節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

「N/A」VS「ギフテッド」!芥川賞(予想)三番勝負!(主審:ド素人)

「N/A」と「ギフテッド」がどちらも芥川賞の候補に選ばれたそうな。どちらも既に読んでいるので良い機会だ。どちらが「芥川賞に選ばれる」か予想してみよう。

 

もちろんそれ以外……ええと、具体的には「家庭用安心坑夫」、「おいしいごはんが食べられますように」、「あくてえ」など他の候補が選ばれる可能性もあるだろうが、これらを今から読んでも間に合わないだろう。

 

なので今回は「N/A」と「ギフテッド」の勝負に絞り込む。主審は俺ド素人、実況・解説は俺ド素人、その他副審などは俺ド素人でお送りいたします。それぞれの読書メモ、感想記事はこちらです。

 

zattomushi.hatenablog.com

 

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さて勝負を始める前に言っておくと、俺はこういう「作品の質の上下を決める」のが苦手である。話題として今まで避けてきた。作品は舞台も設定も登場人物も書いた人もそれぞれ違うんだから、「俺にとってこちらが好み」というのはあるにせよ、どちらかがどちらかの完全下位互換/完全上位互換という事はそんなにないだろう。

 

しかしまぁそういうのをハッキリ定めるという行為に需要自体はあるんだろうし、全員が全員お手手繋いでゴールがいついかなる時も美徳なのかと聞かれれば「それもちょっと違うよなぁ」と思わなくもないので、芥川賞という文学賞(俺が上下を決めなくても上下が決められる(もちろんそれが「作品としての上下」に直結しないのは解ってはいる))にかこつけた今回のこの記事では、引き分けとかで濁さずキッチリ上下を定めたいと思います。

 

まぁ結局ド素人の言う事なので「芥川賞に選ばれる」かどうかではなくて、結局「俺にとってこちらが好み」での上下になるかな、と言う気もするのですが、そこはなんかこう、うまいことやりましょう。

 

せっかくなので俺が今まで(約4ヶ月)文學界を読んできた経験を活かし、「これこそが純文学の楽しみ方だ!」と現状考えている3分野による3本勝負にしましょう。そうしましょう。

 

 

 

あるあるネタ(ジャンル:人間)

 

どちらの方が秀逸な「あるあるネタ」を表現していたか、という観点での勝負になります。なんだその目は。まさかマトモな文学観で優劣をつけるとでも思っていたのか。そんなもんお前ド素人に出来るわけねえじゃん。

 

まずは「N/A」から。

 

「推しは変わらない、増えるだけ」発言のようなオタ活方向のものから、真剣(俺は常に真剣だけども)な方向で考えるならば後半の人付き合いもあるあるっちゃああるあるではあるんだが、ここは頻出具合から考えて、「コメダ珈琲がデカい」にしましょう。読書メモの方でも触れましたかね。

 

注文からすぐにシロノワールが運ばれてきた。円形の分厚いデニッシュの上にうず高く盛られたソフトクリームが鎮座して、その脇で控えめに顔を覗かせたさくらんぼがやけに小さく見えた。
「写真よりデカすぎんか?」
「加工詐欺だねこれは」
翼沙は意を決したようにシロップを上からかけていく。 琥珀色が皿へと零れた。
「写真よりショボいよりはいいのかもしれんけどさ、いいことだからって何してもいいわけじゃないでしょ・・・・・・おいしいのが余計にムカつくな。なんだこの店」
「もう来ない?」
「いや、来る」

(N/A(文學界五月号) P27)

 

対してのギフテッド。

 

読書メモを見てもらえりゃわかりますが、割と真剣(俺は常に真剣だけども)に読んでいまして、あるあるネタと言われてもな……例えば「ことあるごとに死にたいという友達(またはその対処)」とかもあるあるではあるんだけれども、ネタではないからな……闘病や業界ネタも俺がそのジャッジを軽々しくは下せないし……。

 

……「おみやげを買おうか迷っていた青果店」の描写なんかは良いあるあるネタか。ちょうどそうですね、3つくらい離れた割と日頃から用がある駅から歩いて8分くらいしたところにちょうどこんな感じの店があるんですよ。それを思い出しました。もっと身近にこういうお店がある人もまだまだいるでしょうね。

 

