節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

「神とお弁当」はそれこそランチタイムに読むと良いんじゃねえかな

「神とお弁当」は174Pに始まって、13P後の186Pに終わるごく短い話である。まぁ、個人差はあるだろうがそれでも1時間もあればよめるだろう。例えば同号収録のN/Aは10Pから始まって49Pに終わるので、えーと……40Pで良いのか?大体3倍ですわね。

 

……単純に最終ページと開始ページの差ではないのだよな……いや考えてみりゃ当然なのだが……HUNTER×HUNTERの「現状」最新刊(だっけ?その1個前?)に、こんな具合に悩んでいる奴がいましたね。「殺した人数」と「レベル(とある『能力』に関係。1人殺すと原則1上がる。初期値1)」がズレて(初期値1だから1人殺すと2になる)気持ち悪くなってる奴。それと比べりゃだいぶ平和だが、まぁ直観と実際の挙動がズレると気持ち悪くなる、その気持ちはわかりますわ。植木算でしたっけ。突然出されると引っ掛かりますね。

 

……冷静に考えたらHUNTER×HUNTERのアイツの悩み、物騒過ぎるな。史上最も血腥い植木算よ。

 

ともかくそんな短い隙間時間に読めて、過度に感情が揺さぶられたり、なんか生々しい話題が出たりはそんなにしないが、不思議と充足感がある……今回初読の際の感想が「童話」だったんですよね。それも平和な奴。グリムの原典とかじゃなくて。子供に見せらんないアレじゃなくて。

 

童話の対象年齢は確かに子供かもしれないが、だからといって童話を子供だましと笑う奴はそれはどう考えてもそいつが間違っていて、そもそもこれは文芸誌の作品なので普通に大人向けである。それなのに「童話」の読後感。これは生半可なことではない。こう、温かい感じを得ることができたので、それこそランチタイムに読むと良いんじゃねえかなと思いました。

 

短いお話なんで「読みながら書いた読書メモ」ではなく、「読み終えた後の感想」を。メモする前に読み終わっちったよ。

 

 

 

【あらすじ】黒蟹県狐町に住む神が色々あってお弁当のコンテストの審査員をやる話。

 

まずはなんか恒例の流れ作業になってきた感もありますが、とりあえず。

 

純文学で「架空の県」ってアリなんだ!

純文学で主人公が神格ってアリなんだ!

 

おお、期せずして文字数をそろえられた。そんなつもりは無かったんだけども。

 

架空の県を舞台にしたお話、となれば一番初めに思い起こされるのはズッコケ三人組だが、それが純文学の世界にもあったのか。もちろんダメな道理はない。存分にやるがいい。

 

少し調べてみればこの作者さんの小説で何度か舞台になっているようですね、黒蟹県。存分にやってた。

 

「主人公が神格」……は、架空の県に比べれば、純文学でもあるだろうな、と思ってはいた(教科書に載るレベルの作品に既に『人間以外』……例えば猫を主人公とする作品が存在するため)が、実際目にすると感慨深い。やはりあったか。もちろんダメな道理はない。存分にやるがいい。

 

少し調べてみればこの作者さんの小説で何度か主人公になっているようですね、この神様。存分にやってた。

 

俺が文學界を読むようになってから、はじめての「人間以外」が主人公の作品か。やはり率としてはそこまで高いわけじゃないんだろうな。

 

しかして今回の神様なのですが、ううん……「神様」ではあるんですよ。時折ただの人間には出来ないようなことを……難しいようなことをしでかしてはいるし、その暖かなお人柄は、日本人のパブリックイメージとしての「神様(特定の宗教に属さない漠然とした概念)」像に近いだろう。この辺りの感覚は個人差もあろうがな。

 

どうなんでしょうね最近の若者の「神様(特定の宗教に属さない漠然とした概念)」像っていうのは。我々のそれと大差ないだろうか。自分の意見を「若者の意見」の1つに数えるにやや抵抗のある年齢になってしまった。少子高齢化社会の日本において相対的に見れば若輩に位置するのは間違いないのだが。この自覚があればそう無様を晒すようなことはない、と、思いたい。

 

話を戻すと確かに「神様」ではあるのだが、その挙動は「フィクションの主人公になった神格」としてはかなり慎ましい…………か?

 

……「神が主人公になったなら神(ゴッド)⭐︎パワーで好き勝手やらんと損やろ!」という理屈はわかるし、実際俺も「普通の作品はそうする」と書こうと思っていたのだが……思い当たった「神が主人公のフィクション」、みんな割と自重してるのよな……。

 

「大神」のアマ公も本気の時や全盛期はともかく平時は普通に善性の人助けワンちゃんだし……「聖⭐︎お兄さん」の二名は好き勝手やってるっちゃあやってるんだが、それでも市井の皆様は気にかけてくれている。気にかけてくれているからこそのあの二名、という言い方もできるのだが。

 

……あんまり好き勝手やる「神(を名乗る奴)」は、大概敵になっちゃうからねえ……「ONE PIECE」のエネルとか……この際「主人公」じゃなくても良いや、「味方サイドのメインキャラの好き勝手やる神格」……。

 

……ニャル子さんと姉なるもの……。

 

