節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

デイビッド・ライスが3人……来るぞ遊馬!「アナキズム・ナウ」

今号の特集、アナキズム・ナウはアナキズム(無政府主義)に関する特集ですが、主義主張としての「アナキズム」について語るには(いや俺がいつもやっている事は『やいのやいの野次を飛ばす』レベルだけどしかしそれにしたって)俺の不勉強が過ぎ、そして何よりこのブログでは「政治的な話題はやらねえ!」と決めているので、この記事ではアナキズム・ナウに含まれるインタビューやエッセイ等については触れず、ジャンル「創作」のものだけを、ただ「創作」として読んでいきます。

 

だから「アナキズムは良いぞ!」な人や「アナキズムは悪いぞ!」な人は、ここにあなたの求めるものは多分ありませんのでご容赦を。お帰りはあちらです。

 

さてアナキズムの話は終わり(マジで終わりです。創作は創作としてただ読むので「この作品におけるアナキズムの在り方とは〜」みたいな事は、しないよ!)だ!

 

デイビッド・ライスの話をしようぜ!

 

いや下の文を全部書いた後でこの前書きを書いとるんですが、結局下の文のどこにもデイビッド・ライスの詳しい紹介を書けなかったので、ここに書いておこうと思って。ちょっと魔人探偵脳噛ネウロネタバレ入りますよ。

 

1エピソードで終わる事件の、そこにしか出てこない奴だから、物語的には全然軽いネタバレですが。トリックとかは言わんし。説明しにくいのよこの事件のトリック、心理誘導系だから……。

 

デイビッド・ライスは魔人探偵脳噛ネウロというミステリに見せかけた痛快娯楽漫画(1巻カバー裏にて作者が公認しているジャンル)に登場する、まぁ、ただの容疑者Aにそんなに書くこともないんで紙幅を費やす時点で察する人もいるだろうから言ってしまいますが、犯人です。

 

ネウロの犯人は「犯人」だと確定するとみんながみんな、個性豊かな恐ろしい姿に変身し、「俺はこんな動機で犯行をしたんだ!」と演説をしてくる(主人公のネウロは動機にはそんなに興味ないので( ´_ゝ`)フーンって感じで聞いてる。演説の内容によっては拷問のネタにする事もある)のですが、デイビッド・ライスの演説は特に酷い。

 

「ボクの国ではみんな…」「ハンバーガーとバーベキューしか食べませーん…」

 

「ボクの国では夜寝る時は…」「裸にGパンって決まってマース…」

 

「ボクの国ではホームランが打ちたかったら薬物とコルクバット使いマース」

 

(魔人探偵脳噛ネウロ 4巻34話【外】)

 

徹底して「ボクの国」の美徳を誇示し続けるデイビッド・ライス……そんな彼はそもそもなぜ愛する「ボクの国」を離れ、日本にまでやってきたのか?彼が凶行に及んだ理由とは?

……是非とも読んでみてください。いやマジで面白いので脳噛ネウロ。マジで酷いのでデイビッド・ライス。偉そうに演説してるけど、お前結局のところ直接の理由はフラれた腹いせじゃねえか!

 

……マジで酷いけど、居るには居るんだよな……流石に国を実際越えるほどのやる気があるやつはなかなか見……ネットだとそこそこ見るな。本当に越えてんのかな。越えてるのも居るには居るんやろな。

 

……はい、ネウロを語り出すと電人HALとかXiとかiとか6とか葛西のおじさんにまで話が及びますのでね、この辺りにしておきましょう!ちなみに俺が好きな単発怪人犯人は噛み切り美容師です。また今度書く。

 

デイビッド・ライスについては、とりあえず上の「ボクの国では〜」発言をなんとなく覚えておけば下の文で言いたいことは伝わるんじゃねえかな。君は果たして気づけるだろうか。そういう意味でもマジで酷いんだよな……。

 

愛の楽園

 

国から逃げ出した「柔らかいアナキスト」のコミュニティ運営の話。

 

