節足雑踏イケタライク

日々思った事や、書籍・映画・その他の感想なんかを呟きます。あまりマジメではございません。

ミスタのスタンド名の緊張感

ジョジョの奇妙な冒険におけるスタンドの名称の多くは、海外で変更されている。

 

スタンドの名称の多く、というか……「洋楽由来である事が明らかな名称」か。まぁ、スタンドの名称の多くで良いだろう。

 

これに関しては権利上の問題もあるだろうし、例えば日本人が『外国』の立場に立ってみたら「海外のアニメを見ていたら『サザンオールスターズ』と『コブクロ』が緊張感溢れる血みどろ能力バトルをやたらと濃い絵柄でしていたでござる」みたいな話になってしまい、いまいち入り込めなくなってしまうので、変更すること自体は納得できる。

 

納得は全てに優先するのだ。例えブチャラティのスタンドが「ジッパーマンになろうとも。

 

さて本題はここからで。

 

イード・ミスタという男がいる。彼はスタンド使いだ。銃弾に憑依し、軌道を操作する「セックス・ピストルズ」は対象の意識外からの狙撃を可能とし、本人の適性もあってなかなか強力なスタンドといえるだろう。単純な攻撃のほかに、偵察や仲間への連絡も可能とする長い射程距離・幅広い用途がウリだ。

 

彼のスタンド、「セックス・ピストルズ」は海外において、Six bulletsという名称に変更されている。6発の銃弾。「6体の群体型スタンド」という特徴、「弾丸操作」という能力のどちらもしっかりと表した、なかなか良いネーミングではないかと思う。

 

ジッパーマン「俺も特徴と能力はちゃんと表してるけどね」

 

黙れ。

 

ただその「ネーミングセンス」に思うところがあるとすれば、やはり「セックス」と「Six」だろう。なんだこの低レベルな掛詞は。もはや駄洒落ですらない。イキって下ネタを言ったけどなんか耐えきれなくなって誤魔化す小学生。

 

しかし「Six bullets」は確かに「6発の銃弾」以外の何者でもないので、実情には則している…………。

 

……違う!むしろ「逆」なんだ!

 

Six bullets」としか言いようがない、これ以上「Six」という単語が似合うスタンドは存在しないそのスタンドに、なんかミスタが「セックス」とか言い出したんだ!

 

低レベルな下ネタを誤魔化した、のではない!なんか突然低レベルな下ネタを言い出したんだ!

 

ジョジョの奇妙な冒険におけるスタンドの名称は、洋楽から取るのが通例である。しかし、これは作中に「スタンド命名機関」的なものがあり彼らによって定められたルール……というわけではなく、「なんかそれっぽい名前を登場人物がつけたら、不思議なことに現実世界の洋楽と一致する事が多い」というなんか不思議な現象である。

 

ちなみに例外もあるにはある。「アクア・ネックレス」なんかは「これだ!」とはっきりした元ネタが見つかっておらず、間違いなく邦楽が由来の「チョコレイト・ディスコ」なんてのもある。

 

ミスタがスタンドに目覚め、さて名付けるぞ、となった際……「シド・ヴィシャス好きだしセックス・ピストルズだ!」とはならなかったはずなのだ。「6人おるな……Six……だとそのまんま過ぎるな……!……セックス!」が自然な流れだろう。

 

多分、1番初めに「セックス・ピストルズ」という命名を聞いたのはブチャラティだと思うんですよ。ブチャラティは、一瞬何かを言いかけるんだけど、でも本人の精神の具現化に他人がどうこう言うのも、みたいに思い直して、結局は何も言わないだろう。

 

続いてフーゴアバッキオナランチャか。ミスタ、加入順で言うと後の方なんですね。

 

フーゴは頭が良く、真面目だ。恐らく「何かを言おうとして考える時間」はブチャラティよりも長い。しかし、最終的に「茶化すべきではない真面目な単語」として捉え、彼もまた何も言わないだろう。頭が良いので、まじめに考えてしまうのだ。それは決して悪いことではない。

 

アバッキオはチーム最年長の21歳。嘘やろ。なので、多分普通に流す。ああ、そういう時期か、とそんな風に。ミスタは18歳だから、まぁ実際そういう時期だ。

 

ナランチャナランチャを過度にショタとして観る見方もあるが、実年齢で言うと17歳だ。嘘やろ。無知シチュは無理がある。まぁ、実際ちょっと口から一文字くらいは出たかもしれない。ただここで前3人の反応が効いてくる。他のメンバーは何も言わん。流している!尊敬するブチャラティも……流している!ならばここは自分も流そう。それが大人の対応というものだ。

 

かくしてメンバー全員が流す事になったのだが、そうなるとミスタの反応も気掛かりだ。彼は「Sixだとそのまんますぎるから、セックス!」くらいの気持ちで、ちょっとしたボケくらいの感じで自分のスタンドを命名したのに、みんながそれを流している。流されると困る。今更「Six bullets」方向に訂正すると、ツッコミが入らない内にそれをやってしまうと、滑った下ネタを誤魔化したみたいになってしまう。それは避けたい。

 

かくして本人含めたメンバー全員が牽制し合って、今日に至るのかもしれない。後にジョルノとかいう新入りが入りましたが、アイツはヤバく、マジで気にしていないので、この膠着状態になんの影響も及さなかった。

 

下ネタの取り扱いには注意が必要。それはいつの世も変わらない。自らの精神の具現化を命名する際、下ネタと「捉えられかねない」単語を使うには、十分に注意する必要がある。

 

柔らかくてそして濡れている「お前が意識しすぎているだけじゃない?」

 

セックス・ピストルズ(Six bullets)については否定しないけど、お前は元ネタの歌詞からして完全にそういう意味だぞ。

「むらさきのスカートの女」に刃牙を見た

年始、畑違いのジャンルに手を伸ばす、と目標を建てた。畑違いの具合からすれば、純文学、というジャンルが一番畑違っている。なにせ何を育てている畑なのかもよく解っていない。そういうジャンルに手を伸ばす。雑な野菜泥棒ですね。やめなさい。犯罪ですよ。

 

良く分からない野菜といえば、ロマネスコという野菜を一度食べてみたい。そういう欲はある。しかし食べ方が解らない。どこに売っているかも、値段の相場も解らない。

 

これはまた別に書くとする。

 

脱線を脱線のままにして走り続ける、というのが旧来のやり方だったが、これから……ずっとかどうかはわからないが少なくともしばらくの間は「脱線したら一旦切り上げて本線に戻し、後日改めて脱線先に行く」という形式を試したい。

 

記事タイトルの話題がいわゆる本線だとしたら、「いつまで脱線してるんだ」という不満を持ち、離れる人もいるだろう。そういう人を少しでも減らせれば、と思う。記事数の水増しも出来るし。

 

そんな畑違いのジャンルである「純文学」の作品として選んだ「むらさきのスカートの女」。「純文学」とは何か良く解っていない人間が読んだなら、一体どうなってしまうのか?ネタバレ注意でやっていきます。純文学そういうのは薄いみたいだけど、気にする人が0ではないだろう。

 

 

 

これ商品リンクは文庫版しか見つからないのですが、読んだのは単行本なので、下の引用部はそれでちょっとズレてるかもです。

 

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導する。『あひる』『星の子』が芥川賞候補となった話題の著者による待望の最新作。

(Google Books あらすじより引用)

 

 

 

妹のわたしに口喧嘩で負けるようなおとなしい姉だったが、食べものに対する執着だけは人一倍強かった。一番好きな食べものはプリンで、容器の底に残ったカラメルをスプーンですくい取り、それを十分でも二十分でも、飽きることなく眺めていた。食べないならちょうだい、とわたしが横からパクッと食べてしまった日には、家中がひっくり返るほどの大喧嘩へと発展したものだ

(P4-5)

 

この文章は主人公……「視点人物」である「黄色いカーディガンの女」が、主人公である「むらさきのスカートの女」と「自分の姉」の共通項が「食事の際最後の一口に時間をかける」事である、と説明している文章だ。

 

ぶっちゃけると、話の流れからすればあんまり重要な文章ではない。程なくして「この様な共通点はあるにはあるけれど、似ているかというとそんなに似ていない」と結論づけられるからだ。ちなみに同種の文章の流れは序盤にて頻出する。天丼ネタである。

 

そんな重要ではない文章ではあるが、読んだ際の俺はそれなりに衝撃を受けた。

 

