節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

ソーセージおにぎりが食いたい朝

そんな朝です。おはようございます。

 

 


ならば食えば良いじゃ無いかと思うかもしれないが、その通りでございます。ただ最寄りのコンビニでは売っていなかったのでその悲しみを書き連ねる。なぜソーセージおにぎりが好きかその理由を書き連ねる。止めても無駄だ。

 

 


まずその立ち位置。邪道である。おにぎりの本邦での歴史は長く、それ自体に比べるとソーセージはどうしても馴染んでからの日が浅い。成立は比較的最近であろう。和なのか洋なのかもよくわからない。中で無い事だけは確かである。和と洋の中道、という意味の中だとしても今ひとつピンとこない。和8洋2くらいの位置にいる気がする。

 

 


邪道。私は小学生の頃からこの言葉に惹かれ続けてきた。だからソーセージおにぎりにも惹かれている。単純な理屈である。

 

 


次に見た目である。おにぎりとは一般的に三角だの丸だのの白米で構成される立体の中心に具を配置する物である。一口以上噛んで初めてそれが「何」なのか把握できる。それが正道のおにぎりである。シュレディンガーを比喩にもちだそうかと思ったけどなんだかアレも安売りされすぎている感があるからやめる。

 

 


さて、ソーセージおにぎりはどうだ。直径がやたらと太いソーセージが、米全体を隠すように一面を覆っている。それを妙に細い海苔が米と一緒に巻いている。全然太さが足りていない。ここだけを持って食べると、タレで手がベタベタになる。それもまた酔狂。困るけど。セロファン部分を持って大抵食うけど。とかくそのデザインからして異質である。

 

 


異質なデザインの物は、それが異質である内は格好いい物である。近年オムライスだの鯖寿司だの、このデザインの後継機も増えてきたようだが、やはりここは自分が初めて認識した先駆者たる、ソーセージおにぎりにこそ軍配を掲げたい。

 

 


格好いいだけではない。想像して欲しい。皆一様に、自分の最大のアピールポイントである具を隠し、ラベルの文字と写真のみで紹介しているところに、一人だけ剥き出しの「肉」を引っさげて踏ん反りかえっているソーセージおにぎりを。下品である。間違っても行儀が良いとは言えない。ソーセージとはそういう意味だったか?だが目立つ事だけは確かだ。いけ好かない悪役感もある。他の皆は隠してるんですよ!?

 

 


思えばそういうキャラばかり好きになる10年だった。故に私はソーセージおにぎりを選ぶ。他のおにぎりの視線が痛い。結局は肉なのか。肉なら俺もいるのにと牛タンが見てくる。牛タン。すまない。お前は高い。カルビ。お前はたまに選ぶからまた今度な。

 

 


さっき変に「肉」とか「ソーセージ」とか強調しちゃったから、私という単なる客が、最低な変態に見えるが、もう、このままの路線で続ける。また今度な、じゃないんだよ。

 

 


今一度原点に立ち返ろう。ソーセージおにぎりとは何か。食べ物である。ならば味について論じないわけにはいかない。どんな味か。美味い。しょっぱくて美味しい。食レポが下手にも程がある。あれは一種の才能だからなぁ。だが敢えて美味いだのしょっぱいだの単純な味覚情報以外の表現で表わすならば「安い」か。値段の話ではない。全体的な雰囲気としてどことなくチープである。

 

 


それは先程指摘した、外見の露骨さ、下品さに由来するのかもしれない。怪しい露店で見かける「明らかにあのキャラクターをモチーフとしている明らかにあのキャラクターじゃないキャラクター」。それが卑しくも全国各地にあるコンビニで、堂々とふんぞりかえっている無法加減。強い。

 

 


そんなソーセージおにぎりが俺は好きだ。食いたい。うぉお。

 

 


・追記(大体2か月くらい過ぎた頃)

 

 


ソーセージおにぎりのマイブームは終焉を迎えました。

 

 


こういう事があるから長期の書き溜めには気を付けないといけませんね。

 

 


もうソーセージおにぎりに欲情する変態はここにはおりません。面白いから残しておくけれど、面白いと思えない場合には地獄だなぁ、と、書き溜めのスタイルに恐怖を覚えております。

 

 


今は鮭が好き。塩は効いていれば効いているほど良い。