節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

「会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション」ー読書メモ

 

 

合間に「普通の呟き」が挟まれると一瞬混乱するのですよね。読書に集中しろ。それはそう。

 

それはそうではあるのだけれども、でも所詮趣味でやってる事ですし。面白くなってきたら言われなくとも集中する(そして呟きが少なくなる)ので、とやかく言われる筋合いはない。

 

今回読んだ本はこの「会話を哲学する」である。それでは早速読んでいこう。

 

 

 

呟きのノリだとあまりにも白々過ぎるかな。

 

話し手としても本心ではないし、周りもそれを承知のうえで、それでもその場では「話し手はこう考えている」という約束事をして話を進めることにする。そういうことって、日常的にもよくありますよね。長引いた会議を終わらせるために、そのひとの思想信条からしたら明らかに賛成していないはずの意見への賛意を述べるひとの言葉などは、こんなふうに理解されているはずです。

(会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション 27p)

 

まぁ実際よくある事ではあるのだけれども……あるのだけれども、さて会話の実技試験となったその現場においては、「そういう事もあるかもしれないし、そういう人もいるかもしれないが、でも貴方との会話においてそれをやらかした事っていうのは無いんですよ」とアピールしておくのが丸いよね、という話。

 

 

要するに、コミュニケーションは「この会話のなかではこういうことにしておきましょう」という側面を指します。 マニピュレーションは、コミュニケーションを通じて相手に影響を与えようとすることを指します。

(会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション 32P)

 

この「呟きに対する補足」は読了後にやっているのですが、読了後の印象としては……意識しすぎると確かにそれ以前に比べて多少ぎこちわるくなる、とは思います。一応俺個人の話としては現状外部からそのぎこちわるさを指摘されてはいないので、ほどほどにしておけば問題ないとも思うが。

 

……あるいは読む以前から一般の方に比べて……?

 

そんな人は居ないとは思いますが、いわゆる「コミュニケーション力増強・改善」みたいなものを目的にするなら、それはこの本を選ぶのは間違っているのかな、と。もっとポップな表紙のやつの方がいいんじゃねえかな。しらんけど。

 

「普通にやれてる人が意識した結果やれなくなる」とかもありそうだな。全然。

 

 

普通に考えると、責任なんて引き受けなければ引き受けないほど楽なはずです。でもここで佐条くんがコミュニケーションをおこなったなら、面倒なはずの責任を自分から進んで引き受けていることになります。それを放棄すれば「嘘つき」と呼ばれるかもしれないのに。
なぜわざわざそんなことをするのかというと、それは何よりも、「嘘つき」と言われることになるような振る舞いはしないという確信や決意の表明なのでしょう。またその約束事を受け入れることで草壁くんとのあいだに責任による結びつきを持つことが、責任を回避するよりも大事なのだという気持ちの表明にもなるはずです。

(会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション P71)

 

異種族レビュアーズにおける「悪魔」は種族特性として「約束・契約」フェチでしてね……。この特性が一般に理解されていないせいで「結婚したくない種族」のトップ層に食い込んでしまっているのです……。

 

これは多くの場合「プロポーズの言葉」に原因があるとされており、特に悪い(そして頻出する)パターンが「君を幸せにしてみせる」系のプロポーズで、これをやってしまうと「おう。じゃあ、しろ」と……あちらからの歩み寄り等一切無しの尽くされ待ち、その上で不満がある場合は文句ダラダラ状態になってしまうのだとか。

 

「2人で幸せな家庭を作ろう」系なら何も問題なく、幸せに暮らせる……というわけでもなく、この契約にはこの契約で罠が仕掛けられておるのですが、まぁそれは考えてみるなり、実際に読んでみるなりなんなりしてみると良いよ。

 

だから悪魔、「政治家」としては非常に適性が高いんですよ?少なくとも「公約」は絶対に守るし、「既に法律で禁止されている汚職」はルール違反なので絶対にやらないからな……。そんな悪魔の王、デスアビス様が最新刊で市長に当選なされました。おめでとうございます。

 

……なんか若干きな臭いけど、まぁ「悪用」はせんだろ多分……。デスアビス様は基本的に根が研究者気質のオタクだし、デミアさんも近くにおるし。

 

そんな悪魔の生態を「会話を約束と捉え、それを可能な限り遂行しようとする」文章で思い出しましたが、しかし人間なら当たり前のことよね。悪魔はこの価値観が、人間よりさらに強く、「一般性癖」という形で共有されているだけですね。

 

 

いわゆる「異種族押しかけ系ラブコメ」の開祖だとは知っている。

 

名作には触れていかねばならない。最近強くそう思う。「インターネット」で中途半端に摂取してしまっている。

 

この本の帯で紹介されている「オチ」についても、はるか以前のどこかでみた事があったからなぁ……。

 

 

これはちょっと間違えてますね。訂正しておこう。東京都のマークが猥褻だとキレていたのは「カイケツ小池さん」だ。小池さんが東京都のマークが猥褻だとキレていたのだ。小池さんが!