「……純文学でプリンの取り合いからの喧嘩って、アリなんだ……!」

 

アニメでならよく見る。俺が初めてそれを「あるあるネタ」だと認識したのは恐らくデュラララ!!平和島静雄と彼の弟がコレで喧嘩していた時だろう。……静雄が相手の場合は「家中がひっくり返るほどの大喧嘩」がマジで比喩でもなんでもなくなるので大変な事です。実際冷蔵庫を持ち上げようとして……この際は失敗したのだったか。

 

いつだったか海外の人が「日本のアニメのプリンはいつも持ち主と違う人が食って喧嘩になる……」みたいなツイートをしてバズっていたような気もします。言われてみるとそうだな。大抵勝手に食われるモノだな。

 

そんな「アニメのあるあるネタ」は、純文学の世界でも健在なのか。そうか。それならいける。アニメや漫画を楽しむのと同じノリで、読んでいくことができるだろう。そんなノリで読んでいこう。どれどれ。

 

みんなが失敗しているように、わたしも失敗した。あれは今年の春先だったか、普通に歩いていると見せかけて、数メートルほど手前から突如スピードを上げ、むらさきのスカートの女めがけて突っ込んだのだ。馬鹿なことをしたと今はそう思う。すんでのところで、むらさきのスカートの女はするりんと身をかわし、わたしは勢いあまって肉屋のショーケースに体ごと激突、幸いにも無傷で済んだが、店側から多額の修理代金を請求されるはめになったのだから

(P6-7)

 

お、バキじゃん。

 

やや飛躍してしまった。状況を説明する。

 

まず、ページ数に注目していただきたい。これは6から7ページ目にかけての文章で、俺が「純文学でプリンの取り合いからの喧嘩って、アリなんだ」と衝撃を受けたのが4から5ページ目にかけての文章だ。俺がアニメや漫画を楽しむのと同じ心持ちで、読んでいくことができるだろうと思ってから、ちょうど1ページ分読み進んだ、その時読んでいた文章が、これなのだ。

 

これは「むらさきのスカートの女」が、いかに他の通行人とぶつからないか、を黄色のカーディガンの女が具体例を挙げて説明している文章だ。具体例としてなにをしてんねんお前は。いや、いい。モラルの話は今は置いておこう。注目すべきは何か。その通り。体当たりの威力である。

 

この体当たりについて留意すべきは2点。

 

1つは本来この体当たりは「途中でむらさきのスカートの女と衝突する」事を想定したものであり……本来ならばさらに「攻撃性」を高めることも出来たであろう事。周囲の人の目もあるし、まさか「通行人とのぶつからなさ」を確かめるためだけに、全力疾走で肘の角度や当たり方などを最適化した「攻撃手段としての体当たり」はしないだろう。しないでほしい。モラルの話はさっき置いといたけれど、それをやったなら流石に拾わなくてはいけなくなる。

 

2つ目に、ショーケースに突っ込んだのはあくまでも「事故」であり、事故であるが故に受け身などは最低限しか取れなかったであろう、という事。ショーケースの詳しい形状は不明だが、基本的にはガラスと金属で構成されたアレだろう。それに事故でぶつかり、しかし「幸いにも無傷で済んだ」のだという。「店側から多額の修理代金を請求されるはめになった」のだから、それなり以上の衝撃が発生したのは間違いない……にもかかわらず、である。

 

この2点から思い浮かべたのは、バキのキャラクターみてぇな体格の「黄色いカーディガンの女」が、一般人からすれば充分に脅威的ながら同種の格闘者(グラップラー)には対応可能という絶妙な勢いの体当たりを「むらさきのスカートの女」に「黄色いカーディガンの女」自身は戯れのつもりで行ったところ、するりんとかわされて肉屋のショーケースに激突。ガラスは粉々、金属による棚板もすっかりひしゃげてしまったそんなショーケースから、「黄色いカーディガンの女」が決まり悪そうに立ち上がる、そんな情景だった。

 

その情景を受けての第一声が「お、バキじゃん。」である。そういう文脈があるのだ。伊達や酔狂で突然バキ認定をかましたわけではないのだ。

 

言いたいことは、解る。

 

恐らく作者、今村夏子さんはそのようなつもりでこの文章を書いたわけではない。今改めて考えるに、黄色いカーディガンの女はそこそこの強さでショーケースにぶつかっただけで、無傷だったのは角とかではなく平たいガラスの面に良い感じにぶつかったからで、ガラスが割れて刺さったりとかそういう事もなかったんだけれども、けれども機械の動作部分、配電関係に良くない感じで衝撃が加わり、例えば冷蔵関係の機能がちょっと調子が悪くなったりで、その弁償の責任が発生した、とこういう具合の光景が真相なのだろう。

 

なんで初読の際はバキのような情景が浮かんでしまったのか。これはどう考えても1ページ前に「アニメや漫画を楽しむのと同じノリで読んでいこう」と考えてしまったからだ。同じノリで読もうとしたら、もう、作画が板垣になってしまった。なってしまったものはしゃあない。初読の感想はやはり何物にも変え難く、初読の感想がコレであるならばこのままいくしかない。

 

このままいくと、続くシーン、むらさきのスカートの女専用ベンチ(と表現されてはいるが、まぁ普通に公共のベンチ)に座ってしまった(そりゃ普通に公共のベンチだから座るわな)サラリーマンに対して、黄色のカーディガンの女が「そこはむらさきのスカートの女専用のベンチなのだ」と事情を説明してどかす下りの味も、本来のものとは変わってくる。

 

そりゃバキに出てくるような体格の奴が圧かけてきたら、逃げるんだよな。

 

黄色いカーディガンの女はステルス性能がやけに高く、ちょっとくらいおかしな行動をとっていてもしばらくの間は周囲の人に放置されているが、それもバキの刃牙(主人公)を彷彿とさせる。アイツも出番がないときはマジで出番がない。影が薄いときはとことん影が薄いのだ。

 

「黄色いカーディガンの女のステルス性能はその様なものではない。周囲の人と関わろうとしないし、また周囲の人も関わりたくないと感じている、現代人の都市における人間関係を戯画化し、表現したものなのだ」という人もいるかもしれないが、うーん、刃牙の影の薄さもそういうものかもしれませんよ?少なくとも、俺は関わりたくねえな。損しかしねえからな。

 

極めつきにはむらさきのスカートの女の肩についていたご飯粒を取ろうとした黄色いカーディガンが、バスの揺れから彼女の鼻をつまんでしまうシーンだ。いかにバスが揺れたとて、むらさきのスカートの女にしてみればいきなり眼前に見知らぬ手がぬっと伸びてきて自分の鼻をつまむという状況。いかにぼーっとしていても、気が付くのではないだろうか。

 

しかしバキの読者ならば、もうお分かりですね?

 

人間にはそうした瞬間があるのです。そう、0.5秒の無意識……!……さすがにこじつけが過ぎるか。あとアレどうも板垣先生の解釈間違えてるっぽいし。「行動の前に0.5秒の無意識が生じている」というよりは、「ある行動を意識する0.5秒前にはもうその行動が発生している」の方が適切ではないかとかかんとか。実際にあの本を読んだわけじゃないので何とも言えんけど。

 

……脱線が本線になる前に、そろそろ感想のまとめに入る。史上最強の親子喧嘩における「0.5秒の前兆の読みあいをしようぜ!」→「いややっぱやめるわ……」の流れが好きだとか、そういう話は脱線が過ぎる。別に書くかと言われれば微妙。気が向いたら。

 

「黄色いカーディガンの女」は視点人物でありながら、自身についての情報をほとんど読者に明かさない。コレについてはさほど違和感は覚えなかった。いわゆる無個性なキャラが自分についての情報を言わず、個性的な別キャラの話ばかりをするのは珍しい事でもないだろう。

 

キョン君を見なさい。彼は本名(名字も名前も)すら我々に明かさないんですよ。あ、途中で解るけど、黄色いカーディガンの女は権藤さんです。まぁここまで来ちゃったので黄色いカーディガンの女で通すけど。

 

そもそも「AさんがBさんの事をどの様に語るのか」は、もちろんBさんの情報でもあるが、それ以上にAさん自身の情報としても見ることができる。その情報が「的確にBさんを表したモノ」かどうかは正直なところ怪しいが、「少なくともAさんはBさんの事をそういう風に思っている」可能性は高いだろう(もちろんコレでさえ確実ではない。本心を話していない可能性は常に考慮するべきだ)。

