節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

見下した者が見下してくれるとは限らない「ICO」

……ICO。角の生えた少年イコと、言葉の通じない謎の少女、ヨルダが文字通り「手と手を取り合い」古城からの脱出を目指す……ジャンルを敢えて言うのであれば、アクションアドベンチャー、ということになるか。

 

ゲーム的なパラメーター……例えば体力ゲージなどを排し、まるで一枚の絵画のように描かれたその情景は今なお評価が高く、のちにワンダと巨像を作り出す、プロデューサー、海道賢仁氏、ディレクター、上田文人氏が生み出した名作である。

 

それと同タイトルである。何か関係があるのやも……そんなことを考えながら読み始めたらまるで一切何の関係もなかった読書メモです。うぇい。まぁそっちのICOのノベライズは、宮部みゆきさんがやっとるからな。ネタバレ注意でやっていきましょう。

 

……「ゲームのノベライズ」は一般的にエンタメ小説とされるが……もしもそれが文芸誌に掲載された場合、「エンタメ小説」の要素と「純文学」の要素(文芸誌掲載)……どちらが優先されるんだ?

 

……まぁどっちでもええか。調べれば前例があるかもしれんが、どっちでもええか。

 

 

 

【あらすじ】TikTokerが引き継ぎをしたりUberの人を見下したりする話。

 

TikTokで活動している人」を「TikToker」って言うんですね。言葉として聞くのは初めてかな……まぁTikTokで活動している人を何と呼ぶのか、というクイズを出されたらあてずっぽうで答える様な単語ではあるか。ちょっとYoutuberに引っ張られすぎている感じはあるけれども。

 

TikTokerの基準が全然わからん。登録者数(フォロワー?)とか何人くらいから「スゴい」なのかまるでわからん。

 

……まー、けど、これはYoutuberも人によって「スゴい」基準は全然違いますからネー……例えばいわゆる「企業勢のVtuberファン」だと、「まぁ10万は普通に超えるよね」みたいな感覚だけど、これが「個人勢のVtuberファン」になると「1万超えるだけでも大変なことだ」みたいになって、それで不幸なかけ違いが起こるケースを、俺は何度か見てきました。あれは誰も幸せになりませんね。さらに例えばここに「生放送主体のYoutuber(実在)のファン」とかが絡んでくるとあーあーあーってなっちゃうんで、この話はやめます。地獄ぞ。

 

登録者数はマジでバロメータの1つでしかないですからね……。「多い人は面白い」は真かもしれないが、「少ない人はつまらない」は偽である。……この前提をみんなで共有したとしても、「何人以上が『多い』で何人以下が『少ない』のか」がバラバラだから悲劇だが。顔とか声とか歴とか活動ジャンルとか活動頻度とか炎上(炎上商法含む)とか活動内容以外の要因で、どうしても差はでるしな。

 

そんな俺には基準がわからんTikTokerの世界ではありますが、まぁ一応主人公の、そのスペック的なものを羅列してみますと、えーっと……。

 

  • フォロワーが50万人以上
  • ほぼ毎日投稿
  • 動画のストックは300以上
  • 案件も行っている
  • 学費・生活費は捻出可能

 

とのことなので、まぁ俺には基準がわかりませんが、おそらくヤバイ級であると思われる。俺でも名前を知っているTikToker、けんごさんのフォロワーが大体30万人とのことなので、まぁすげぇなぁと思います。リアリティ的にはどうなんだろう、ありえなくもないくらいなのか、それともYoutubeにおけるHIKAKINくらいの立ち位置にはいることになってしまっているのか、なんなのか。

 

「勝手に理想の顔面想像してっからな、こいつら。 人権ない生活送ってるくせに、人の顔にはうるさいんだよ」

文藝春秋 文學界七月号 P51)

 

……これは文学界の七月号に掲載されたお話なんだけれども……いつくらいに書かれたものなんだろうか。今年の2月でしたかね、ゲーマーさんが「人権無い」発言で炎上したのは……。今回の発言もまぁマズいっスよ。不特定多数に向けて言っているから、特定の属性に向けるより……火力が増すかどうかは、まぁ意見の分かれるところでしょうが。

 