市が立つ日にはコミュニティーの人々だけでなく、国から、役所が発行した鑑札を持った商売人がやって来る。 YENも使われているが、物々交換の方が盛んだ。 商売人だけでなく、国から警察や役人がやって来ることもある。彼らはコミュニティーの存在を認めず、戸籍への再登録や税金の支払いといった「国民としての義務」の履行を、法律を楯に律儀に求めてくる。その姿は恰も国にいた頃のNHKの集金人のようで、我々は一種の憐れみと軽蔑を以って彼らを退したり無視したりしている。

(文學界 二〇二二年四月号 P37)

 

「国」が「どこの何という国なのか」は一応明言されてはいない。通貨はYENであり、「NHKの集金人」も存在するが、どこの国かは明言されていない。

 

……コレはアレですね、デイビッド・ライスの出身国が「どこなのか」を明言しないメソッドだ。

 

気がついたかい?アイツ、自分の国のことは色々と言っていたけれど、「具体的に何という国なのか」、国名は最後まで出してないのですよ……。アニメ版では「ボクの国」が「ボク」に改変されたけどな……。あと豹変具合もちょっと変わって、なんというか漫画的というか、いやネウロは最初から漫画なんだけど、えーと、カートゥーン的というか……コレ国名出さずにやるのやっぱり無理だって。

 

「コミュニティーには自由と平等と安全はあるが、どうにも退屈で面白くも何ともない。こんなことなら、 国と戦っていた時の方がずっと刺激的だった」と彼は言った。
「考え直せ。俺達はサダオが好きなんだ」
「サダオがいるからまとまってやってこられたのではないか」
「お前はコミュニティーにとって扇の要なんだぞ」
ここが詰まらないから出て行くというサダオに対して、コミュニティーになくてはならない存在だから慰留するというのは悪しきコミュニティー至上主義であり、サダオを鎖に繋ぐに等しい暴挙ではないかと思われた。

(文學界 二〇二二年四月号 P39)

 

平和ないわゆるスローライフも、合わない人は全然いるらしいですからね。特に一般に想像される「田舎の人間関係」よりもさらに濃密なアレだろうから、嫌になるのも無理はないが。

 

それはそれとして現場の前線で活躍した人を安易に管理職にするのをやめろと何度言えば……。本人が望んでいるならまだしも……。乗り気じゃない管理職に指示出されるのもこちらはアレなんですよ?

 

ここに来た瞬間から、私はこのコミュニティーを支配している「文脈」のようなものに馴染めなかった。その性善説。とことん話し合えば必ず最善の結論に達し、誰一人置いてきぼりにされることはないという出所不明の過剰な自信。「愛」至上主義。誰の顔を見ても投げ返される 「あなたのことは全て分かっていますよ」 「心配しないで」 「ようこそ我がコミュニティーへ」という眼差しと、気味の悪い薄笑み。 二十四時間三百六十五日、互いの気持ちや真意を慮り続けなければならず、メンバーの誰もが「地上の楽園・我がコミュニティ―」という三文芝居の役を嬉々として演じている。

(文學界 二〇二二年四月号 P40-41)

 

まぁいかにも先鋭化しそうな思想だものよ、という話になってくるのですわ。疑問に思ってしまえば、その時点でもはやその集団からははみ出し者よ。たまに100%素で馴染める人がいて、まぁ、すげぇなぁ、とは思う。

 

 

……あらららら。まぁ、予想はしていたが。予想よりもだいぶアグレッシブ。

 

読み終わりました。最終的にどうなるか、は予想できていたけれども、俺はてっきり女の子も同じ末路を辿るかと……。いやどうなんだろう、あの後……あの子一人なら大丈夫かな。大丈夫ではないだろうが……命は助かる……しかしこのコミュニティ、恐らく寿命はそう長くないというか……。

 

コミュニティの規模自体からして、理念から想像されるほどの多様性を認める余地がないんよな……。遅かれ早かれ、という話になってしまうか。

 

人間、敵がいなくなると作り出す生き物だからね。しょうがないね。人類は愚か。

 

血を流す

 

「血を流す」事に関心がある子供の話。

 

もちろん血は流れないほうがよい。血を流すほどの怪我をするというのはただただ不運のあらわれであって、そこには本来なんの喜びもない。しかし、その怪我が後遺症をもたらさない程度のものである限りにおいて、私たちはそこに美や名誉や誇りを見出すことがある。それはとくに子ども時代に顕著である。自分が傍観者でしかなかった際にはなおさらそうだ。 アニメの主人公が度重なる戦いによって額から、 唇の端から流す血に、私たちはどれだけ憧れただろう。