 

そういう意味では黄色いカーディガンの女により繰り広げられることごとく的外れな「むらさきのスカートの女」への論評は、黄色いカーディガンの女の長い長い自己紹介として見ることも可能だろう。

 

的外れ。そう、的外れだった。

 

紹介されるエピソードはどれも実際にあった事だろうし、黄色いカーディガンの女の「むらさきのスカートの女」に関する知識は相当なモノだ。多分、訴えられたら負ける。すご腕のストーカーではあるのだ。あるのだが、そのエピソードや知識から黄色いカーディガンの女が推測した「むらさきのスカートの女」の人間性は、ことごとく「的外れ」だった。

 

『あの、むらさきのスカートの女が、男を連れて、帰ってきた!』

 わたしが想像するに、おそらく最初に気がつくのは一人の通行人だと思うのだ。彼は大わらわで近くの店に駆け込み、店の主人に鼻息荒く報告するだろう。店の主人は隣の店の主人に伝え、隣の店の主人はそのまた隣の主人に伝える。お客さんは買い物そっちのけで店の外に飛び出していき、ただの通行人は向こうからやって来る二人の為に素早く道を空ける。商店街はバージンロードさながらだ。誰かが堪え切れずに『おめでとう!』と叫ぶ。それまで看板の陰に隠れていた子供たちがピョンピョン飛び出てきて、ピューピューと指笛を吹きならす。『これ持って行きな!』魚屋は尾頭付きの鯛を、花屋はバラの花束を、魚屋は一升瓶をそれぞれむらさきのスカートの女の胸に押し付ける。いつのまにスタンバイしていたのか、テレビカメラが二人の顔をアップで捉え、インタビュアーが『今のお気持ちを!』とマイクを向ける。

(P107-108)

 

特に後半は若干冷静さを失っているようで、「そうはならんやろ」という推測、予測が目立つようになっていた。「むらさきのスカートの女」自身の変化の前では、黄色いカーディガンの女の積み上げてきた情報はもはや古いモノになってしまった事をしめすものだろうか。

 

このレベルになるとさすがに『そうはならんやろ』待ちという気もするんですが……でもこれに続く文章、なかなか怖いんですよね。彼女が本当に望んでいるモノが、だんだんにじんできたようで。書かないけど。自分で読め。

 

しかし、それを黄色いカーディガンの女の未熟さと笑う事は出来まい。知識量にこそ差はあるが、恐らくは自分も他人に対して似たような的外れな人間の推測をしている事はあるだろうし、恐らくは皆、程度の差こそあれどしているだろう。していない、という人は自覚してください。

 

「俺は知識量にも差は無いぞ!」

君は自首してください。

 

「的外れな推測をしてしまった」という点だけで考えるならば、黄色いカーディガンの女はなんら異常ではなく。

 

……黄色いカーディガンの女を「バキだ!」と騒ぐ自分も、まぁ、そんなに異常ではないです、よね?

 

少なくとも黄色いカーディガンの女より悪質ではないはずだぞ。アイツ他にも色々やらかしてるから……。いや後半この物語はみんなやらかすんですけど。

 

事件は色々あるんですが、一番読んでいて「うわー……」となったのは、新人さんに先輩が「これくらいはみんなやってるから……」と「許されるラインの不真面目」を教えて……いたのだけれど、その新人さんが嫌われると「は?駄目に決まってるのだが?」を先輩全員でする下りでしたね。この辺りの生々しさ加減は、バキでは味わえませんので。

 

やはり、バキではないのだなぁ。的外れ!

さわやかなヤツでした……原作とは全然違うのに奇妙なんですけれど……「嘘喰い(実写映画)」

というわけで行ってきました。嘘喰い(実写映画)!

 

もともと號奪戦が見れるなら見に行こうとは思っていたのですが、メインになるのが「廃坑のテロリスト」だというのならば、まぁそれなり以上の確率で見れるだろうと、あんまりネタバレなど踏まないうちに見に行きました。……いや、原作者さんのコメントとかはさすがにチラ見えしたが。

 

というわけでネタバレ注意でやっていきます。公開中の映画なので反転多めで。あと原作についてのネタバレもあるぞ。

 

 

 

あらすじ

嘘を見破れなければ、即死──。天才ギャンブラー“嘘喰い”こと斑目貘が、日本の政財界そして裏社会をも支配する会員制の闇ギャンブル倶楽部“賭郎”に挑む。待ち受けるのは、賭郎の会員権を所有する一流の権力者にして欲望にまみれた凶悪なイカサマ師たち。嘘 vs 嘘。イカサマも、殺し合いも、なんでもありの≪超危険なデス・ゲーム≫に没入せよ。

(公式サイト introductionから引用)

 

 

 

とりあえず見終わった後の第一印象が記事タイトルの如く「爽やか」だったので、悪い映画では無かったのでは。所々原作より好きな部分はあったし。

 

「號奪戦は見れたの?」と聞かれたら「見れた……っちゃあ、まぁ見れた……?」という答えになりますが、なんで気持ちよく「見れたよ!」と即答出来ないのかはご自身でお確かめください。


いわゆる「揶揄されがちな邦画実写版ポイント」は点在し、特に「めちゃくちゃチョロく都合の良いヒロイン」になってしまった鞍馬蘭子はかなり好みの分かれるキャラクターだろうけれども、個人的にはアレはアレで……。いかにも「極道の女」然とした、危険性と色香に溢れる原作蘭子よりも、親しみやすさというか、可愛らしさに特化した感じは、少なくとも役者さんの雰囲気には合っていたと思う。真面目な話、原作の方向性だとレーティング上がりかねないしな。


でもアレだけ甘いと「雄牛の子宮編」における立会人としてはちょっと不安が残りますね……。というか全体的に原作よりキャラクターが若い(あえて言えば『未熟』な)感じが。嘘喰いのハングマン途中の焦燥とかもどこまで演技かこちらには見切れない部分も多く……というかアレは多分素だったのでは。


アレを演技とするなら、あの慌てようのままで「時間制限つけるならこのゲームは最初から仕切り直しでしょ」とか言い出すクソ言い訳(原作再現)をスムーズに決められるので……。


ただ、あの「恐らくは素の慌てよう」からの「気づいてることを気づかせる」かのような様な仕草……「上か下か」みたいな余裕(?)を持っての検証により人間味はむしろ原作より増し、「得体の知れない存在による弱いものいじめ感」が薄れ、それが「爽やかさ」に繋がった……?……のでは無いかという気もするので、個人的にはそんなに気にならなかったというか、「原作とは別なのだ」というのを念頭に置いた上で、「これはこれでアリ」でしたね。


気づいてることを気づかせる」とかは、原作貘さんだとやらないからね……じゃんけんとかの素の運試しは弱いので、相手がイカサマを捨てて単純な運ゲー勝負を仕掛けてくると分が悪い…………「上か下か」、めちゃくちゃ際どかったな……そういえば「ウィーンじゃんけん」もなかったようだし(ルール説明のあたりで一回トイレに行ったので見逃したかも)……パッと見で「卑怯な小物」に見える仕草は極力控えているのか?


つまり「迷宮のミノタウルス」がこの姿勢のまま実写化される際は、賭廊の黒服さんに洋服借りる下りとかも無いという事だ……貘さん、ちょくちょくクソみてぇな言い訳をかますので……。好きなんですけどね……立会人に「駄目に決まってんだろ」と冷たい反応を返されるの込みで……。そんな反応が計算の内だったりするの込みで……。


ただ、これも「爽やかさ」を出すのに繋がっていたような気もするので、俺はこれも好きでしたよ。


そしてこの独特の「爽やかさ」の最大の要因はなんと言っても佐田国!


「日本で革命を起こそうとするテロリスト」という原作の設定は欠片も残さず改変!「自身が開発したメタンハイドレートの発掘技術による世界平和を夢見ていた科学者」という180°正反対の設定に!