まぁ身内ノリのスラングっていうのはねぇ……。「文脈」を共有するその場、以外から見た場合には、言葉通りの意味だと解釈されるのはこれはもう仕方のないことなのですよねぇ……。身内においてはその「スラング」でしか表現できないニュアンス(この表現もある種の甘えで、正確には、身内においてはその「スラング」を用いたほうが楽に正確に表現できる、まぁ手間と時間と文字数をかければ使わないでもある程度は表現できなくもないニュアンス、くらいにしておいたほうが良いか)があるのは確かなのですが、言葉の意味だけパッと見たら、ギョッとするほど物騒なのは、まぁちょくちょくありますで、せめてその文面が誤解を生むような危険性がないかどうか、自覚はしておいたほうがよいでしょうね。

 

……そういう意味では、純文学を漫画のネタ……スラングなど交えてああだこうだ言う当ブログ、割とマズい立場にいるのでは……?2つの異なる業界の人が、双方身に来る……来てくれると嬉しい「場」の弊害か……だいじょうぶかなぁ、今まで誤解を与えるような表現がなかっただろうか……。

 

……自分で自分のネタを解説する、そういうコーナーが必要になるかもしれない。どういう文脈で使っているのか、を解説する……割と今までの記事の文中にもあった気はするが。というか俺の読書メモは大半がそれだぞ。マジでか。いや大半は言い過ぎだけど……3割がたはそれでも俺は驚きませんよ……?数えないけれど……。

 

さてそんな会話をする相手は、友人……というテイで主人公本人が変声機により演ずる「スライムベス」。……これもゲーム用語か。好きなのか、ゲーム?ある種のオタクの「チョロさ」が狙われているだけか?それにしては微妙なところをついてくる。ICOだとかスライムベスだとか……「知ってる人は知っている、知らない人は覚えてね」的な……そういう「微妙なところ」を好むオタクが一番チョロいのだ、と見抜かれているならば、ええと、うん、はい、そうですね。同意見です。

 

それでも敢えて「スライムベス」という、友人役……というテイの自分のアバターに名付けたそのハンドルネームに意味があるとするならば、着目すべきは、スライムベスにはスライムという、解りやすい下位互換が存在する、という事か。

 

お世辞にも裕福とは言えない環境で育った彼女が望むのはあくまで普通の上位である。 馬鹿にされない街に住み、センスのいい洋服を着て街や大学を闊歩して、きちんと4年で大学を卒業し、恥ずかしくない会社に就職する結末こそが自分の望む大学生活であり、近未来であって、 TikToker として有名になりたいわけではまったくなかった。

文藝春秋 文學界七月号 P52)

 

求める生活は「普通の上位」……言い換えるならば「中の上」。彼女自身はそう考えているにしても、スライムベス、という存在はDQモンスターにおいて、強さでいうならば明確に「下」である。序盤の町の周辺に登場し、Lv1の勇者が複数を相手取る場合には少々手間取るかもしれないが、Lv5にもなればどうとでもなる。「中の上」にはほど遠い。「中」を目指すのであれば、せめて何らかの魔法なり、特技なりは使いたい。「中の上」ならなおさらだ。

 

ただ、スライムベスは「下」であるが、「最下位」ではないのである。そこに居るのがスライムだ。ああ、いや、まぁ、厳密なことを言えば、作品によっては色々あるんですけど、今は置いといてください。スライムベスとスライムのどちらが強いのか、という話になれば、これは目くそ鼻くそというか、どんぐりの背比べというか、ゴジュッポ・ヒャッポ……は少し違うが、僅差でスライムベスの方が強いのである。……僅差ですけどね。スライム2匹とベス1匹なら、2匹の方が強いかな?

 

このことから自分(いやまぁ友人というテイではあるんですが)のアバターを「スライムベス」と定義するその姿は、彼女が本当に求めているものが「中の上の生活」ではなく、「社会的にも実際的にもわかりやすく自分より下の存在」であることを示している……と読めなくもないと主張する事はできるが、まぁ多分出来るだけですよ。

 

スライム、強さは「下」だけど、認知度とか人気とかの話をするなら一気に最上位になるしな。

 

彼女にとってウーバーイーツ配達員はあくまでウーバーイーツ配達員であって、個人を識別する必要を感じていなかった。しかし、さっきの感情に乏しい若い男性配達員の顔、とりわけその目がなぜか脳裏に残った。

文藝春秋 文學界七月号 P53)

 

あれ?鬱野さん?

