節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

Netflixで疲れる

いうほど最近でもないが、最近、Netflixに加入した。週1で何か映画を見ようと、加入した時にはそう思ったのを覚えている。

 

 

 

「××監督の作品の『作家性』として~」
「このキャラクターのこの行動は物語の様式の~」
「このシーンの演出は○○年公開××監督『適当な作品名』のオマージュで~」

 

 


そういう事をサラサラ言えるようになりたい。そう思ったのも覚えている。今はそういう事に「けっ」となる時期に入ってしまっているのでこの感覚をさほど理解出来ないが、また言いたくなる時期に入る事もあるだろう。経験上、大体3、4か月周期で来る。2か月で元に戻る。デフォルトは「けっ」期。だが「カッコいいじゃん」期の情感は張り合えるレベルで強い。それを冷静にジャッジするお前はなんなのか。

 

 


さて加入してどうか。正直に言おう。全然映画見ていない。毎月お金払っているのに見ていない。俺のアカウントを家族共有で使っている家族、特に弟の方が見ているまである。これは非常にもったいない事である。今日は何故せっかく加入したNETFLIXをいまいち見ないのかを考える。

 

 


・疲れる

 

 


ハイ出た。解っていた。考えるまでもなかった。だからタイトルにも書いたさ。しかしもう少し掘り下げて考えてみる。本当に映画を見ると疲れるのか?

 

 


疲れる。少なくとも俺の場合は。何故疲れるのか。眼を使うからか?それもあるにはある。が、どちらかと言えば疲れるのは頭だ。そもそも俺は「人の顔と名前を覚えるのが苦手」という人間で、多くは同じ日本人でも苦労するのに外国人では余計に苦労する。洋画だと特にこの傾向が強いことから、要因がこの辺りにあるのは確実だと思われる。

 

 

 

なるほど。「映画(特に洋画)を見ると、頭が疲れる」。これは少なくとも俺については、確かな事と考えてよさそうだ。ではどのくらい疲れるのか。労働と比べ、あるいはかつての勉学と比べてはどうか?

 

 


「それと比べるとまだ楽な部類だ」
「特に労働とは比べるのも烏滸がましい」
「ファッキン労働」

 

 


どうやらそれらと比べると、まだまだ楽な部類に入るようだ。では労働を終えてから、見る事も出来るのではないだろうか?にも関わらず、そうしない理由はあるか。ある、と思ったが、言語化がなかなか難しい。むむ、とうなりながらあえて言うなら、「万全の状態で観たい」だろうか。

 

 


登録前、映画というのはそれなりに高価な物であった。札は必ず飛んだ。1000円札が数枚だが、気楽に出せない生活も長い。故に見る際は真剣だった。途中で睡魔に襲われるような事もなかった。それが金も出さずにいつでも好きなだけ見れるというのは落ち着かない。どうしても当時のような心境で臨みたくなってしまう。仕事で疲れた後なんかは、映画を見るコンディションではない。かけたお金がもったいない。それならばいっそ見ない方が良い。行くお金をかけない方が良い。

 

 


反論するのは簡単である。曰く「見なくてもお金かかるよ」である。事実の提示だけでいい。逆転裁判ならチュートリアル。月に2本映画館で見るくらい引かれてたはず。今の俺は映画館にお金を払った後に「今日は疲れている!」と出ていく客である。月に2回も。来るな。鑑賞への意識が高く、経済への意識が低い。なんなんでしょうねー、やっぱりレジで現金支払いと口座からの引き落としではどうしても意識が違ってくるようで。クレジットとかもそれが怖くてあんまり使わない人だからね。俺こそキャッシュレス社会の敵である。

 

 


それに家で見るのだから、鑑賞の態度なんてのは気楽で良い。途中でいくらトイレに行ってもいいし、なんだったらもうカップ麺なんかを啜りながら見ても誰にも文句を言われる筋合いは無い。途中で巻き戻してもいいし、まあ、時間はかかるが、初めから何度見直したとしても追加料金は発生しない。故に疲れ、この場合はストレス?ともかくそういった不安は、少なく見積もって良いはずだ。なのにお前は勝手に人目を気にして、勝手にお金を無駄にしている。精神的には富裕層なのか?そんなに育ちがいいのか?

 

 


だとすれば、まあ、悪い気はしねえな。

 

 


しかし実態と精神像の解離は、予期せぬ事態を引き起こす。というかもう、お金が無駄だし、書き溜めのネタも不安だから、どういう態度でもいいからとりあえず見てくれねえかな。という事でNetflixで観た映画なんかの感想も少しづつ増やせたらいいなと思います。何かお勧めのありましたら教えてください。