……まぁ過去形ですのでね?色々あってやる事はそんなに変わらなくなってしもうたのですが。


原作佐田国が東京で何をやらかそうとしていたのかを考えると、あのお中元爆弾の見方も変わってくるだろうか。次元を超えた因果応報は、もはや単なる理不尽だ。うん、やっぱり見方変わんねえや。なんなんでしょうね、あの妙に手が込んでいる割に偽装としては難のあるお中元爆弾


ともかくそんなかつての佐田国の目的が「世界平和」だというのは、これは原作読者からすれば「おっ」となる要素であり、そして実際かなり良い感じに「おっ」とさせてくれる。


佐田国の最後、末路自体は原作と変わらない……のだけれど、しかしそこに至るまでの道中……最後のほんの数歩には、まさに天と地ほどの差があり、これはこれで好きというか、正史は原作、とした上で、実写版の方が好みでしたね。


まぁ原作の佐田国の末路もだいぶ好きなので……末路の好みの度合いとしては、佐田国(実写版)>>佐田国(原作)>目蒲(原作)>実写版オリジナルキャラ>>目蒲(実写版)という具合になり、足して割るとまぁトントンかな、という感じでしたが。……実写版の目蒲、アレ、死んだよね?どうせ首コキャするならマス鬼獣院さんレベルに……。


爽やかさといえば、廃ビル脱出勝負!


マルコ(ロデム)加入のためのこの勝負は、原作では「深夜の廃ビル」だったロケーションが「昼間のちょっとした森林」に変更され、ここでも恐らくは意図したものではない爽やかさが出ておった。


ロデムが待機しているのが「デカめの樹」とか、なんか別のジャンルでありそうですもんね。夏休みに子供が森深くにあるあの樹で謎の野性的な青年「ロデム」と出会い……みたいな、カッパのクウと夏休み的なノリの映画で。まぁこの映画は嘘喰いなのだが。多分子供があの時期のロデムに会ったらレーティングが上がってしまうが。


ロデムの強さはちょっと実写で再現しようとするとグロ描写制限がキツくなってしまうな、というのはちょっと思いましたね。これは脱出勝負全般に言えるが。ワイヤートラップに引っ掛かった人とか、原作ではもっと露骨に切断されてたからな……。


あとカール・ベルモント周りや伽羅周りがオミットされた影響(これ自体はやるとどうしても30分〜1時間くらい伸びるのでしゃあないと思う)で、せっかく仲間にしたマルコの活躍が少なめだったのも少し寂しいか。まぁ続編で迷宮のミノタウルスとかやるならそこでですね……。


そういう意味での原作再現、という視点では亜面立会人の再現度が非常に高かったです。髭の毛量がちょうど良い感じでな……。出番はちょっとしかありませんでしたが。


他にも貘さんの体力に上方修正が掛かっていたり、あの序盤の漁師町で世話してくれた人誰なんだよ、とか、語るべき場面は色々ありますが、総評としては、面白かったです。少なくとも、個人的に設定したハードルは全然超えてた。


佐田国の背後にいた、イカサマのアレとか担当していたあの人達(恐らくは原作のイデアルに相当?)とか、実写版最終盤のアレとか、まだまだ続編を作れそうな部分もありましたし、今後に期待していきたいですね。

 

あとスタッフロールに「感染対策アドバイザー」みたいな人がいて、今映画撮るときはそうなるのか、と、思いました。まぁ必要だわな。


あのリモート会議とかそういう必要があったのか。そうか。そうなのか?

 

 

 

ここまで書いて「さて他の人の感想見てみるかー……あー、まぁこんな感じかー……」という感じで色々見ていたら、ハーモニカ事件について知りました。爆笑した。爆笑出来てよかった。

 

ありがとう、横浜流星さん。俺はチョロいのでな……高橋一生の岸部露伴しかり、そういう「こだわり」を知ると好感度が上がってしまうのさ。

笑顔が素敵な成田キャラ!(それは笑顔というにはあまりにも獰猛すぎた)

笑うという行為は本来攻撃的なものであり

獣が牙をむく行為が原点である

(シグルイ 4巻16景「牙」)

 

……いきなり成田作品以外から始まってしまいましたが、今回の人選が決まった後、一番初めに思い浮かんだ言葉なので……今回の企画のテーマに、冷や水をぶっかける様な言葉なので少し心苦しいが……いやでも、割と返り血にまみれた笑顔の画像とか投下されているような気がするな。じゃあ大丈夫か。「本質」の可能性がありますね。

 

誰もそういうのやらないでほのぼの系の画像で埋まるようなら、それはそれで一興か。一人でここで「攻撃力」の高い彼らの話をするとしよう。

 

 

エルマー・C・アルバトロス

 

「そう、笑顔になる。祭りになるとみんな笑う。スマイル、そう、スマイルだよ!あれだ、突然こんなこと言うのもなんだけど、君みたいな子供は笑ってた方が可愛いぞ?まあその、なんだ、こんなセリフは月並みだけど、クリスマスにはキミに笑顔をプレゼントしてあげよう!きっと可愛いぞ、とても可愛いぞ、すごく可愛いぞ!同い年の男の子達にモテモテだよ!」

(Baccano!2001 The Children Of Bottle P33)

 

 

引き寄せの法則だとか、そういうスピリチュアルな方向においては、「笑顔でいるのは良い事だ」という思想が、一定の幅を利かせている。実際、ある程度は真理であろう。日頃から仏頂面でいる奴と笑顔でいる奴なら、まぁ笑顔でいる奴の方が親しみやすく、人間関係が良い感じに回り、その関係で仕事や日常なども円滑に回りそうではある。

 

それはそれとして、人間そんな常日頃から、ニコニコ笑顔でいられるわけもない。ある程度は「笑顔でいるのは良い事だ」……を真理であるとは認めながらも、ついつい仏頂面になることはあるだろうし……その日のテンションによってみれば、この考えを否定したくなることもあるだろう。

 

「笑顔でいたからなんなんだ」

 

と、そんな風に。

 

さてここまでは常人の話。

 

ここからはエルマー・C・アルバトロスという不死者についてのお話だ。

 

エルマー・C・アルバトロスは不死者である。不死者とは「死なない人間」の事である。不老不死、というやつで、ある一つの例外を除いては、この世からその存在が消えることはない。明らかな異常存在だ。しかし、エルマーを語る際に、実はこの性質について語るのは二の次になってしまう。

 

彼は「笑顔中毒者」だ。自分と他人がどうすれば「笑顔」になるのかをどこまでも探求し、また「笑顔」にふさわしい結末……多くの場合においては「ハッピーエンド」と言われるそれに向かって邁進する。

 

エルマーについて語るなら、まずこの性質についてが一番先に来る。この文章だけを読んだなら、きっと彼を知らない人は、彼を善人だと判断するだろう。実際、それは間違いでは……ええと、うん……少なくとも彼によって助けられた人は一定数存在するので、「善行もする人」の略称である「善人」ならば、まぁ間違いではない。

 

なんでこんな遠回しな言い方になるかと言えば、「悪行もする人」だからですね……比率でいえば、どちらかといえば……?彼が単純な「善人」ではない、というのは、作中にわたって再三にわたって言われていることなので、私もそれにならうとしよう。

 

さて、彼のこんな性質は、彼の「出生」に深くかかわっている(……のか?理由のない突然変異という気もするが……まぁ完全に無関係じゃないだろう)。それがどんなものだったのかは、実際に作品を読んでもらうとして、彼が不死になったのとこの性質については、実はあんまり関係ない。「生まれていつか(恐らくは割と早めに)死ぬ変な奴」が、「なんかいつまでも元気な変な奴」になっただけだ。

 

「俺はな、戦場とかを行ったり来たりしてる間によ、そんな甘い考えの奴が死んでいくのを何度も見てきたんだ」

「そりゃそうだよ。当たり前じゃないか。敵の事まで気遣う人が、何かを守る為に全力で殺しあう戦場で生き残れるわけが無いじゃないか。だから俺なんだ。死なない身体だからこそ、俺は全力でこの考えを押し通す。いや、押し通さなきゃいけないと思ってる。なんとも傲慢で卑怯な考え方だとは思うけれどね」

(Baccano!2001 The Children Of Bottle P275 原文では「だから俺なんだ」が傍点により強調)

 

最も「いつまでも居る」なりの覚悟だとか、そういうものは決めたようだが。彼にとって時間は無限のものだけど、それにしても求めるモノは果てしない……「みんなの笑顔」を、彼が見るのは果たしていつの事になるのだろうか。その道中には、これからもぜひ注目していきたい。

 

「笑顔でいたからなんなんだ」と言われれば、まぁとりあえず彼が喜ぶ、というのは間違いのない答えとして……あ、駄目だ、コイツ、作り笑い、愛想笑いは100%見抜けるんだった。冒頭の話は忘れてください。

 

最も彼について一番好きなシーンは、そんな彼の顔から笑顔が消えてマジのアドバイスをする下りだったりするのですが。

 

「もしかしてそれ、不死の酒?」

床を転がりながら瓶の蓋を開ける男を見て、エルマーは笑顔を消して尋ねかける。

「あー。だとしたらさ、今は飲まない方が……」

(Baccano!1932‐Summer man in the killer P315)

 

このシーンは……なんというか、「悪役が手痛い失敗をするその数秒前」で、ネタバレして言ってしまうと、「この状態で不死の酒を飲む(=不死になる)とお前マジで死ぬぞ死なないけど死ぬぞ」みたいな状況なんですけど、エルマーはそんな「悪役への因果応報」についても、かなり真面目に、その表情から笑顔を消してアドバイスするのですね。

 

なぜなら、それはこのままだと、彼が自分の求める笑顔から遠ざかってしまうから。実際この後すぐ説明と事後のフォローも提案してくれるし……。彼が求める「みんなの笑顔」は、マジで「みんな」なのです。老若男女、善悪その他関係ナシ!