 

顔同じだからごっちゃになっちゃったよ。「小池さん」はあの……原作ドラえもんにも出てきた……いつも家でラーメン食べてる人です。こういうのは「スターシステム」というのだったかな。

 

 

それよりも重要なのはおそらく、句楽がこの状況でもなお会社に通って給料を得たり、片山と同僚としての会話を楽しもうとしたりしているところにあるのでしょう。 旬楽からしたら、ウルトラスーパーデラックスマンとして独裁的な権力と武力を保持し、世の中を思うがままにコントロールしながら、それと同時に一市民としての平穏な暮らしと友人関係を楽しみ続けたかったのではないでしょうか?


(中略)


もちろん、実際には人々の振る舞いはウルトラスーパーデラックスマンへの恐怖に支配されたものになっているのですね。句楽は自分の前ではあくまでただ句楽という一市民と話しているのだという態度を強制している。ところが、自分の思う通りにならないときには暴れるわけで、一種のダブルバインドになっています。

(会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション P81‐82)

 

うーん……ちょっと「強大な力を持つヒーローが正体を隠す」事について、悪く考えすぎているような気がしないでもないデスね。このあたりは色々長い歴史の中で繰り返されてきた議論ではあるんですが……ウルトラマンR/B……善良な一般市民の兄弟がある日「ウルトラマン(ロッソ/ブル)」になるお話の序盤……1話で返信した後だったから2話だったかな?

 

「俺たちが正体をさらしたら、負けが許されなくなるぞ」みたいなやりとりがあって……ウルトラスーパーデラックスマンとは違い、やっている事がしっかり一般的な「善行」にカウントされるウルトラマンであったとしても、そこは懸念点になるのですよ、と「正体バレを心配すること」とその延長線上で「既に正体を知ってしまった人に『あんまり公にしないでね』する事」自体は悪ではないと、そこは俺の考えを示しておきたいところ。

 

脅迫とかが付随するとまた話が違うし、ウルトラスーパーデラックスマンはこの三十歩くらい前からもうアウトだけれども。

 

「怪獣との戦闘を無条件で『善行』としていいのか」という点については今回は置いときます。不満ならコスモス見たり、小説版ウルトラマン読んだりして下さい。歴史の長いシリーズは、すぐにとれるあげ足などとうの昔に通過済みよ。その上で今も色々やっているのが、特撮モノの偉いところだ。

 

……大抵はロクでもねえ事になりますから。人質とか個人情報流出とか……。あんまり詳しくないけどアメコミとかでもそうらしいので、国民性というわけでもないのだろうな、と思います。

 

正直「負けが許されなくなる」のは全然マシな方でしてねぇ。仮に勝ったとしても「俺の家は壊れたんだけど」とか「もっと早く上手く倒せたんじゃねえの」とか色々言われたり……基本的に正体は隠すにこしたことはない。

 

メビウス以降一般視聴者でさえも「街の被害」に五月蝿くなってしまった側面というのはあるのだ……個人的にはどうかと思いますけれども。

 

確かにアイハラさんが「バカヤロー!」したのは事実ですが、彼にも色々と背景があり、また発言の直後に自分の無力さを嘆いたりしているがミソであって、我々が次元の違う安全圏で同じ事を言うのは、まぁネタ以上のものにはならないよね。

 

 

オリエント急行殺人事件、が例に出ていた事について。

 

偉そうな事を言う権利は読んでいない俺にはないし、そんな権利はきっと誰にもないんですが、ちゃんと読めばネタバレを食らった後でもちゃんと面白いんだろうな、とは思います。名作とはそういうものよ。

 

ミステリにおける「推理」というものがなぜ必要なのかというと、結局のところ「登場人物」を説得するためであって(もちろん本質的には『読者』を説得するためなのだけどメタな話は置いといて)正解……よりも説得に適したものがあるのなら、そりゃあそっちが「正解」とされる場合もあるよなぁ、というお話。

 

こう書いてしまうと「虚構推理」っぽさもありますが。アニメ2期1話、オリジナルでしたね。設定解説話と割り切れば、まぁ……あの台詞量でダメな人はどうせ「スリーピング・マーダー」とかダメだし。雪女のCV、悠木碧。良かったですね。説明とかカットしないのであれば、いきなり1話から雪女でも良かった気はするが。

 