店先の賑わいこそいかにも商店街風の青果店ではあるが、売っているのは割と高級な、しかしどこかダサい贈答用の果物や中華料理にしか使わないような珍しい野菜で、おそらく西側に住むのであろう若い夫婦などが今年買ったらしいツヤっとしたレザーの上着などを着て店先を物色している。私が住む歓楽街の入り口や、その最寄り駅前にも青果店がある。歓楽街の方は串に刺さったフルーツを若者に暴利で売りつけ、駅前の方は百貨店にやってくるような女性たちにフルーツをきれいに切ったものやケーキを上層階で暴利で販売する。 ここはそのどちらにも似ていない。 昔からあった。

(ギフテッド(文學界六月号) P42)

 

さてどちらが「あるあるネタ」として秀逸だったか。

 

……これはまぁ、コメダやなぁ……。俺がジャッジするのなら……。

 

「ギフテッド」の青果店も、身近といえば身近なんですが……俺、あの店を利用した事ないんだよな……色々と面白そうなものを売っている気配はあるんだけれども……あの店を利用するのであれば立地の関係から交通手段として「電車」を利用する事にはなると思うんだけれども、個人的な感覚として、電車で生鮮食品を持って移動することにどこか抵抗がある。調理前に洗うし、距離的にも大したことは無いので、この抵抗が何に由来するのかは不思議なところだが。

 

じゃあ車で行けよ、という話になるとなぁ……駐車場が割と離れた位置にあるんだよなぁ……。駐車券のサービスがあるかどうか微妙な距離なんだよなぁ……。

 

ただこれも何かの機会なので、今度行ってみるのも良いかもしれん。何を買うかは知らんし、あとしばらく行ってないのでこのコロナ禍でなんらかのダメージを受けている可能性も否定はできないけれど。

 

……多分個人経営だし、店主がそれなりにご高齢だったような気もするし……大丈夫かね、なんだか心配になってきた。

 

やたら凝った描写

 

こんな感じで読み始めた文學界の初読が「99のブループリント」だったんですけれども、そこで「金」がその「金」という個体金属のイメージとはまた違う、冷静な描写をされていまして、妙に面白かったんですよね。ここではそのように、ある事柄がどの程度「凝った」描写で示されているかを見てみましょう。ジャッジは俺ド素人です。

 

まずは「N/A」から。

 

専門家や当事者が教えてくれた正しい接し方のマニュアルをインストールして、OSのアップデートをしたのにも関わらず、情報の処理が追い付かない翼沙のハードウェアは熱暴走を起こしていた。押し付けない、詮索しない、寄り添う、尊重する、そういう決まりごとが翼沙を操縦していて、生身の翼沙はどこにもいなかった。 翼沙から出た言葉は何一つ無く、全てを置き去りにして、マニュアルを順守するプログラムだけが動いていた。

(N/A(文學界五月号) P31)

 

これはもう全体のテーマにもなってきますが、コミュニケーションにおける「エラー」を文字通りのPCに置換したこの文章でしょう。価値感のアップデート、とは声高に叫ばれる言葉ではありますが、しかし「アップデートをした事による不具合」……デグレードについてはさほど叫ばれませんね。かといって延々アプデをしないのも、それはそれとして不具合の原因なのが痛しかゆしだが。IEのサポートも終わるしな……。

 

まぁ今回の「N/A」における記述は非常にデリケートで、そもそもこの主人公は「LGBTではない(少なくとも一般的にイメージされるそれには当てはまらない)」ので、そのアプデで対応できると思っていたのが間違いだった、という話になってしまうから、デグレードとはまた別の問題だけどな。じゃあどんな問題なのかPCで示せ、と言われると難しいが……俺はPC全然詳しくないので……。デグレードもこの間自分が困った結果知った単語になっただけだし……。

 

対してのギフテッド。

 

とはいえこちらもな、闘病描写やら業界ネタやらは「実態」を俺が知らんのでその描写がどの程度的確なものなのかわからんのですわ。語りえぬものですね。

 

身体の右側に体重をかけて押すと、途中から思わぬ勢いでドアが開いた。勢いに任せて絨毯の敷かれた廊下に足を踏み出し、ドアから手を離すと、心配になる程ゆっくり、しかし確実に、音を立てずにドアが閉まる。最後、上品でゆっくりした音が、扉が最後まで閉まったことを知らせてきた。ヒールが音を鳴らさない廊下を歩き、二つあるエレベータの中央に二つあるボタンの下の方を中ゆびの関節を突き出して押した。耳を凝らせば聞こえるくらいの音で、エレベータがそれに応えてこの階に向かって動き出し、しばらく待つと到着を
知らせるつまらない機械音が鳴った。エレベータの中までクッション性のゴムのような素材が床を覆っていて、ヒールの音は鳴らない。

