい。本当に使えるかどうかを、自分で実際に動かして確かめてみればいい。使えるものならそれを使って仕事を仕上げる、使えなければまた次の手を考える。それが技術者というものだろう。使いもしないうちから使えないと決めつけるとは、けしからんにもほどがある。技術者としての姿勢ができていない。これを機会にこの場ではっきりと言っておくが、もう一度、今のような愚かしい発言を繰り返すなら、このわたしが君の作業環境を取り上げ、せっかく作ったとかいうドキュメントを残らず廃棄処分にした上で、君をこのプロジェクトから放り出す。もしそれができないようならば、わたしがこの部屋から立ち去ろう。もはや赤井屋システムの最終兵器と呼ばれなくてもかまわない」

 (P41-42)

 

例えばコレは、「やめといた方がいいんじゃねえか?」な企画を、誰が止める事も出来ずにズブズブと進行中のそのまっ只中においては、「フィクション」としての楽しみ方にわずかながらに影響が出てきてしまうだろう。

 

そんな状況に、少しずつなってきている気がする。

 

というか、まぁ……だいぶ進行が……うむ。

 

 

 

俺は本当に「熱帯」のドタバタ感が好きなので、いつまでも楽しくエンタメとして消費したいんですよ。杞憂であって欲しいんですよ。

 

杞憂したところだけ読むとなんだか暗黒ディストピア物みたいだけれども、神はいるし水棲人はいるし、諸外国のスパイはおるし、全然本筋と関係ないところでプラトンアリストテレスが殴り合っているので、多分今貴方が考えている様な話ではないです。

 

キャラクターで一番好きなのは誰だろうな。

 

登場人物でありながら「地の文」を完璧に把握している人かな。ジャンルが「バトル漫画」じゃないデッドプールは本当にどうしたら良いのかわからない。早くHPバーで殴りかかってきてくれ。

 

「馬鹿げた話ですが、そこではホメロス的な叙述が文体として採用されていました。しかもただ真似をしているのではなく、『イリアス』の第一歌、第二歌からの引き写しになっていて、第二歌の軍船の表までが参加企業の一覧という形で考えなしに取り込まれているのです。これはもう笑止としか言いようがありません。現代の話だというのに、思い出したように神が現れて貴重な経験則に闇を振りかけたりするのですからね」

(P63)

 

……彼に対する皆の反応は、この話を初読した時の感想によく似ているかもしれないね。

 

事象の地平を巡るドタバタ劇、「熱帯」。

 

いつまでも楽しく読みたいと、切に願う。

 

 

 

……仮に何も起きず平和な世の中であったとしても、一部のプログラマーさんにとっては現状でだいぶキツいかもしれない、とは書いておく。コレも杞憂かもしれないが。