ディズニー100周年記念作品、「ウィッシュ」の評判がなかなかに悪い。
炎上ってほどではないんだけれども、「100周年って割には……」くらいの熱感で冷えている。まぁ正直「ディズニー100周年」と言うハードルが高すぎるのはあると思う。「過去最高傑作」でようやっと飛び越せるとして、100年の重みがそれを簡単には許さない。それぞれ思い出補正とかありますしね。
もちろん、「そういうレベルの問題ではない」と怒りだす人もいるだろうけれども。そのくらいの熱感の差は個人差の範疇だ。集めてメドローアとか撃とう。
そんな「ウィッシュ」の中で最もウケているのがマグニフィコ王だ。劇中の役割で言えばヴィランである。吹替におけるCVは福山雅治が担当している。ミュージカル的な要素もある映画なので、歌う。福山雅治の声で歌う。それだけでもウケはしただろうな。
どうも作品のテーマに最も合致している存在が主人公ではなく彼になってしまう、という指摘が強いようだ。主人公やその他の登場人物が棚ぼた的に力を手に入れたり、ただ王が願いを叶えてくれるのを待っているだけだったりする中で、一人自ら願いを叶える努力を続け、力を手に入れた後はそれを(選別はすれども)他人の願いを叶えるために使う……そんな彼が徹底的にヴィランとして扱われるのがどうなんだ、と言う意見が否定派の主流のようである。
賛否両論ある中で賛成派・否定派の間で最も差があるのは「『叶える夢の選別』がどれくらいの重さの罪なのか」という部分か。
賛成派は「ディズニー史上最恐のヴィランに相応しい悪行!」くらいの熱感で燃え、否定派は「リソース・国家運営の観点からすりゃそりゃ数の限定と内容の精査はするだろ」「最終的に革命に使われるような願いを叶えなかったのは王としては正解でしかない」などの熱感で冷えている。
俺も敢えてどちらかと言えば否定派ですかねぇ。夢の国がお出しする最恐のヴィランがこれなのはある意味で納得しますが。独特の味があって良い。
正直「衣食住をそれなり以上のレベルで保証してくれる政治家」をフィクションの悪役として、革命を起こして退かす以上まぁどうしたって文句はつく御時世である。
確か「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のイモータン・ジョーでさえ、「ああ言う時代・環境の独裁者としては上位の統治具合」とか評価している人もいた……ような気がする。
あの馬鹿みてぇな水の配り方のヤツが!?
定期的に一定量確実に貰えるみたいな形にするとどうしても「貯める」奴らが出てきて独占体制が揺らぐのでそれをさせない+「我が国はこれだけ豪勢に水を使えるのである!」というアピールとして無くは無い、とか言われていたような。
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の時とは随分と時世も変わった。にも関わらず同様に騒がれると言うことは、時世だけの問題と言うわけでも無いのか。
国家運営を乗っ取る「革命」みたいなものを「今までやってきたアイツ(多くは『悪役』とされるキャラクター)より主人公たちは上手くやれるのか」と冷めた目線で見てしまう層が一定数居る、という事だろうか。
決して悪いことではない。
必要な目線であるとは思う。
「ヴィランとしての魅力」は十二分にある(ありすぎて「ヴィランでいいのかコイツ」みたいに言われている)ので、ツイステとかに実装されたらいい感じにガチャが回りそうですね。
なんならそのまま来ても良いんじゃねえか。
学園ものだと若干年齢が……まぁ、髭剃れば……?