(ギフテッド(文學界六月号) P40)

 

この辺の行動を一つ一つ細かく描写していくであるとか、音の一つ一つに質感を持たせて表現するとか、そういう「技法」としての表現であるならば、なるほど唸らされる部分はあるんですけれどもね……突飛な比喩であるとか、そういう話になってくると……あるいはこの辺りが読んだ際に感じていた「淡々感」につながってくるのかもしれない。比喩はクドさに繋がるのか。

 

どうやらこの観点での勝負も、「N/A」に軍配があがりそうだ。もちろん俺の好みの問題なので、ギフテッドが劣っているというわけでもなければ、N/Aが優れているというわけでもない。この文章の価値は虚無です。されど虚空には神ありき。型月的には恐らく「虚無」と「虚空」にも厳密な違いがあるので、ここでキリシュタリアの詠唱を引用する意味もまた、虚無!

 

考えながら思ったんだが、いわゆる評論でも「文章の描写」はしっかりと評価項目であることが多い様に思う。そうした評価基準における「描写」を俺は何度か見たことがあるが、「ふゥん……」と多くの場合で流してしまっていたのでは無いか。上手いな、とは思ったけれども、あんたそりゃ相手はプロなんだから。俺には書けないな。当たり前だ。

 

評論における「描写」と、俺が評価する「描写」の違いはなんなのか。そもそも違いがあるのか、ないのか。それを考えるには、恐らくまだ早い。10年くらいして気が向いたら考えるよ。

 

シリアスな笑い(真顔ボケ)

 

純文学は「硬い」と一般的には思われているようで、俺も実際触れる前には確かにそういうイメージだったのだけれども、実際読んでみるとまぁ実際「硬い」ですね。

 

しかしそれでも面白いシーンのようなものがないわけではなくて、いや実際のところは俺が勝手に「面白さ」を感じているシーン、ということになるのでしょうが、そういうシーンではむしろその「硬さ」が、「笑ってはいけない緊張感」のようなものとして働き、結果として「面白さ」を増幅させることとなっています。先生のお説教中に誰かがこっそりなんかやってるのに気付いてしまった感。緊張と緩和ですね。緩和はお前が勝手にしただけ。

 

そんな「意図しない面白さ」は、読む際の密やかな楽しみとなっています。あと、さっきも書いたけど俺が勝手に面白がってるだけなので、ほかの人が読んで同じような楽しみ方ができるかは、知らんよ。不敬な楽しみ方のような気が若干するような気がするような時もあるし。まぁでも「本当の面白さは自分で見つけるもの」みたいないい感じの言葉もありますしね。

 

まずは「N/A」から。

 

「安住さん、あたしらのこともエロい目で見てるかもしれんね」
キャア、という歓声を誰かが上げた。面白がっていた。 自意識過剰にも思える翼沙に対しての嘲笑でもあり、異性から性的に求められる存在であることへの歓喜にも見えた。
金切り声をあげて扉が開いた。
安住先生が立っていた。
教室が静まり返る。
記者会見は始まらなかった。安住先生は穏やかに笑った。

(N/A(文學界五月号) P41)

 

といっても「N/A」でこの類の面白さを感じたのは、まさに「先生のお説教中」なので、上の文章がこれの前振りみたいになってしまったのは中立の観点からよくなかったかもですね。いやまぁこのシーンでこの類の面白さに気付いた、みたいなのもあるが。読書メモでも少し書いた気がする。

 

女子高でその類の噂は先生にとってはたとえ冗談だとしても、もうマジで勘弁してくれよって感じのものなので、これも笑うようなシーンでは全然ないんですけれどもね、それでも……そうなんですよ、タイミング悪く先生が現れるシーンというのは、つまりこういう感じなんだ。そういう意味ではこれは【やたら凝った描写】の変種であるのかもしれないな。

 

いやあマジでこれは全然笑うようなシーンではなくて、この後の先生のお説教……ああ、そうですね、声は荒げないタイプのやつです……怖いほうのやつですね、とかもまぁすごくいい感じに書かれてはいるのですが、それでも笑ってしまったものは仕方がない。笑顔に嘘はつけないな。なんだったら若干の出待ち感、そして出オチ感すらありますからね。学校で何回かあったよ……瞬時に教室の空気が終わるんだよ……。