(文學界 二〇二二年四月号 P44)

 

まぁ、解らんでもない。「その後の生活」に影響が出ない程度であれば、子供のうちには憧れることもあるだろう。アニメを例に出されるとなかなか否定がしづらい……。厨二の頃の記憶が蘇る……。具体的なエピソードは言いませんけど……。

 

私が外出血もしないつまらない捻挫や擦り傷程度のシケた怪我ではなく、ちゃんと血を流す怪我をしたのは9歳のときで、受傷箇所は偶然にも1歳のときと同じく左手の人差し指の腹だった。

(文學界 二〇二二年四月号 P46)

 

怪我に「シケた」っていう奴初めて見たな。

 

この辺りの怪我の表現、生々しいというか、実に痛々しいんですよね……。だからこそ生々しい、こんなモノ(今となっては『こんなモノ』でしかないのよなぁ、嫌だよ、流血……)に憧れていた

 

……この年頃の子供の「特別な出血」となると、なるほど、それが来るか。……それにしても無茶をするなぁ。それなり以上に精神的にも不快だと伝え聞くが。

 

読み終わりました。エッセイかと思ったが、ジャンルは創作でした。私小説とエッセイの差とは何か。まだまだ俺には難しい問題だ。

 

そんなに変な子ではない……いやこの子の理屈はまだまだ共感できる方ですよ?マジでよくわからない自分だけの理屈をこねくり回してセルフで死にに行く子供、山ほど居るので。死人は語れないのでどうしても生存バイアスがかかるのだなぁ。

 

…………身内のエピソード晒そうかと思ったけど、やめておこう。特定されたら殺されかねん。死にかけたエピソードを晒して殺されるの、シンプルに悪い冗談であるな。

 

ヌートリア過ぎて

 

ひさしぶりに友達と会って話す話。

 

どの顔もマスクに覆われ目元には生気だか精気だか覇気だかがない。それは長引くいつ終わるともわからない感染症のせいのような、いやいつだって前だってこんなものだったような気もする。そういう国、そういう地方都市、そういう駅のそういう通り、いっとき私の職場もリモートワークを導入した。 いい面と悪い面があり、いい面を享受した人と悪い面を享受した人の層が必ずしも重ならず、そして上に立つ人ほどその悪い面を重視する傾向にあったためにいまは原則全員リアル出勤ということになっている。

(文學界 二〇二二年四月号 P49)

 

お、「現代」だ。コレもハッキリとした病名はない……デイビッド・ライス・メソッドか?「現代」は時系列が限定され過ぎてしまうから、というのもあるかな。

 

現在進行形で猛威をふるいまくっているから、あんまり不用意に明言した上で「この病気は〜が特徴で〜」とか、「〜が有効とされていて〜」とか、言えないのかもしれない。発表後に変わりかねん。変異とか急にやるから。

 

「手洗いうがいが有効」「とりあえずマスクはしておけ」くらいは、まぁ、今後も恐らくずっと変わらないのかな……?あんまり書くと薬機法的な何かに触れるかもしれないし……コレも隠す必然性はあるか。

 

川、泳ぐ、動物、日本と検索すると一番上にヌートリアと出てきた。これじゃない?わーこれだ。えー特定外来生物だって。 しっぽ長いね、それはわかんなかったな。顔だけだったり全身だったり水中だったり陸地にいたり大きさも解像度も遠近もまちまちの画像は、かわいらしくも獰猛そうにも愚かにも聡明にも見えた。 泳ぎうまいんだ。でっかいネズミだね。ネズミかあ。

(文學界 二〇二二年四月号 P50-51)

 

ヌートリアは見たことが無いんですよね……いないならいないのが一番良いんでしょうが。

 

特定外来生物(ただし見た目は良い)の駆除は、地元住民が嫌がる場合もあり、なかなか難しいと聞いております。こんなところにもルッキズム。ゲジは益虫だが不快害虫だ。

 