 

説明が必要であろう。先ほどそれを認識したばかりだ。

 

鬱野さんは施川ユウキ氏の漫画、「鬱ごはん」の主人公である。本名、鬱野たけし。鬱ごはんは現実の世界とある程度リンクして時間が流れていくタイプの漫画であり……1巻で就職浪人だった鬱野さんは、最新4巻で30代に突入した。光陰矢の如しである。テルの矢は決してリンゴに届かない。そんなことはない。

 

 

鬱ごはんの世界がリンクしているのは、時間だけではない。社会情勢や出来事も、ある程度リンクしていて……4巻ではコロナウイルスが流行し、鬱野さんはUberEatsじみた食事の配達員……UperEatsとして働き始めることになる。

 

鬱ごはんはフィクションです。実在の個人・団体・店舗とは一切関係がありません。

 

Uber、使ったことないんですよね……一時期は家の周りでも結構見かけたのだが、最近ではあまり見なくなった。視界が「特別なモノ」として認識しなくなった、日常に紛れた、そういう可能性もなくはないが……まだサービス自体は続いてますよね?若干不安になるレベルで見ないのだが。

 

鬱野さんはその名前や漫画のタイトルに反して、鬱ではない。少なくとも作中で「病名」が描写されたり、薬を飲んだりしている描写はない。もちろん診断を受けていないだけ、という可能性もあるが……だとしても第四の壁の向こうにいる我々が、安易に「彼は鬱である」と明示すべきではないだろう。幻覚は、まぁ、一時期は見てたんですが、最近は見ないし。……カバーとかカバー裏にはアイツまだ居るんだよな……。

 

……黒猫、多分作者さんはマスコットキャラ的な立ち位置で用意したんだけど、冷静に考えたら「会話が成立する幻覚を見るレベルの症状」だと重すぎたんだろうな……。最終回まわりで帰ってくる可能性もあるとおもっている。症状が悪化してのバッドエンドじゃねえか。

 

……精神的には「悟り」とも言えるレベルで下手な一般人より安定している(4巻時点)んですけど、それはそれとして孤独死の危険は常に孕んでいる人だから……。あんまり人のこと言えないけれど……。出なくなった理由含めて邪推ですよ。

 

そんな鬱野さんとこの配達員さんの描写……「」がダブったように思ったので、つい「鬱ごはん」の事を思い出し、元ネタの解説を挟んだが、まぁ冷静に考えて絶対に鬱野さんではないので、この文章の意味はない。……これは元ネタ解説が半分行きますわね。

 

……ほぉ。アカウント引継ぎ……これは面白いアイデアだ。いわゆるVtuberの中の人をこっそり(あるいは堂々と)変えちゃうっていうのは、まぁ色々あって、結果としては大体……まぁ色々あるのでひとくくりにはしませんが、実写でそれをやるかね。ふむ……「お話だから出来る事」、単なるフィクションの嘘、と切り捨てるのは簡単だが、最近ではディープフェイクとかありますし、わりかし嘘と言い切れない部分も……?

 

しかし困難な計画であることに変わりはない。実際作中でも色々あることは触れられておるわ。

 

こないだ、昔有名だったコピーライターの何とかさんが、だらしない服装で、サンダル履きで自転車を漕ぐ配達員を揶揄する呟きを Twitter 上にあげた。そのTweet が炎上したのがニュースになってたことをICOは思い出す。あんまり詳しくは知らないけれど、その元有名コピーライターの人は、有名だっただけはあって、きっとそれなりに裕福なんだろうから、Twitter民から上級国民と揶揄されて、「上級国民が下級民であるウーバーイーツ配達員の服装をああだこうだ言うな」、「運んでもらっているだけありがたいと思え」、という論調になっていたな、たしか。

文藝春秋 文學界七月号 P56)

 

……これは、確か……「あの人」が似たような事やってたような?