 

 

 

ヴォッド・スタルフ

【ヴォッド・スタルフというのはとにかく小物だ。自分の優位を得るためならばどのような悪行も厭わない。わざわざ敗残の将の顔を踏みにじりながら恨み言を聞くのが楽しみだというような感じの奴でな。奴とは長い付き合いだが――最初に会った時は路地裏で死ぬ寸前の麻薬中毒者から金を奪って得意になっていたところだったな】

(ヴぁんぷ! P247 文字の色は管理人による)

 

 

ヴォッド・スタルフに対するこの評は実に的確。たしかに彼はこういう男である。さて、そんな男の職業は、さて何か。合法の仕事ではないだろう。ヤクザ的な裏稼業か、明日をも知れぬギャンブラーか、上記の「麻薬中毒者」は彼の被害者ではなかろうか、すなわち違法薬物の栽培人、売人……そもそも定職に就いているのか?

 

就いています。公務員。市長。グローワース島はノイルベルク市の市長、それが彼、ヴォッド・スタルフだ。

 

なんて恐ろしい事だ!彼の本性は上記の通り。そんな男が市長になってしまったのだ。さぞかし権力を笠に着て、横暴の限りを尽くしているに違いない!……いや、まぁ、そんなことはないんですが。確かに本性はああいう男ですが、市民の前ではキッチリと、しっかりと仮面を被っておりますし、公約はきちんと筋を通して守るその姿に、案外市民からは親しみをもたれているようです。

 

そもそも彼は半人半鬼(ダンピール)。昼の世界からも夜の世界からも煙たがられる、どちらにも居場所のない存在……そのはずでした、本来は。ところが彼はその立場を逆にしようとしている。昼と夜のどちらにも自らの居場所をつくるべく、というか、昼と夜のどちらも自分がまとめるべく、その活動の第一歩として、市長の立場を手に入れた努力の人でもあるのです。

 

努力して誰かに勝とうとする。これ自体はとても立派な事だ。……彼の場合、勝った後のふるまいがとにかく小物っぽくて、その上で実の所勝っていなかったりするから、色々評価を下げているのだけど、上で彼を評している子爵にしても、彼のことを嫌っているわけでは決してない。どころか割と認めている。

 

そんな彼の笑顔には、「市長」としての笑顔と「吸血鬼」としての笑顔の二種が存在し、幸運にも、そのどちらもが挿絵付きで描かれている。市長としての笑顔はⅡ巻、お祭りの最中にインタビューを求められてのさわやかな笑顔である。……え?こめかみに青筋が浮き出ている?……なんの話です?

 

……そして「吸血鬼」としての笑顔……「いつも通りの下品な笑み(P310)」が見れるV巻では、なんとそんな彼の「過去」までも見ることができるのだ!

 

ドン底から頂上まで這い上がる、その努力!それをもって消すことのできない小物っぽさ!作中最大規模のインフレバトル!からの、ジャイアントキリング……!?

 

ヴォッド・スタルフのこれからに、どうかご期待……!

 

……言わぬ!今回は19周年記念企画なので!

 

「俺は負けず嫌いなんでな。10歳のガキ相手にわざと負けてやることがあっても、10年後にキッチリとリベンジしてやるから覚えとけよコラ」

(ヴぁんぷ!V P390)

 

平和島静雄

 

――俺のことを愛してくれる奴の前で、倒れるわけにはいかないだろ?

デュラララ!!×2 DMMBrooks 電子版 P278)

 

 

(成田良悟作品でテーマが『笑顔』……誰だ?……エルマーはとりあえず一番の安牌として……)

 

(……『デュラララ!!6巻の平和島静雄のめちゃくちゃいい笑顔』……国民栄誉賞……)

 

(……いやでも、あの顔は……笑顔……?)

 

(あの顔は……笑顔……?ううむ……静雄……)

 

……今回の冒頭が「あの文章」になってしまったのは、もしかしたら割と早い段階で「彼」に思い当たってしまったからかもしれないですぜ……。

 

平和島静雄は、人間だ。不死者だったり吸血鬼だったりはしない、いたって普通の人間だ。……あくまでも種族的には、そのはずだ。

 

ところが彼はめちゃくちゃ強い。エルマーのような不死者にも喧嘩で勝利しているし、色々と特殊な能力を……色々とあって手に入れたヴォッド・スタルフにも、恐らくは勝てるだろう。……勝てるだろうか。……強さ議論は荒れるのでやめますか。ともかく種族的にはただの人間なのだけど、成田作品では割と上位に入る実力者だ。

 

少し自分語りになるけれど、俺が「成田良悟の作品」に触れたのは、デュラのアニメがきっかけだった。その時は友達に3巻まで借りて……確か、アニメ化時点で販売していた、7巻までを一気買いしたのだったか。当時の自分には割と大金だったはずだが、お年玉でもつかったのかな。初のラノベ購入で、親からはあまりいい顔をされなかったとか、そういうことも覚えている。そこから少しずつ成田作品を集めていったのだなぁ。覚えている覚えている。

 

覚えているついでに「なぜ一気に7巻まで揃えるほどに惹かれたのか」を考察すると、これはもちろん展開の面白さもあるけれど、特にキャラクターとして平和島静雄が好きで、その中でも挿絵でいうのなら、2巻の静雄の獰猛な笑みに当時厨二だった自分は惹かれたのだろうと思い当たった。

 

であれば、今回のテーマの俺が描く文章に、やはり平和島静雄はふさわしい。

 

2巻の獰猛な笑顔、そして5巻の国民栄誉賞、どちらも良い笑顔でしたとさ!

 

……国民栄誉賞がどういうシーンだったのかは、なんで俺が「笑顔……?」と悩んでいたのかは、まぁ読んでみてくださいな。……別に深い意味はないけれど、この記事冒頭の文章、もう一度貼っておこう。

 

笑うという行為は本来攻撃的なものであり

獣が牙をむく行為が原点である

(シグルイ 4巻16景「牙」)

 

 

 

……さて、書けそうだと判断したキャラ3人について、色々と書いてはみたけれど、こうしてみると改めて「攻撃力が高い」というか……言葉を選ばずにいうと、物騒な奴らが揃ってしまった。これで良いのだろうか。

 

良いのかもしれない。

 

エルマーは変な奴で、ヴォッドは小物で、静雄は作中色々出てくる人外連中の大半を押し退けて強い奴だが、だからと言って「笑ってはいけない」という法はない。それは成田作品に登場する、もっとアレな人たちについても同じ事。

 

彼ら彼女ら、その他諸々、まだ見ぬ連中も含めた「変な奴」は、これからも、笑ったり泣いたりを繰り返し、作品の中で生きていく。

 

そんなわけで、最後はBaccano!アニメの最終話のタイトルで締めよう。

 

不死者もそうでない者もひとしなみに人生を謳歌する

(アニメBaccano!-バッカーノ!- 13幕タイトル)

 

願わくばその人生が、少しでも長く続きますように。

 

成田先生、19周年おめでとうございます!