しかしヌートリアはどうでしょうね。そこそこデカい濡れ鼠だからな。怖がる人もいるだろう。カピバラ、近くで見た事あります?俺はあるし、憮然とした表情がどちらかといえば好きなんですけど、アイツが「可愛い系」で売り出されている現状には、違和感があります。

 

巨大ネズミはイグアナとかの枠だろ……。いやイグアナはイグアナで全然可愛いけど、ストレートな可愛さではないというか……。

 

例えばデフォルメされたカピバラのぬいぐるみみたいなもの(そんなキャラ昔居ましたね)を好いている子供が居たとして、その子が良かれと思ったご両親に実在カピバラを見せられてギャン泣きした場合、それを俺がみた際のリアクションは「……あぁ……」ですね。やはりそうなるか、くらいのリアクションになる。

 

ストレートに喜んでいる子を見た場合のリアクションも「……あぁ……」ですが。子供はイグアナとか案外好きだからね。御両親が気持ち悪がるから空気を読んで同調する場合もあるが。それを見た際のリアクションも「……あぁ……」。基本的にリアクションがカオナシのそれ

 

学校の変な事件、聞いてるだけなら面白いんですけど、当事者はまぁ笑えないよね。

 

昔「お前たちは目に余る!具体的に何があったかは言わないが当事者は解っているはずだ!」で学年全員が集められた事がありましたが、アレはな、当事者だけを呼べ、と、強めに思った。ひたすら「何に怒っているのか」をボカされたまま怒られるのは、ある種貴重な体験ではあった。

 

読み終わりました。「」無しの会話を句読点区切りで延々繋げるのって純文学でアリなんだ。流石にもうそんなに驚きませんが。大概なんでも「ナシではない」んだろうな。アリアリナシよ。

 

多少の読みにくさ(話題の区切りがわかりにくい)はあったけれども、面白かったです。話題が飛び飛びであるとか、そういうのも含めて、「久しぶりにあった友達との会話」然としていたように思う。

 

「」無しで会話と情景描写というか、諸々をつなげていくもんだからよぉ、友達と別れて、一人で帰る場面になった事に、所見ではなかなか気づけなかったのぜ。この辺りは単純に俺の読解力の問題になっていくような気もするが。

 

AはAのA

 

出会い系か何かで出会った女性と「新しい経験」を積んだ男の話。

 

「無の表情をした色気のない格好の女」で「二人称が『きみ』」……。

 

……癖……ッ!

 

A子のゴム手をしていないほうの手が地味なパンツを放り投げ、リュックサックを掴み、その中身をベッドの上にぶちまけた。それはいわゆる、大人のオモチャ類だった。 細いのから太いのまで、禍々しい色と形のディルドが十本近くある。

文學界 二〇二二年四月号 P59)

 

……審議……ッ!

 

……20分くらい目を瞑って考えましたが、「not  for me」ではあるだろう、との結論に至りました。しかしコレは否定ではない。俺じゃない誰かの癖には刺さるだろう。こういう作品があるのは良い事だ。

 

誰ですか?挿さるとか言ったのは。

 

「道は全て独りで歩いていくものなんだ。きみがあの先の景色を見たいのなら、自分で進んで行くしかない。私は最初のドアを開けただけだ。きみは受け入れることができた。だからもう自分の力で先に行ける」

(文學界 二〇二二年四月号 P62)

 

最初のドアっていうか、性癖の扉……。

 

いや、まぁ、君がいいならそれでいいんだけれども……。……彼女はそんな直接的な意味での「孤独の癒し方」を勧めていたわけではない、と思うんだけど……いや、まぁ、君がいいならそれでいいんだが……。

 

この辺りは単純に俺の読解力の問題になっていくような気もするし。彼女は「それ」を確かに勧めていたのだ、お前の読解力では難しかったかもしれないが、と言われれば、俺は何も言えないよ。

 

読み終わりました。なんか、アレですね……レベルを急に上げ過ぎていないだろうか。ラストのアレ、かなり大きそうというか……コレはだから、アレよ。会うまでの間に、着実にレベルを上げているかどうか。そこを読者の想像に委ねているのよ。

 