……あの連中の「マジ好き勝手」からすれば、かなり自重している方だとは思いますよ?元ネタも作品もあんまり詳しくないけど……。

 

話を戻す。そんな自重する事が割と多い「主人公の神格」と比較しても、「神とお弁当」の主人公の神様はまぁ自重していた。自重していたというか、不勉強ながら他の作品でのご活躍を知らないので勘違いしていたら申し訳ないのだが、あの、恐らくは、素の力がその、うーんと、そんなに……強くないっていうか、えっと、力の大小なんてものはその人の魅力を示すパラメータのほんの一つに過ぎないのよ、と昔どこかで誰かが言っていたような気がするセリフを吐きながらはっきり言うと弱いんだよこの神格。

 

もちろんそれが悪いという話ではない。確かにあからさまな「これが神々の神(ゴッド)⭐︎パワー!」というように圧倒的な力は持たないが、しかしだからこそ恐れられず……神様に使うには畏れられずの方が適切か、ともかくそういう事をされないで自然に受け入れられている。お弁当コンテストの審査員にはこれぐらいの神がちょうど良かろう。

 

いや真面目にね、このお弁当コンテスト、コンテストではあるんですが……。

 

最終審査で落とされる作品はなく、十人には十種類の賞が用意されていた。大賞である農林水産大臣賞と、県知事賞、道の駅賞、スーパーからたち賞、JAくろかに賞、JF黒蟹賞、KKCテレビ賞、FMシオン賞、黒蟹新報賞、審査員特別賞である。 選考会は十人をどの賞に割り当てるかを検討するふんわりとした会議であった。まるで出来合いの惣菜を与えられた弁当箱に詰める作業のようでもあり、「なんかそんな感じじゃない?」「たしかにそれっぽいかも」「いいと思いまーす」といったゆるい合意形成がなされて、めでたく各賞が決定した。

(文學界五月号 P184)

 

こんな具合なので、例えばあんまり規律に厳しい、キッチリ上下を決めたがる神様だったりすると、ちょっと話がややこしくなってしまうのですよ。町長ですらこんなノリだし。

 

「皆さんが喜んで、どこからも文句のでないことが成功なんです。たとえ茶番だとか出来レースだとか言われたとしてもね」
「なるほど」
「だってそもそも弁当に優劣なんてつけられます? 意味がないでしょ」
岩飛町長はそう言って去って行った。

(文學界五月号 P185)

 

このノリを飲み込める「人間味」はコンテストの審査員の必須項目であるわけですね……ぶっちゃけ人間の中にもキレそうな人、たまーに居るしね……。

 

この町長さんも町長さんで、「良く居る困った町長(まぁ人気はあるといえばある)」だったりするんですが、この発言とかから考えるに、普段は温厚な感じの人なんでしょうね。

 

町長の失言は、興味のない分野への対応が雑になるところから来ていた。雑に扱われた立場の人はもちろん傷つき、怒りを覚えた。それでも六期目を務める町長は人気があった。欠点が明らかになっているのでそれ以上、叩きようがない。失言もするが謝罪も早いし、正直で裏がないと評価する人もいる。思ったことをズバズバ言うので気持ちがいいと言う人もいる。間違いもあるけれどそこが人間らしいと言う人もいた。

(文學界五月号 P183)

 

いやまぁ、お弁当コンテストのスタンスの発言も、雑と言えば雑か。興味がないわけではないとは思うんだが……。黒蟹県の他の物語に出てきたりしないかな。俺とは無関係の紙面の人だから、個人の好みとしてはもっと迷惑な人寄りでも良いのだが……「塩梅」が非常にリアルで良いんですよ。

 

凡が読んでいたページの記事は「トンデモ町長の止まらぬ舌禍」というタイトルで、狐町長である岩飛陽一の写真とともに、二週間前の「文化なんてどうだっていい」発言や、昨年の「知事は目立ちたいだけの怠け者」、二年前の「国との戦争も辞さない」といった数々の放言について書かれていた。

(文學界五月号 P182−183)

 

ヒートアップした町長の発言、マジでニュースでたまに見るのでな。

 

お弁当の審査にあたって「市井の人々にとってお弁当とは『何』なのか」を調査する神と、それに対する様々な答え、そしてそんな神様が、最後に得た「お弁当」とは。

 

短い中にもしっかりとした読み味があり、他の黒蟹県のお話もぜひ読んでみたいと思った。

 

神田梨緒の母親である神田千鶴は、弁当とは我が子の笑顔だ、と思った。品数も栄養価も完璧なお弁当、よその子と比べて惨めな気分にならないきれいな色合いのお弁当、子供が大事にされていることが伝わるかわいいお弁当、苦手な野菜も食べやすく調理された賢いお弁当。「幸せ家族のアピールうぜえ」とか言うやつは地獄に堕ちろ。嫉妬の炎で燃え尽きろ。

(文學界五月号 P180)

 

人々の「答え」はマジで多種多様なのですが、1番良かったのはこの神田千鶴さんですかね。この姿勢を誰かほかの人に強制するのはまた違う話になってくるが、個人が己の裁量でやっているのなら……そして、おう、その手合いへの攻撃性は、そのくらいが適量さ!

 

もちろん言うまでもなく、この「答え」にも、本来、優劣なんざつけるものではないんですが。