しっかしOPから見る感じ、六花さんが激辛ラーメンを食べる話はやらないんだろうか。好きなんだけどなぁ。というか六花さんが好きなんだけどなぁ。あの人、あの見た目でめちゃくちゃお茶目な人ですからね、ズルいよね。

 

あとは戯言シリーズサイコロジカルか。反転しておかねばな。これ系は事前に言っちゃうとねー……「叙述トリックを薦める難しさ」ですか。

 

この本風に言うのであれば「これは叙述トリックのお薦めで」と話し始めた段階で「今は叙述トリックについての話をしている」という約束が共有され、それが叙述トリックの性質と非常に相性が悪く……となるのだろうな。解決策は、ミステリ板の皆さんが長年話し合っても出ていない。

 

出ていないのかな?迂闊に調べられねーんですよね、コレ……。俺はネタバレそんなに気にしない人ではあるからまだマシだが。踏まないようには気をつけるが踏んじゃったら「そう言うものなのか」で感心する。

 

 

ここで日を区切ったわけですね。

 

この呟きをした時に考えていたのは、例えばチェンソーマンのパワーちゃんの発言をこの本を使って読み解いてみよう、というものでしたか。

 

……難しいな!

 

もしかすると実在する病としての「虚言癖」の理解と配慮が求められる内容になるかもしれない。個人がブログでそれらを踏まえた内容でいけるかどうか……無理だろう。

 

それでも敢えてちょっと考えてみるなら、彼女は「極めて自分にのみ都合のいい約束がさも以前から締結されていたように振る舞い、また実際本心からその様に考えている」「その上で不利になった場合その約束を反故にする(より正確に言えば『え……。そんな約束していませんけど……』と無かった事になる)事に躊躇いがない」という点で、なんというか、シンプルに最悪だなと思いました。

 

……たまに「居る」しね……。

 

 

この辺りについて考えてみたのだけれど、重要なのは「何について書いているか」だなと思う。普通の淡々とした論文等に無条件で面白さを感じるわけではない……と断言できるほど論文を読み込んでいるわけではないか。

 

要するに「普通それについて淡々とは書かないだろう」という感覚が「妙な面白さ」につながっているので、社会問題とかを淡々ととかれても面白くはない(実際面白がる場面ではないし……interestingなら許容されるか?)のだが、「それを語る際に俺だったら感情的になるな、という漫画」だと、面白くなる、という事なのだろう。

 

アンジャッシュ……だとコンビ芸人の方を指しているような感じになるか。「アンジャッシュのコントにおいてよく見られるような事実や認識の食い違い」ですね。コレも創作上で発生する分に関しては好みなんだ。くだらないものから深刻なものまでパターンは様々だが、大体どれでも良い。

 

ネウロは面白いですからね。「ネウロの面白さ」をアピールするのが本書の目的ではないので、そこに対しての記述は淡々としているが。

 

(実のところ、こうした力関係ゆえのネウロの理不尽さ と、それを超えて次第に築かれていくふたりの相棒としての信頼関係が、この漫画の軸になっていきます)

(会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション P182)

 

……わかってんじゃねえか……(後方腕組)。

 

ヒステリア回のオチとか、真面目にコントのオチとして秀逸だと思うんですよね。アレを「コントのオチ」としてしまうと、前振りに当たる部分で無差別爆破テロが起こるのが難点だが。血族以外での被害だとトップクラスか?

 

 

ONE PIECEにはさまざまな「印象的な会話」が登場しますが、本書においてどの場面が引用されていたかと言えば、コレはアレです。

 

Dr.くれはが「ちゃんと治療終わってから退院するんだよ!」する流れのシーンよ。間違いなく名シーンであるな。湿っぽいのは苦手でね。

 

「Dr.くれはのしたい事(一味に『させたい事』)」と「Dr.くれはの医者としての職業意識」の鬩ぎ合いについて主として描かれており、どういう意図かなんとなく理解していた自分も、改めて詳しく説明されると唸らされる。

 

「改めて詳しく説明される」のにも弱い。以前アイネクライネナハトムジークについて他の人が書いた感想を読んだ際にも似た感覚を覚えた。その説明が解釈違いであっても、まぁそれはそれで……「キーッ!」となった事は、現状無い。

 

未来永劫無い、とは言えない。とても。

 

いわゆる「燃えシチュ」ではありますが、現実でこのような場面に出くわした際、どのように対処すべきだろうか。「やれ」と言われていない以上「やった」責任は俺に来るんでしょう……?