真面目な話をするとプレイの後の「優しさ」であるとか「孤独」についての考え方、文章は非常に面白かったですよ。分かりやすさと面白さが両立されていた。

 

それはそれとして誰かの性癖には刺さるだろう。

 

あと断っておくが、上に「真面目な話をすると」とは書いたけれども、俺は常に真面目な話をしている。上の「真面目な話をすると」は、正確に言えば「(世間一般の感覚として)真面目(であると受け取られるよう)な話をすると」である。癖の話も真面目にやっている。わかったか。

 

 

じゃじゃ馬ロマンサー

 

自作小説の出版を持ちかけられた美人モデルの話

 

この気候を知らない日本人などは、私がおしゃれのために痩せ我慢しているのだと思うかもしれないけれど、本当に過ごし良いのだ。 空気の温度だけではなく、その硬さも違う気がする。軽くて吸いやすいし。 夏が待ち遠しくて私は、半年後に何を着ようか、肌をどれくらい露出させようか今から考えている。

(文學界 二〇二二年四月号 P63)

 

日本の気候の嫌な部分は、大体「湿気」らしいですからねぇ。多分この体感温度の差も、そこに由来するのでは。知らんけど。

 

「もうやめて。恥ずかしいよ」
「僕はそのうち、妻が小説家として大成するんじゃないかと踏んでいるんですよ。あと小説だけじゃなくて、映画の脚本とかもやったらいいのにって思いますよ」
旦那は笑う。
私は私の作品を私の作品として世に出すつもりはこれまでもこれからも一切無く、しばしば「読ませてもらえないか」と、本心か社交辞令かお願いされるのだけれど、やんわりと、しかし頑なに断り続けている。

(文學界 二〇二二年四月号 P65-66)

 

……あ、マジで嫌だったんですね……すみません、そういうテイで、夫婦コンビでアピールしているのかと思いました……。


ちなみに「なぜ嫌なのか」はこの後の文章ですぐわかります。単に見られて恥ずかしい、とか、そういうわけではないのだ……。……そりゃ嫌だろうよ!

 

でも真面目に創作のモチベーションが「それ」だ、という人が割といる、という話は聞きますね。言うか言わないかはまぁ当人の自由よ。あとは出版社さんの意向よ。ビジネスの観点からそういったモチベーションを「でっちあげる」事すらも、それ自体を否定されるべきではないだろう。

 

仮に旦那が悪い人だったとする。 そんな人と結婚するからには、色々な、大きな反対を押し切らなくてはいけなくなるのは当然だとして、じゃあそのめちゃくちゃ困難な周囲の抵抗を押し切れる私という女は、間違いなく美しいということになる。なぜなら女としての美しさは、本気で好きな人を自分で選べる能力の有無に左右されているから。

(文學界 二〇二二年四月号 P71)

 

この自らの「美」に対するスタンスはどこかで見たことがあるんですが、どこだったっけな……。

 

……Fate(FGO)のメイヴに近いか?彼女は「彼氏が悪だと仮定すれば、その困難を乗り越え恋を成就させた私は美しい」ではなくて、「私は確かに悪であるが、その程度の困難は容易く乗り越え恋を成就さえてみせる」的な感じになるだろうから、より気合が入っているというかなんというか……。

 

……まぁメイヴちゃん持ってねえから、キャラ把握的にはいまいちなのですが!

 

ジャンル
異世界/恋愛

 

〈R15〉15歳未満の方は移動してください。
この作品には[残酷描写が含まれています。

 

タイトル
賎民に転生した皇女が持ち前の高飛車ぶりを発揮したら、易姓革命を起こせた

 

作者: オジサニータ

(文學界 二〇二二年四月号 P72)

 

…………『あのサイト』だ……!ジャンルのルールが整備された後の……『あのサイト』だ……!

 

そしてまた立ちはだかるのか……デイビッド・ライス・メソッド……!