何気なくしているネットサーフィンを記事のネタに出来ないかなぁという試み④

ノエル・ノア

 

「味方にアシストして1-0で勝つより 俺がハットトリック決めて3-4で負ける方が気持ちいい」

 

ブルーロックで紹介されていた天才的なストライカーの1人。ほぼ誰も知らなかったのでちゃんと調べてみた。

 

……オリキャラかよ!完全にやられた。ジャック・クリスピンと同じ星に居る人でした。スポーツ選手は全然解らん、この3人の中だとペレをちょっと聞いたことがあるかな、でも顔までは解らんな、そんな感じの人間に見抜くことは不可能でした。

 

エリック・カントナ

 

「チームなんてどうでもいい 俺が目立てばいい」

 

ブルーロックで紹介されていた天才的なストライカーの1人。この人は実在。混ぜるとは悪質な……。全員等しくそんなに知らんので効果は無かったのですが。

 

4度のリーグ優勝を経験し、2001年に「20世紀最高のサッカー選手」として選ばれている。上のセリフに近い事もどうやらマジで言っていたらしい。

 

相手チームのファンに何か言われ、腹を立てた結果カンフーキックをお見舞い、ついでに数発殴った。イギリスのデイリー・メールによれば、引退後に「もっと強く蹴っておくべきだった」と当時の後悔を語ったそうな。

 

当時の空気感は知らないが、まず間違いなく『目立って』はいただろう事は想像に難くない。

 

ペレ

 

「世界一のFW世界一のMF世界一のDF世界一のGK どれを訊かれても自分だと答える」

 

ブルーロックで紹介されていた天才的なストライカーの1人。本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント。ペレってのは愛称ですね。

 

ブラジルからヨーロッパに移籍……という話が出た際は「ペレは国宝だから輸出しない」と政府からメッセージが出たり、アメリカの国務長官が公文書を発行して移籍を支援したり、その存在は国家に影響を及ぼしていたり。

 

引退試合ではかつて自分が所属したブラジルのチームと、自身はアメリカのチームの一員として対戦。……前半は。後半ではブラジルのチームの一員としてプレーした。そんなんアリなの?まぁ、本人と両チームが納得しているなら……。

 

サッカーには興味0の自分でも、調べると「すげー」ってなるすげー人。ちなみに上の台詞に近い事もマジで言っていたらしい。GKもやった事があるそうな。公式戦で4回。失点は0。何だこいつ。

 

ブルーロックの話をしよう。

 

 

「脱落するとサッカーが出来なくなる天才ストライカー養成施設」の話で、面白いと聞いたので読みました。面白かったです。「脱落するとサッカーが出来なくなる……なんだ……?骨とか砕かれるのか……?」と思っていたけれどそんな事はなかった。「日本代表の選考から永久に外れる」というだけでした。なんだ全然サッカーできるじゃん、と考えるような奴は、これを「だけ」とか言っちゃう奴は、この漫画にはいないのです。真剣さが違う。お前は「日本代表」に選ばれようとしたことがあるか?彼らはある。そういう男たちの物語だ。

 

原作、「神様のいうとおり」の人か。……芸風が全然違うじゃないか、と一瞬思ったけれど、「QBK」をコスりまくる芸風とか、あとは一部キャラの下ネタとか、真面目な所で行くと「天才」の描写に確かに面影が感じられるような気はする。素人だから知らんが。よぐわがんにゃい。

 

「チームメイトにとっての悪役」というムチャクチャなポジションを取る馬狼くんが好みですね。一緒にプレイする仲間からボールを奪うんですよコイツ。しかもそれがキチンと戦略として意味を為すのがこの漫画なのだが……。

 

あとは器用大富豪の玲王くん。玲王くん、「俺みたいなオール99点じゃ100点超えの奴らには届かない……俺はオール99点だから……」という自己肯定感が強いのか弱いのか解らん感じが好みでね。覚醒しても「あと1点取れば並べるんだ」じゃなくて、そのオール99点をどう使うのか、という方向に行くあたり、筋金入りだなと思いました。村瀬剛三(餓狼伝)オルタですね。

 

警視総監

 

パンドラシャークに警視総監の葛原姓が出てきたので調べた……ら、それは誤読で、実際には警視監だったとさ。

 

警視総監は警察で1番偉い人。警視監は警察で2番目に偉い役職で、これは1人ではなく何人か居る。まぁ警視監でも充分偉い人です。相棒で言うと小野田さんだ。右京さんを顎で使える。というか右京さんは窓際部署だから実は結構な割合で顎で使える。使い心地は知らん。

 

小野田さんが劇場版で死んだのは当時マジでビビりましたね。劇場版って準レギュラー殺していいんだ!となる。なった。

 

「葛原姓(成田良悟作品)」の話をしよう。

 

成田良悟で葛原姓は、つまり「警察官」である事を意味します。「元警官」も居るけれど、少なくとも人生のいずれかの時期に「警察に所属する」事が半ば運命づけられた一族、それが葛原一族だ。

 

一番有名なのはデュラララ!!の葛原金之助でしょうかね。人外の怪物、「首なしライダー」……が、ビビり散らかすただのお巡りさん。ただのお巡りさんではあるが、「バイクに搭乗している間」に限定すれば、数人の人外を抑えて作中最強格。

 

警官としての矜持もしっかり持ち合わせており、刑法に触れたり、交通違反をしない限りは普通に気のいいお兄さん。強面ではあるがな。

 

CV・藤原啓治。……まだまだ貴方の声を当てて欲しいキャラは、たくさんいたのだけれどもなぁ……。渋いおじさま声優業界は今後どうなっていくのでしょうか。

 

オッカムの剃刀

 

「頭いい感じに見える表現」として使おうとして、「アレ?これ使い方あってたっけ?」と不安になり調べた。ちなみに間違ってました。

 

神学者オッカムの警句に由来。「ある事象を説明する際に必要以上の仮定を重ねるべきではない」という指針・方針の事を指す。

 

仮定に仮定を重ねてほぼオリジナルストーリーの「事象」を語っている人とか居ますからね。「陰謀論」の源流と呼べるかもしれない。

 

「事象の説明は簡潔であればあるほど良い」と単純に読み替えれば、古今東西に共通する真理のようにも聞こえるが、「省略した仮定の存在を否定するものではない」という点には注意が必要か。

 

「馬鹿にも解るように説明出来るのが頭の良い人」なのは確かかもしれないが、「馬鹿に解るような説明でとんでもない勘違いをする」から馬鹿は馬鹿なのだ。

 

オベロン!「夏の夜の夢」、読んだよ!

異種族相手も視野に入れた寝取らせはちょっとレベルが高すぎると思う!(言った瞬間に殴られる感想の例、しかし読んだことを表明した瞬間恐らく嫌な顔はされるのでまぁ誤差だろうよ)

 

台本形式の本を読むのは初めて……ではないか。台本「形式」であるならば、それこそネットでSS漁っていた時期にいくらかというか、いくらでも読んだわ。キョン!AVを撮るわよ!

 

……涼宮ハルヒの憂鬱、読んだことないなぁ……。

 

俺に「ライトノベル」を読ませる原因となった人物が好きで、借りようと思えば借りられたんですが、彼は何分熱心な涼宮ハルヒの憂鬱好きなので、彼から借りた以上は彼に感想を伝えなくてはならず、そうなると解釈違いを起こした時のリスクがアレで……結果「とある魔術の禁書目録」を借りるにとどまったのでしたか。前方のヴェントまでは覚えている。なんか今創約らしいですね。新約はもう終わったのか?

 

……みんな元気にしてるだろうか。閑話休題

 

ともかく、元が劇の台本であるものを書籍として読むのは初めての事である。最初はなかなか慣れなかった(後から知ったのだが、この「夏の夜の夢」は「ちょっとしか出ない登場人物」が数多く登場するなかなか難しい劇だったのも影響しているだろう)のだが、後半はノリをつかめたのかそこそこのスピードで進むことができた。しかしその上でところどころ「?」な部分もあり、色々調べましたとさ。なので他の人の感想や知識に、多少影響を受けているかもしれぬ。まぁ当時の風俗や歴史関係についてはどうしてもな。

 

 

妖精の王とその后の喧嘩に巻き込まれ、さらに茶目な小妖精パックが惚れ草を誤用したために、思いがけない食い違いの生じた恋人たち。妖精と人間が展開する詩情豊かな幻想喜劇『夏の夜の夢』。ほかに、奸悪な弟に領地を奪われ、娘ミランダと共に絶海の孤島に漂着したミラノ公プロスペローは魔法の力を究め弟の船を難破させたが……シェイクスピア最後の傑作『あらし』を収める。

(カバー裏より引用)

 