 

またもや登場、デイビッド・ライス・メソッド。まぁ今回は個人名ですし、慎重を期して悪い事はなにもない。……慎重を期すのであれば、職業とか発言の内容とか、そんな具体的に書かない方がええんでねえかという気がしなくもないが、まぁ……作者さんが完全にフィクションとして描いた描写が、たまたま俺が思い浮かべている「あの人」の過去の発言や経歴とマッチしてしまった、という可能性もなくはないか。

 

 

……ううむ、芸能人のそういう発言をネタにする……これはまぁ過去の偉人をネタにする延長線上にあるだろうから、まぁそれ自体は別に悪い事でもないとは思うが、俺が想像している通りのアレが元ネタであるならば、ちょっと直近すぎるような気がしないでもない……。

 

……ただこれに関して言えばラインは人それぞれでしかないから、俺にだけ配慮する理由もまぁ無いです。それで良い。

 

いわゆる「塩顔マッシュ」と呼ばれる今風のルックスをした彼は、その飲み会で、自然な感じでICOの近くに座り、優し気な顔で「女の子があんまり夜更かししたら駄目だよ」「お酒も飲み過ぎたらだめだからね」などと優し気なことを言いながら、連絡先を交換した。

文藝春秋 文學界七月号 P57)

 

……(塩顔マッシュ、で検索)……。

 

……あ”ぁー…………吉田ヒロフミ……?

 

……まぁこの直前の描写からですね?この恋というか……なんというかがあんまりよくない感じだったのは解るんですけれども、まぁ……うん……それでも吉田ヒロフミがそういう感じで近づいてきた時点で警戒すべきでしたねぇ……。

 

いや、吉田ヒロフミ君はちょっとファンというか……メスダコの皆さんからの風評被害が激しいだけで、普通に良い子なのだが。だいたい彼は高校生だし。嘘だろ。

 

チェンソーマン2期でも出てきましたね。彼が脊髄剣になる心配は、俺はそんなにしていません。1期のごく少ない出番から、確かな数のファンを獲得したキャラクターですからね。作者の藤本タツキ先生も慎重に取り扱うのは間違いありませんよ!

 

だからそんな事前に予想ができる様な死に方の心配はしていないぞ。

 

さてそんな偽吉田ヒロフミは多分これ風評被害でなく「やってる」な。

 

「あのおっさんさ、轢いてもいいよな。 社会になんの益もないし。むしろポイントつくんじゃね?」

文藝春秋 文學界七月号 P57)

 

この発言も過去に炎上したあの人を思い出させるが、それでも「あの人」ほど露骨ではないな。「あの人」のマッチ具合が異常に高かった、という見方もできるか。で、まぁ色々あって、それがさっきの配達員さんへの態度へとつながっていく、と、本人はそう認識しているわけだな。実際のところどうなのかはこの後を見ていくとしよう。素のような気もするし。

 

「身内の不謹慎ネタ」で笑う心理がかなり良い感じに描かれておるわ。これはまぁ外部から見たら炎上しますね。そりゃあ。

 

ICOは、その場で泣き崩れる。ウーバーイーツ配達員はたじろぎつつもその場を離れることができない。

文藝春秋 文學界七月号 P61)

 

偽鬱野さんを困らせないであげてください。

 

……ほぉ、ボールド……太字自体は表現として初見ではないんだが、こういう使い方があったのか。スカッとする武勇伝は大体フィクション。それは大体同意です。時間停止モノと同じ確率でフィクション。犬には無効。

 

「だから、末端とか、システムとか、そういうこっちゃねえんだよ」

文藝春秋 文學界七月号 P67)

 

そしてやはり偽鬱野さんではなかったのだ。鬱野さんだと直前のセリフの読み味が全然変わって来るのでね。「将来的にこの仕事を辞める時がくるだろう」とかは、割と言いそう。続く言葉は「それでも生きていける」ではなくて、「それでも生きていけてしまう」だと思うけれども。わずか数文字でえらい違いだ。

 

鬱野さんの自殺は吉田ヒロフミの脊髄剣くらい心配していない。4巻で「ある事」をきっかけに「自分は犯罪も自殺もしないだろう」と独白する下りとかめちゃくちゃ好きなんですよね。もちろん「自分は自殺をしない」と言っている人が間違いなく本当に「自殺をしない」わけではなく、これだけを根拠に心配していないわけではないが。

 

そして引き継がれていくのですね。

 

まぁ冷静に考えたら多分なんらかの規約違反なんじゃねーの?という気がしなくもないけれども。アカウントの第三者利用とか売買とか、その辺に引っかかりそうな気がしなくもない。ICOさんはICOと規約と運営さんとよく相談してください。

 

規約はクリアしてもファン層に黙ってやるとそれだけで炎上の種であるからなぁ、転生……(遠い目であちらを見ながら)。

 

 

 

読み終わりました。

 