 

いやマジで「『あのサイト』系」とされる作品と実際の「あのサイト」の流行というかトレンドにはかなりの乖離があると聞くからな。

 

要素が乖離しているだけならまぁまだ捉え方の問題で収まらなくもないんだけど、事実として「『あのサイト』出身ではない作品」まで「『あのサイト』系」とされていたりして、もう訳がわかりませんが、ともかく一部の読書好きには「あのサイト」の名前を出しただけでだいぶ先入観が湧いてしまうようなので、ここを隠すのは納得できる。

 

……斉藤さん、ここまでされてイケるのはそこそこすげえと思うよ。そこまで強気というか、経験豊富だったりとかにも見えないのに、この自信はどこから来るんだ。

 

死んだ!まぁコレは多分、本当にただの不幸な事故。消されたとかではないんだろうな、と謎の確信がある。

読み終わりました。

 

面白かったです。現状一番好きかな。斎藤さんとの行為中にも描写としてメインで描かれるのは旦那さんなんだけれども、これはNTRなのか、NTRだとすれば、Rの読み方は果たしてどちらなのか?奥深いですね。NTL表記、存在は知っているけど定着はしねえな。いや、俺は全然詳しくないんですけどね。

 

もう一つの世界は可能だ

 

昔のアナキストの友人について男が語る話

 

読書会には、アナキストが一人来ていた。名前は仮にトライアンとしておこう。彼は筋金入りだった。風呂に入らなかったんだ。
風呂に? わたしは聞き返した。
入浴みたいなプチブル的で小市民的な行為に、我慢がならなかったんだ。風呂に入ることで、自分がブルジョワの手先みたいになるのが嫌だったんだと思う。

(文學界 二〇二二年四月号 P78)

 

今回の企画で「アイツはアナキストだ」と第三者に認定されるような人物が出てくるのは初めてかな。それがコイツで良いのか。良いんじゃない?

 

アナキスト基準だと、「風呂に入る」でもプチブル・小市民になってしまうのか?

 

……まぁ確かに庶民が気軽に毎日入れる様になったのはここ100年くらいの事かもしれんが……もう少し前からか?風呂好き民族だからなぁ。

 

ブレックファーストクラブにはトロツキストのジョージも参加していた。

(文學界 二〇二二年四月号 P79)

 

また変なのが出てきた。トロツキスト

 

……共産主義者社会主義者の一派ではあるらしい、のだが……彼らの中でもかなり賛否が分かれるというか、なんというか……あんまり不用意に触れたくねえなぁ。特にこのご時世においては……。

 

スローガンは、そりゃ、今となっては、ちょっと綺麗事に聞こえるかもしれない。うん。でもスローガンは立派だったけど、当時だって、それを担っていた一人一人は別に立派だったわけじゃないよ。だから、別にいいんじゃないの?

(文學界 二〇二二年四月号 P81)

 

今回の企画の総括、コレで良いんじゃないかという気もするな。別に立派じゃない人たちが、それでも綺麗事のスローガンの元に集い、なんか、ワイワイやるのである。別にいいんじゃない?

 

「別にいい」って言う、この言葉のチョイスも意味深ではあるが。

 

読み終わりました。物語としては登場人物の昔話というか、1エピソードを聞くだけ、みたいな感じだったのですが、先の総括というか、これを締めに置いた意味、みたいなものをちょっと考えてしまうな。

 

 

 

読み終わりました。どれも面白かったです。「じゃじゃ馬ロマンサー」「血を流す」「ヌートリア過ぎて」が3強かな。俺の好みでしかないけれども。

 

それにしても不思議なモノで、デイビッド・ライス・メソッドが使われていると、そのデイビッド・ライス・メソッドを使って隠されている文言を暴くのが、なんとなく無粋に感じてしまう。

 

というかネタにしてしまったけれども、多分俺もこのブログで何回か使っておるからな、デイビッド・ライス・メソッド。

 

デイビッド・ライスを覗くとき、デイビッド・ライスもまたお前を覗いているのだ。納豆を食いながら。

 

……まだ食ってんのか、アイツ……。食わないと呼吸がなぁ……。刑務所の中でも特例で食ってるくらいだからなぁ……。ありゃあネウロが帰ったらさすがに解除されるんでしょうか。……されない気がするなぁ……もう完全に寄生されきってるから……半ば受肉した状態というかなんというか……そう考えるとトップクラスに悲惨な犯人なのでは、デイビッド・ライス……。

 

……でも同情する気にはそんなになれないなぁ。ド外道なのは確かだし……。