 

…………じゃあ、ねぇ……?まぁ、報酬と待遇次第だな。ケースバイケースである。万象一切。

 

 

コレは「鋼の錬金術師」が例示されていたやつですね。マスタング大佐にアームストロング中将が「制限されている中で情報を提供する」シーンだ。「軍がヤバい」これ系のシーンの最高傑作だと思っているのだが……端的過ぎるのが難点であるな。

 

実際、軍の内部で軍の状況を説明する場合「ヤバい」としか言えない状況なのであるなぁ……。端的過ぎたせいで真相に気づくのにやや時間が掛かってしまったが……。

 

 

そんなふたりが冒険中に出くわす組織のひとつに、秘密結社〈ロゴス・クラブ〉というものがあります。ロゴス・クラブでは、会員同士がありとあらゆるレトリックを駆使しながら討論によるバトルをおこなっています。そして負けると指を失い、勝てばより高い地位につけるようになっています。

(会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション P266)

 

ローラン・ビネ、「言語の七番目の機能」に登場。乱暴なのかインテリなのかよくわからん連中であるな。おそらく答えは「両方」か。暴と謀を織り交ぜてこその秘密結社よ……。

 

設定は面白そうなんですが、引用されている討論のシーン、残念ながら全然何言ってんのかわかんねえや。一部だけ抜き出しているから、というのももちろんあるだろうが……討論のテーマに対しあまりにも門外漢が過ぎる、というのもあるだろうが……単純に俺のINTが足りない疑惑も。

 

本書におけるこの場面の説明は「比喩」の効能なんですが、コレも他の部分に比べて若干わかりにくさがあり……後で読み直してみるか。

 

 

というわけで読み終わりました。

 

様々な会話のパターンについて幅広く触れられ、少なくともフィクションの会話を詳しく解釈してみる、という試みの助けには非常になるのでは、と思います。

 

実生活に活かそうとすると、上にも書いた通り慣れていないうちはぎこちわるくなるだろうからアレだけども……あるいは「こういった視点で会話をしている」人もいる、という点だけでも意識しておいた方がいいか。

 

それだけ意識しておいて、会話としては普段通りに……終わってから「どういった約束事が形成されたのか」「今の会話は何をしよう/させようとしていたのか(マニピュレーション)」を適宜確認する。そういう使い方になるかなと思います。敢えて使おうとするならば。

 

……実際「会話」にそうした側面があり、意識的にせよ無意識にせよそれを活用している……のが真だとしても、無意識にやっている人間が意識するとかなり変なことになる気がする。

 

後は「悪質なマニピュレーション」についてであるか。本書の最後で実例を挙げて取り上げられている……。

 

そうですねぇ……。

 

……TCGにおいて「あー、コレ会社側も『3年以内には規制する』くらいの覚悟で刷っているなー……」というのがうっすら透けて見えて、実際プレイヤーの間でもクソほど嫌われていて、禁止化への署名まで集められているレベルのクソ強汎用札を、無制限に使うべきか否か、みたいな話……になるのか。

 

ルールでは規制されていない(少なくとも現状)し、1枚2枚なら使う人自体もかなり多いのだ……。……ふむ……。

 

ええ!もちろん自重すべきですね!

 

「ルールとマナーを守って楽しくデュエル」……ルールとマナーが分たれている以上、その2つは別物であり、「ルールがそれを許している」では踏み越えてはならないラインというものが存在します!

 

少なくとも私個人が身内のカジュアルな環境で使うデッキでは、ある程度自重すると確約いたしますよ!

 

……そんな風に考えてくれる人が増えると、世界が少し平和になるか。非ガチ勢にはありがたい。まぁ、「悪質さ」は認識しておく必要があるな。使われた場合の対策にもなるし。

 

 

 

 

 

少しだけ真面目に考えると、少なくとも「例示されている」悪質なマニピュレーションについては、発生するのがその変化「だけ」ならば門外漢の俺にも対処法は幾つか(少ないけど)思いつき、また現状その対処法に反対している勢力も「変化後」には少なくとも現状と同じ形で反対する事は出来なくなっているだろうから、マニピュレーションしようとしている側に対しては、「その変化がもし仮に起こったとしても貴方が想定しているような事にはなるとは限らない」と示した後に、「そしてそのような変化は起こらない」と、ありえない仮定を持ち出した事に対する非誠実さを責めれば「マニピュレーション」という概念を持ち出さずとも対処できるんじゃねえかな、とは思った。

 

相手が自分を操作させようとしている、というのは、常に考慮自体はしておくにしても、そうに違いないと決めつけるのは危険かと。特に例示の質問については、困った事に悪意ゼロでやる奴もまぁいるだろうし。困りますね。「チ。」のコルベさんの悪意がゼロなのくらい困る。

 

あのシーンめちゃくちゃネットが荒れそうで楽しみと不安が半々くらいなんですよね。若干不安の方が強いか。