 

きっと笑えたのも他人事だからですよ。おお、こわいこわい。実際に教室にいたら…………ははは、「笑うしかない」ということでひとつ。おあとはよろしいようで。

 

なんだこの文章。

 

対してのギフテッド。

 

俺はギフテッドを真剣に(俺は常に真剣)読んでいた、とは書きまして、じゃあこの評点にも困るのか、そういう話になるでしょうが……ええ、真剣に読んだということは、それだけ強く緊張していたということで、まぁつまり……読書メモでは書かなかったが、実は「笑ってしまった」該当部はすぐに出せるんですよね。

 

なぜ読書メモで出さなかったか。ううん、全体の感想には絡んでこない部分だったし…………あと何より…………。

 

限界だった尿意を我慢しながら、看護師の死亡確認を聞き、看護師が身体を拭いている間に、部屋に備えられたものではなく、廊下にあるトイレに行った。トイレに入る瞬間は急いでいたので見ていないが、用を足して出てきて鏡を見ると、私の目はクラブで幻覚系の錠剤を割らずに一錠丸ごと噛み砕いた時のように見開いていた。

(ギフテッド(文學界六月号) P50)

 

…………お母さんが死んだその直後の場面だったから、流石に人道的に問題がある様な気がしてな……。

 

もちろん疑いようもなくこれは笑うような場面ではなくて、肉親との死別という一生に一度のイベントは紛れもなく真剣なものであり、そしてそんな場面だろうとも尿意はもう生理的なものだからしょうがねえだろ、なんだけれども。不可避のイベントが重複した、ただそれだけの話ではあるんだけれども。それでも笑ってしまったのだなぁ。駆け込んだのか。そうか。仕方ない、仕方ないが。そうか。

 

これも「他人事」だから、か。「非実在の他人事」に対して、過剰なまでのリアリティで書き込まれていると俺は弱いのかもしれない。なんだかVanilla Fictionの彼らを思い出しました。この事はまた今度気合を入れて考える。

 

 

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笑うだけではなく気づきもあった。そうだ。肉親の死でも尿意は止められない。幸いにして未だ両親共に健在ではあるが、その際心に留めておく事にしよう。留めておいてどないせえと。

 

間に合ったから良かったですよねぇ。本当に。最後の最後でやらかしたらそらもうなぁ……。そういう意味でも「緊張と緩和」ではあったか。笑ったのには安堵の念も含まれていた、と書けば、少しはマシか?

 

この項目は僅差ではあるが、「ギフテッド」に軍配が上がった。「N/A」の方は「笑えない」成分もそれなりに高く……いや死別と説教どちらが上かってなったらそりゃ死別なんだけど、「生々しさ」でバフが掛かるというか……。

 

もちろんどちらも笑えない。それが正解。

 

 

 

 

三項目による評価が終了した。

それでは振り返ってみよう。

 

あるあるネタ(ジャンル:人間)

 勝者 N/A

 

やたら凝った描写

 勝者 N/A

 

シリアスな笑い(真顔ボケ)

 勝者 ギフテッド

 

……それでは発表しよう。

 

芥川賞に選ばれる……と俺が予想するのは……!

 

 

 

ギフテッド!

 

 

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……いや。そりゃあ俺の評価項目で選ぶなら「N/A」の方が上ですし、実際俺の感覚としても「N/A」の方が好きなんですけどね?

 

ただここで問題として立ち上がってくるのが、「じゃあ芥川賞の先生方はこういう評価項目で読むのか?」という点なんですよ。

 

これは違うだろう?読み方は人それぞれで、正解はない。それは良い。

 

しかし傾向というものがあるから、強いて言うならその読み方の「傾向」が俺と似ているのか、似ていないのか、予想する上ではそこが重要になってきて……俺と審査員さんで「傾向が真逆」までいくと、これは別ベクトルの自惚れになってしまうのでそこまでは言いませんけど、俺と審査員さんの傾向ではまぁ、「似ていない」可能性の方が高く……そうすると芥川賞を取る……審査員さんが選ぶ方は俺が選ばなかった「ギフテッド」ではないかな、と予想した。

 

さて実際のところはどうなるか。芥川賞発表は7/20!

 

まぁこういうのは結果をあてるというよりは、なぜそう予想したのか、みたいな思考の流れを記録しておく方が大事だからさ。