俺の読み方の問題なのか、なんなのか、やたらと「過去、実際にあった炎上や騒動」が想起される場面が多かったですね。TikTokの有名人、として例に出したけんごさんも、アレは俺はけんごさん側の過失はゼロだと思うんですが、なんだか燃やされてしまっていたようだし、【聖域】HIKAKINさんさえもなんだか直近で色々あったようですし。

 

まぁ今日において「ネットで活動をする」とそれだけで火種になりえる、というのは、常に意識しておきたい……完全に変な人になんの脈絡もなく絡まれる……事さえ「炎上」につながりかねないとするならば、いや、もう、ネットやっているかどうかもあんまり関係ないか。

 

生きとし生けるもの、皆いずれは燃えるのだ。

 

さて今回の話を「イケてるTikTokerさんがUberの人を見下していたら、『そういう事ではない』と諭され、新たな視点で物事を判断できるようになる話」と要約するのは簡単なのだが、この要約には俺は少し違和感を覚える。

 

まぁ「それはお前がUberの人を鬱野さんで想像していたからだぞ」と言われればそれはその通りなんですが、Uberの人の「そういう事ではない」は、これは完全に鬱野さんの独白というか、モノローグのようなもので、本人以外……ICOに伝わったのは、これはUberの人にも想定していなかったことではないのかな、と思うからだ。

 

少なくとも「改心させよう」と、そんな風に思って「諭した」わけではないだろう。

 

聞こえるように言ったとて、想定していたリアクションは「負け惜しみ乙wwwwww」であったのではないか。

 

でもあんなの嘘っぱちだとICOは思う。お金なのか、流れなのか、恐怖なのかはわからないけれど、何かの力におされて不本意に男を受け入れてしまった女たちの、そうであったかもしれない自分、そうありたかった自分への思いが形になってあらわれているだけだ。 ICOは明確に言語化できてはいないものの、おおむねそんなことを思っていた。

文藝春秋 文學界七月号 P63)

 

なんでこんな風に思ってしまったのかは、ネタバレ気味なのでここでは詳細は書きませんけれども、「そうであったかもしれない自分、そうありたかった自分への思いが形になってあらわれ」たものとして語られる代表例は、スカッとする武勇伝であろう。それをこのUberの人との会合の、ちょっと前で「嘘っぱち」と断言する彼女の意識の流れとしては、そちらの方が自然なはずだ。

 

「下に見られた側」が「改心させる事」を目的に「下に見る側」に「なんかいい感じの事」を言って、狙い通り「下に見る側」が「改心する」……ああ、実によく見る、武勇伝のフォーマットだ。そんなものは嘘っぱちだ。

 

ただまぁなので「本当はICOは改心したわけではない」みたいな方向に話を持って行くと、それはお前この物語の余韻がぶち壊しじゃねえかとなってしまうので(まぁ数年活動したその後にどう考えているかとかなら別軸で考えてみても良いかなとは思いますが)とりあえずこの場においては改心しているとして。このフォーマットにあてはまらない場面を探すとなれば、それは「目的」ではないかな、と思う訳ですね。

 

改心が目的だとかではなくて、ただ「無関心」から出た言葉だったのではないかと……敢えて感情があったとすれば、「コイツ的外れな事言ってんなぁ……」という、「見下し」ではないかなぁ、でもそれすらそんなに無くて……「……?」くらいの感じだったのでは、と、コレは鬱野さん(4巻の姿)に引っ張られすぎているか。

 

鬱野さんは周囲からの見下しの視線(想像上)に慣れているからなぁ……こんな風に言葉巧みに、アグレッシブに見下してくるタイプの対応に不慣れなんじゃ……俺の解釈でしかないけれども……。

 

でも「少しだけ首を傾げた(文藝春秋 文學界七月号 P66)」なんて表現もありますし、そんなに外してはいないような気がするな。

 

無関心から放たれた言葉でも、行き詰っていた人を助ける事がある。

 

そんな風に書けば、割と救いがある解釈のようにも思えるが、いかがだろうか。

 

まぁ裏を返せば改心させるつもりでも刺さらない事がある、と言う事ですが、そんな事はわざわざ裏を返さなくても、きっと皆様ご存知でしょう?

 

 

 

UberEatsを配達する人はYoutuber、TikTokerの流れで行けばUberEaterだけど、Eaterだと食べる人、お客さんになっちゃうから、英語は難しいですね。