大まかな話の筋はFGO2部6章でオベロンから聞きまして、その際は「ああ惚れ薬系のアンジャッシュね、なんか漫画で読んだことあるネタだわ」みたいな感じだったんですが、冷静に考えてみれば俺が漫画で読んだことある惚れ薬系のネタはなんだ、周囲の異性を無差別にひきつけモテモテになる系の話でした。吸血鬼すぐ死ぬのアニメ化した話にもありましたねそんな話。デカい金玉のヤツ。ニコニコで見てたらコメント欄が「ごめん(^^;」で埋まりましたわ。みんな好きだね日本生類総研。飲んだ人が初めて見た相手に惚れる感じのは、あんまり見ないか……?まぁ勿論具体例はあるんでしょうが、たぶんそういう漫画の具体例でも目当ての相手に思い通りに惚れさせるようなのは少数派だろうね。

 

ていうか「目当ての相手に思い通りに惚れさせる」だとか、この「夏の夜の夢」でもそうなんですが、既に好きな相手が居る人間に対して、しかし薬を盛る事でその相手とは別の人間に好意を抱かせる、というのを話の軸にしてしまうと、お話のジャンルがエロ同人になってしまうのよな。催眠アプリ系の……。

 

夏の世の夢は断じて催眠アプリ系のエロ同人ではないが、しかしそれは惚れ薬によって好意を抱かれたヘレナちゃんが「なんでお前ら急にそんな態度が変わるんや!おかしいやろ!」と、まぁ至極当然ではあれどしかしモラルに溢れた反応を返してくれたからであって、一歩間違えればヘレナちゃん主人公の逆ハー物になっていた。危なかった。

 

ただヘレナちゃんが「お前らの態度はおかしい!」というのもちょっと引っかかる部分があるにはある。

 

確かに、間違って薬を盛られたライサンダー(FGO2部6章で名無しの森にて記憶を失ったぐだ達が名乗る名前はここに由来するらしい。ぐだ男はライサンダー、ぐだ子はハーミア。どうでもいいけどライサンダーって名前は、めっちゃ雷属性感がありますね)は今まで熱を上げていた恋人のハーミアに「ハーミア、二度とライサンダーのそばに来るのじゃない(P51)」とか言い出しながらもヘレナちゃんに愛をささやき、また少し遅れて薬を盛られた本来のターゲット、デメトリアスも今までの冷たい態度からはうってかわって、「おお、ヘレナ、女神、森の精、全きもの、聖なるもの!(P72)」と言い出す、その彼らの転換は確かに異常である。

 

しかし、感情の流れ以外、熱意の部分に関してはヘレナちゃんも大概だったぞ。

 

ライサンダー(服薬中)

「(跳び起きて)嘘は言わない、火のなかにだって、とびこんで見せる、かわいいきみのためなら。透きとおるように美しいヘレナ!まさに自然の現ずる摩訶不思議、その胸をとおして、きみの心が見える、手にとるようにまざまざと。デメトリアスはどこへ行ったのだ?ああ、口にするのも忌まわしい、この刃にかかってくたばってしまうがいい!(P50)」

 

デメトリアス(服薬中)

「(目を醒し)おお、ヘレナ、女神、森の精、全きもの、聖なるもの!その目を何にたとえよう?水晶もまだ濁っている。おお、その脣、熟れ切って、互いに肌を触れ合う二つ部の桜桃、いかにも人の心を誘うような!そして、その手、あのトーラスの高嶺の雪も、東風に吹かれて硬く凍った白銀の清さも、その手を高くさしのべれば、たちまち変じて烏の黒羽色と化そう。おお、せめて口づけを、その白い手に、このうえなき浄福の宮居に!(P72)」

 

ヘレナ

(デメトリアスに『愛してもいないし、愛することもできない』と言われて)「そう、だから、いっそう好きになるの。デメトリアス、あたしはあなたのスパニエル犬、ぶたれればぶたれるほど、尾をふってまつわりつくの。ええ、あなたのスパニエルにしていただくわ。蹴ってちょうだい、ぶってちょうだい、知らん顔をしようと、忘れてしまおうと構わない。ただ、許していただきたいの、なんの値打ちもない女だけれど、せめておそばにだけは居させて。あなたのお心のうちに、それより小さな場所を求めることが出来るかしら?——あたしには、それだけで、もう充分立派な地位だけれど――飼犬なみに扱ってくれと言っているのだから(P39)」

 

……お前ひとりだけ素面でコレだし、なんか性癖が滲み出てるんだよな。

 

ちなみにこれを言われたデメトリアスの反応は「君を真底から嫌いになるような事を言わないでくれ」だったよ。そんな反応をしている奴がいきなり「(目を醒し)おお、ヘレナ、女神、森の精、全きもの、聖なるもの!その目を何にたとえよう?水晶もまだ濁っている。おお、その脣、熟れ切って、互いに肌を触れ合う二つ部の桜桃、いかにも人の心を誘うような!そして、その手、あのトーラスの高嶺の雪も、東風に吹かれて硬く凍った白銀の清さも、その手を高くさしのべれば、たちまち変じて烏の黒羽色と化そう。おお、せめて口づけを、その白い手に、このうえなき浄福の宮居に!(P72)」と言ってくれば、そりゃあ若干Mの気があるヘレナちゃんも警戒するのであるなぁ。

 

いや、「芝居」というメディアの都合上、という事は解るんですが、しかしマジ物の「芝居かかった」セリフを初めて聞くとその迫力にビビりますね。よく中二的なオリジナル一次創作に対し、「セリフが不自然に芝居かかっている」というディスをする人がいますが、マジに芝居かかっているものが書けるならそれは間違いなく才能なのであるなぁ。……ああ、そういうマジに芝居かかっているものは、「不自然」ではないからいいのか。納得。

 

ここまでヘレナちゃんと薬漬けの男二名について触れてきたなら、ハーミアちゃんについても触れねばならぬ。ハーミアちゃんはライサンダーとラブラブだし、しかしそんな一方で父親はデメトリアスと婚約させようとするしデメトリアス本人も割と乗り気な、ラブコメ主人公のような立場にいたのだが、なんか目を離したすきにライサンダーとデメトリアスはヘレナちゃんにメロメロになっていたので良く解らんことになってしまった可哀そうな娘だ。

 

ライサンダー

「(中略)君が好きなのはハーミアのはず。それを、僕は知っている、ということを、君は知っている。だから、ここで、心の底から喜んで、ハーミアの恋人役は君に譲る、そのかわり、ヘレナのお相手役は僕に譲り渡してもらいたい……僕はヘレナを愛している、死ぬまで愛しつづけるだろう(P73)」

 

デメトリアス

ライサンダー、いいのだ、ハーミアは君が取っておけ。僕は要らない。それは、前は想っていたかもしれないが、その想いも、もう消えてしまった。僕の心にとって、ハーミアは、いわば旅人の求める仮の宿。今は、ヘレナのうちに故郷を見いだし、そこを永住の地と思っているのだ(P73‐74)」

 

男2人はこういう感じだし。言い方ァ!

 

言い争いの最中もずっとハーミアちゃんは可哀想で、ヘレナちゃんにも「お前がこんな悪趣味な悪戯を!」みたいな感じで責められて、「いや知らん!知らん!」と困惑する……実際なんも知らんのでしょうがない……のですが、そんな言われっぱなしのハーミアちゃんが、惚れ薬とか男2名とはあんまり関係ないところで地雷を踏まれて結構ガチ目にキレる下りは割とコント味があって好きでした。喜劇ってコントなんだな。まぁ言われてみればそれはそうか。吉本新喜劇とかいうものね。シェイクスピアはめちゃくちゃ嫌な顔をしそうだが、まぁ催眠スマホのエロ同人とか言っちゃった時点で嫌な顔はされるので、もうしょうがない。

 

ところで俺はオベロンがたまーにエモい感じで口にする嫁さん、ティターニアについて知りたくてこの本を読んだのだが、ティターニアの出番は想定したよりもだいぶ少なかった。知らん間に薬を盛られ、知らん間にロバの頭になっていた三文役者に惚れこんで、知らん間にインド人の小姓をオベロンに取られたら、オベロンによって案外アッサリと薬の効果は切らされて、なんか知らん間に仲直りした。俺は上で寝取らせとか書いたけれども、ティターニアに惚れ薬を盛ったのは本当に「正常な判断力を奪いたかった」だけらしく、お前絶対にもっと他のやり方あっただろ……とはどうしても思ってしまう。

 

このオチに関する「なんだかな感」は例の人間4人組にも言えて、彼らのオチは眠らされた後になんとなく薬の効果が切れた結果なんとなく仲直りして、ハーミアとライサンダー、そしてヘレナとデメトリアスが二組揃って婚約し、親戚みんなで下手な劇を見て終わる、というモノで、お前アレだけ拗れた口論、挙句の果てにはライサンダーとデメトリアスの決闘にまで発展したソレがそんなに丸く収まるかよとは思うけれど、こういった「なんだかな感」は全て結びの言葉でうまく回収されてしまうので、シェイクスピアの掌の上感はある。

 

なので逆に考えてみよう。

 

妖精の些細な思いつきが原因で、撒くに撒かれた悲劇の種が、「コレ絶対いつか大変な事になるだろう」といった予想の数々が、ことごとく実際その通りになり、「夏の夜の夢」なんて言葉でごまかしようもない、特大の悲劇になってしまう物語。そんなものがあったとしたら、それはどんなお話であろうか?

