サイゼリヤに久しぶりに行ったらブロッコリーのくたくたが消えていた。
代わりにほうれん草のくたくたが入っていた。
ブロッコリーout。
ほうれん草in。
ほうれん草にブロッコリーの代わりは務まらんだろう。俺は貧血になりやすいのでほうれん草の事は好きだが、それはそれとして彼はブロッコリーではない。
適材適所、食材にはそれぞれの持ち味がある。王には王の……料理人には料理人の……それが生きるという事だ。スタンドも同様「強い」「弱い」の概念はない。
アレはプッチ神父とDIOの付き合いの長さがわかる名シーンですよね。「弱いスタンド」を聞いたからここまで味わい深いセリフを引き出せたのだ。
「DIO、最強のスタンドって何」
「The World」
強い方聞いたらこれで終わりますからね。
あの台詞から「DIOは『料理人にとって最強であるスタンド』……パール・ジャムの存在を知っていたのだ」とこじつけることは出来るだろうか。
知らなければあそこで「料理人」に対する比喩は出てこないような気もする。王の対が料理人、というのも妙な話だし。「強さ」をアピールする以上「奴隷」とかではダメなのだ、という話ならまぁわかるんだけど。
ほうれん草のくたくたは食べましたが、やはりブロッコリーの代わりにはなりませんでした。
美味しかったのは間違い無いですが。味だけならブロッコリーのくたくたより好きかも?
家で茹でてもあの味にはならんのよなぁ。