 

 

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……2部6章、アヴァロン・ル・フェの黒幕に、やはり彼は相応しいことだなぁ。

正月早々の走り書き1時間「新年のご挨拶」

大前提として、年末年始は忙しかった。「そういう感じの記事」を書く余裕は、ついになかった。ようやく暇が出来たのは年末年始当日になってからだ。なので年末年始の挨拶的な記事は、この走り書きにしようと思う。

 

走り書き。今までに数回やっている。15分の短いモノではあったが、思うがままに筆を走らせて、その「思うがまま加減」をしてようやく企画として成り立たせるという荒業であった。忙しい忙しいといいながら、年末年始当日ならば若干の時間はある。じゃあどうするか。1時間スペシャルですね。年末年始の特番だ。通常回をまとめておこう。

 

 

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特番といえば岸部露伴のドラマ見ましたか?「六壁坂」を軸に、「ザ・ラン」と「後ろの正面(チープ・トリック)」を組み立てなおす、というすごい構成で、なんというか馬鹿みてぇな感想なんですが、役者さんってすげぇな、と思いました。怪演、という意味では市川猿之助(乙雅三)、そして何よりも岸部露伴高橋一生ですよ。

 

あんまり高橋一生さんの出るようなドラマを見ないので、親が「高橋一生が主演の年末にやるドラマ」としてこれに食いついてきたときはちょっとびっくりしましたね。母親が言うには、「普段は恋愛系のドラマに出ている人」らしいじゃないですか。マジかよ。このドラマにおいてお手本の様な「こいつ解ってねぇなぁ……」顔を見せた高橋一生、恋愛系のドラマに出るのかよ。実際のところは知りませんが。母親がそういう系のドラマしか見ないから、そこでのみ高橋一生を目撃している、というのも全然アリというか、たぶんそれ。

 

親は途中で寝たので感想は知りません。いつもの事です。

 

ドラマの内容の話をするのであれば「ザ・ラン」の橋本陽馬が原作よりパワーダウンしたのかな……まぁ、流石にマンションの外壁をボルダリングして降りていくのは無理だったか……と思わせておいて、でも「六壁坂」の話を見た後で改めて考えてみると、アイツは六壁坂、「本当にちょっとだけ」しか影響を受けてねえんじゃねえかな、と思わせるヤバさがありました。……少なくとも岸部露伴の推測、「彼女の死体を捨てたから影響を受けた」は違うんじゃね、というか、六壁坂のアイツらの生態からして、「死体をアッサリ捨てて処分する奴」、絶対取り憑きたくないでしょ。日頃のランニングの際に多少影響を受け、死体の処分に関しては六壁坂のアイツらもドン引きしていたのでは、と思う。

 

感想はこんなところかな。この走り書き企画はちょっと詰まったら適当に切り上げることが大切なんだ。感想を思いついたら思い出したようにまた書きます。なんだかんだで後30分くらいだしな。

 

感想といえば非霊長生存圏ツングースカサンクチュアリだ。そしてプロローグだ。

 

そもそも俺が非霊長生存圏ツングースカサンクチュアリになんで行こうとしていたのかというと、「報酬のウマいレイドイベントをお前たちだけに走らせてたまるかよ」という感覚ゆえに、であって、まぁそんなにコヤンスカヤと決着をつけたいというシナリオ的な熱意はまぁそのあんまり……だった。実際まぁ正直な話、イヴァンとスルトの討伐には乗り遅れてしまったので、そこら辺のシナリオは半ば早回しであった。

 

そんな感じなんで今回シナリオに関してああだこうだという気はそもそもそんなになかったんですけれども、その上でなんか言うならまぁ、和解路線ですか。なるほど。……コヤンスカヤの今までの「匂わせ」を全部回収できていたのか、とか、そういう今までの積み重ねではなくて(なぜならおそらく全部を覚えているわけでは無いので)、単純に今回のシナリオだけで判断するのであれば、そこそこ好きでしたよ。

 

太公望妲己に対するクソデカ感情……からの、「人違い」。まさか実際コヤンスカヤと玉藻になんの関係もないとは……「コヤンスカヤ」と「妲己」は無関係だけれども、「玉藻」と「妲己」に関係はあるんですよね?……でも闇のコヤンスカヤが太公望妲己っぽい反応をしているので、この辺りはよくわかんない。

 

ビーストだったりカルデア襲撃の因縁があったりする相手と和解路線で良いのか、というのはまぁちょっとあるんですけれども、まぁ主人公が良いならそれで良いんじゃないでしょうか……。個人的には今までの異聞帯のコヤン被害者とかがもっとシナリオに絡んできて、許したり許さなかったりしながらも最終的に主人公が判断する、のであればもっとすっきりできたとは思うのですが。

 

ただ今回のニキチッチや太公望といった新規キャラが、個人的に割と好みの造形だったので、シナリオの印象もそれに引っ張られてよくなりました。特にニキチッチと伊吹童子のIQ低めの会話が……ただシナリオ終盤まで割と挟んでくるので、そこで好みがわかれるのはあるかも。難しい話をしている脇で自分たちなりにああだこうだしている人たちが割と好きなので、まぁ気になる人もいるか、という感じでしたが。ただ難しい話をしている脇でああいう風にしていたニキチッチが、そもそもなぜ今回ここに呼ばれたのか、というのも最後の最後で明らかになり、それを踏まえたうえで見返すと、色々また変わってくるかもしれませんね。何しとんねんお前は。

 

太公望が「アレは妲己!」とか言っていた脇でどんな顔をしていたのか。味わい深い英霊である。一応ニキチッチがああなった後でコヤンスカヤが妲己としてふるまっていた可能性もあるので、「違うと思う」出来ないのはまぁ解るは解るのだけど。

 

まぁいずれのキャラクターもガチャで引けませんでしたが。太公望もニキチッチも、闇のコヤンスカヤでさえも。……まぁ、全体ライダーとフォーリナーは割と飽和してるから、ええか……。

 

のこり10分くらいなので、そろそろ新年の抱負的な内容に入ろうと思う。

 

今年は読者数だとかフォロワー数だとか、そういったものを少しは意識していきたいと思う。そのための活動の一環として、「企画」に力を入れようと思う。現状単発の感想記事が多いが、そういったものとは別に、「こういう企画を連続でいくつかやっています」という様に簡単に案内できるようにすることで、その「企画」に興味を持った人が連続で来てくれる……ために読者登録なりフォローなりをしてくれると嬉しいなぁ、と思いながら、しかし結局今までとあんまりやることは変わらないと思います。

 

あとは「読者層の開拓」だろうか。今まで来てくれていなかった人たち、新規顧客の開拓……をするにあたって、俺自身がおそらく今までしていなかった事をする必要がある……それは疲れるので、今までしていなかった「読書のジャンル」の開拓をするくらいにとどめておきましょう。……まぁ、純文学とかSFとかミステリかなぁ……。あんまり特定のジャンル雑に括ってどうこういうの、好きじゃないのですが、まぁやってみましょう。好きじゃないのでやらないかもしれない。

 

それでは皆様、昨年はありがとうございました。

今年もよろしくお願いします。

あけましておめでとうございます!

 

寝正月ってのもこの年齢になると「もったいない!」より「贅沢な休日!」という感覚が強くなりましたね。それでいいならそれでええやろ。それができるならそれでええやろ。親族の集まりにて母親から「私の年齢でお祖母ちゃんはもう孫がいたんだねぇ」的な圧を受けました。笑って流したそんな年明け。皆様いかがお過ごしですか?